人間は安心することで自分のすべてのパフォーマンスを発揮していくことができます。言い換えれば、人が輝くには安心することが絶対条件であるとも言えます。そう考えると一人一人が輝くためには、一人一人がみんな仲間に安心を与えられなければなりません。安心できる場所というのは、自分が守られていると感じる場所でもあるのです。
この逆に自分がいつも敵の標的にあっていると思ったり、守られていないと感じていると不安は大きくなります。信頼できる関係の安心感とは逆に、不信であればあるほどに安心感は遠ざかります。
そしてこの関係は、自分自身においても言えることです。自分のことを肯定し自分が信頼してあげる関係があれば自己は安心します。しかし自分を否定し、自分を信じてあげることができなければ自己は不安定になるのです。
自己の安定は自己の安心であり、自己が安心すれば自他も安心をはじめます。自分が安心するのが先で、その安心の基礎の上に人は信頼関係を築いていくことができ、揺るがない絆を結び自分自身を輝かせることができるのです。
では、如何に自己を安心させていくか。それは自分のものの観方を変えるしかありません。たとえば、自分は自分の味方であると信じること。仲間は自分の味方であると心を開くこと。周りは自分の味方だと安心すること。世界人類皆兄弟というように、自分自身が周りは自分の味方であると安心することで安心の和は広がっていくのです。
逆に、自分の家族や上司、そして仲間や組織、会社や世間のことを敵視して誰も自分の味方などいないとしたとします。すると、そのしっぺ返しにあい自分自身のことも次第に敵視しはじめ、そのことでますます自分への信頼が築けなくなり自己が分裂してしまいます。分裂した自己をて無理やり表面上だけ仲よくして我慢していても味方がいない状態で戦うことになり協力が得られずに本来の自分のポテンシャルを最大限発揮していくことはできません。
同様に身近な人と表面上仲よくしたり、無理をして我慢をしていい人を演じていてもそれは味方を演じているだけでどこかで裏切りや敵を恐れているだけかもしれません。だからこそ敵味方ではない「すべては味方」であると思える人になることで周りとの信頼をつなげていくように思います。
この「すべては味方」という境地は何か。
それは自分の弱さをさらけ出していてもそれでも一緒にいたいと思ってくれている人たちになるということです。言い換えれば自分の欠点や弱点、ダメなところがあってもそれでも長所や魅力、強みなども理解してくれて一緒に生きていこうと信頼してくれる人たちになるということです。深く理解し合う関係になっていくということです、それは本音の付き合いともいい、素のままあるがままの関係づくりともいいます。
このすべてが味方になっている組織には、自分が安心できる居場所ができて信頼関係の絆が確実に築かれています。そういう安心の場は一人ひとりがみんな輝いているのです。そのためにも私たち人類は人間を信じようと努力し、お互いを深く理解し合うために多少の痛みや傷つくことを恐れずに前進し発達していこうとするのです。
人類は、何度も何度もお互いに信頼し合うために挑戦を続けてきました。この今もまた、世界が激動の変化の渦中に入っていてもさらにそこに向かって試行錯誤し続けています。それでも境地を体得し、本当の平和を永く築こうとし実験は続けられていきます。
子どもたちが憧れる生き方ができるように、「すべては味方」という境地にカグヤは挑戦していきたいと思います。