「自分の頭で考える」という言葉があります。これは何を考えていないからそう言われるのか、そして何を考えれば自分の力を使って考えたかと言えるか。この「考える」ということは、単に普段使っている頭で容易に想像しているようなことを言うのではなく自分で物事の本質に辿り着くプロセスのことを言うように思います。ではなぜ本質を考えることをやめてしまうのか。なぜ考えない状態になるのかということを突き詰めていく必要があります。私のブログでの日々の学問の鍛錬もまた、この本質を見極め続けることで考え続ける習慣をつけているとも言えます。
そのちょうど「考える」ことを深めていたら「地頭力を鍛える」という著書で有名な細谷功氏の言葉が的確なものがありましたので紹介します。
「仕事で成果を出せる人とそうでない人の違いは、頭の良さというよりも、じつは「考えているか、いないか」という点にあります。もっと厳密にいえば、「考える」という行為の前には「考え始める」という高いハードルがあり、多くの人はそれができず、思考停止状態に陥ってしまっているのです。」
細谷氏は、考えないことを思考停止状態と言います。そして思考停止を回転させはじめるためにはまず「考え始める」という高いハードルがあるといいます。自力で主体的に考えるためにはそのハードルをまずは飛び越える必要があるというのです。
「思考停止型人間の口癖を見てみると、他人や環境のせいにする他責の言葉が並んでいます。たとえば「情報がないのでわかりません」というのは、「情報が不足している」という状況のせいにして言い訳をしているにすぎません。他責の言葉を言った時点で、「私はもうこれ以上考えません」という思考停止宣言をしたようなものです。」
そのためには、「自覚」が大切だと仰います。自覚こそが成長であるとも定義されておられます。
「知らず知らずのうちに視野が狭くなっていることは多いもの。そんなときは、「他人に気づかせてもらう」のが一番。周りの人に積極的にアドバイスを求めましょう。より広い視点を得るには、自分は何も知らないという謙虚な姿勢、いわゆる無知の知を持って問題と向き合うのが第一歩だからです。」
この無知の知というものは、知らないこが自覚できるということ。ソクラテスの汝自身を知れという格言にあるものです。思考停止というものは、もう知ってしまっている、「わかった気になっている」状態になっているということです。つまりは学問を深めようとしていない、自らで辿り着こうとするのを諦めているとも言えます。
そしてそれは今の社会や世の中をもう一度鵜呑みにせずに、自分の頭でちゃんと見極めるということです。今までの慣習や世の中の常識を疑って、もう一度目的から考えてみる。自分のことを客観的に見つめ、「本当は何か」を突き詰めてみる。まさにこれが自分で考えるということなのです。
「自分の頭で考える」というのは、ある意味で世の中の価値観に背を向けることなのです。』と言います。
自分の頭で考えることがなければ、本質が分かることはありません。本質風が世の中の風潮で、考えない人が増えれば増えるほど本質風のトレンドは増すばかりです。しかし、どこかで気づくはずですそれは誰かの考えを鵜呑みにしていただけだったと。
人間は誰しも自分自身の頭で自分自身と向き合い、一人一人のなかで自分の答えを出し続けていく必要があります。それが自分の人生を生きたということであり、その答え合わせを自分の足を使って歩んでいくのでしょう。
だからこそ日々に起きるあらゆる出来事や御縁を「本当は何か」と目的を見出し、そして「何のために」と意味をつなげていくしかありません。物事のつながりが観える人は、思考が回転し続けている人です。思考停止状態にならないように、日々に「なぜ」と謙虚に人に自他に問い続けることができる人は考える人だと思います。
子どもたちに、時代の価値観を押し付けて機械やロボットのように生きることをさせないように自分自身が考えて考えぬいたもので伝承していきたいと思います。