以前、ある年配の人から「あなたは若いのに経験が多いのはなぜ?」だと質問されたことがあります。この経験とは、場数のことでどのような場数を踏んできたかということの話になります。そしてこの場数とは、努力してきた経験の数のことを言います。
場数が多い人は、それだけ努力してきた過程の中で得た智慧の質量もありますから本番に強くなります。逆に場数が少ない人は、経験していませんから努力が足りないとも言えます。この場数が努力を測るモノサシなのはここからもわかります。そしてこの場数とは、単に回数をこなせばいいのではなくどれだけ努力の回数があったかということを示唆していることに気づきます。
たとえば、何かに挑戦すれば必ず失敗をします。その都度、挫折をし理想が高いほどに心も折れます。しかしそこからまた立ち上がり再び挑戦をします。そのためには何回も何回も検証をし、努力を積み重ねて真剣勝負でまた挑んでいきます。
私の場合は、何でもすぐにやってみてはそれを継続するという実践タイプのようで失敗の場数は他人よりも多いように思います。情熱と気力が強く好奇心旺盛なこともありますが、まずはやってみようとします。当然、素人がいきなり高い一流のレベルに挑むのですから挫折は本当に日常茶飯事です。特に、大きな怪我をしたり病気になったりすることもあれば心が深く傷つくようなことや精神が病んでしまうようなことに出会うこともあります。
ある時は身も心もボロボロになり、またある時は涙しながらもそれでもまたしつこくやってみようとします。簡単に言えば、ただ諦めが悪いのでしょう。しかしこの諦めの悪さ故に場数の質量を高めて努力することの仕合せや歓びに出会い信じる力に換えてこれたようにも思うのです。
その努力は、大半は誰か大切な人を思いやる真心から出てくるものですがその努力によって自分自身がいろいろなことができるようになる歓びも同時に得られます。他人に喜ばれるものが、自分の能力でできるようになることはとても仕合せなことことです。きっと自分が誰かの役に立てるという歓びを知ってしまっているのです。
そして努力の経験が増えれば増えるほどに、周囲に対する努力のすばらしさ、諦めないことで必ず実現するという勇気の応援、最期まで相手に寄り添い信じ抜く見守りの原動力を得られているように思います。根の明るさはそこからやってくるのです。
私の場合は、高い理想に対して何度も何度も挑戦していて時折疲れたら過去にできなかったことをやったりしてみます。するとあれだけ大変だったことがいともたやすく出来るようになっていることに驚き、やはり努力が裏切らないということを確かめるのです。
気が付けばいつもかなり高いレベルのことに挑んでいるばかりのことが増えそう簡単にはすぐに結果が出ないものばかりになってきました。むかしは、半分くらいは多少の努力で達していたものが今ではほんのわずかな成功率でしか得られない大変難しい努力のことばかりしかやっていません。
しかしそれでもこの努力はなぜかやめられませんから、苦しいばかりではなく本心では難しいからこそきっと心は深く楽しんでいるのかもしれません。人生の中で善い場数を増やしていくには、日々の努力を楽しんでいく必要があります。それは壁を乗り越える仕合せであったり、新しい発見であったり、何度も何度も挑める歓びであったり、次こそはと色々とまた試してみる、つまり「創意工夫の充実した日々」を送ることです。
努力をし続けることは、決して言葉では教えることはできません。しかし真剣に何度も困難に挑んでも立ち上がりまた挑む姿は努力の価値を伝承していけるようにも思います。人生は生きていることが何よりも場数、疲れたらまた休み、そしてまた立ち上がり挑めばいい。そうやって努力を続けられることが何よりも有難いように思います。
引き続き、子どもたちのためにも努力の素晴らしさを伝承していけるように誰よりも場数を味わい楽しんでいきたいと思います。