自分の答えを持つ

幼いころから一斉画一の生産管理教育の評価に晒されていると、自分の頭で考えるということをやめてしまうものです。誰かによって都合が良い人になることは優秀になることであり、その優秀の定義は誰かによって定められたものになるのです。

たとえば、上下関係であれば上の人の言うことをよく聞く人が素直であり、上の人のいうことを従順にしっかりと指示通りにやることを優秀と言われます。さらに優秀なのは、上の人のやりたいことを先回りして準備して上の人がやる以上に実現すればさらに優秀だと褒めたたえられ評価されます。

しかしこれをやり続けるとどうなるか、それは上の人の正解ばかりを探すことを真面目にやることがもっとも正しいことだと信じ込むようになります。するとどうなるか、自分の中の正解ばかりを探して真実や本質を見抜く力が減退していくのです。それは他人の答えを探し続けるようになるからです。

本来、真実や本質を見抜くためには「自分の答えを持て」といった自分の中で根本や本質を突き詰めていく必要があります。自分の中で自分で答えを出すには、自分からその人の持つ答えを正解と捉えるのではなくどのようにその人がその答えに辿り着いたのかを自分自身の力で強く求め近づいていくしかありません。

何度も何度も実践し議論して深めていく中でようやくその人が辿り着いた答えに自分も出会います。その時、その答えによって導かれた背景の価値に気づくのです。それが本質に辿り着くということです。

しかし他人の正解ばかりを追い求め自分の答えのない状態に陥ると、上の人から指摘されたことはマイナスなことを言われたと思いすぐに足りないところを探してしまいます。自分の中で評価や採点癖が沁みついていたら「できない自分をできるようにする」ことだけに固執し正解思考にばかりに囚われてしまいます。そのように人間は評価で裁くという物差しを持ってしまうと罪悪感で動けなくなるのです。すると他人常識的なルールに縛られた都合のよい人間が出来上がってしまいます。

そういう時は、正解ばかりを探す前に「気づかなかった、近づかなかった、もっと自分よりも深いのかもしれない」などといったすぐに他人の正解を探さずにその人の持つ本質に気づくように自分自身の在り方を正し、上の人の指示を理解しようとばかりに脳を使う前に、自分自身のそもそもの考え方を指導してもらうといった素直な姿勢になる必要があるのです。

自分の答えを持つ人は、自分で考えることができる人です。自分で考えることができる人になることが、人生の主人公になります。主人公になれば人生を他人のせいにせず、言い訳もせず、あるがままに自分らしく生きていくことになるのです。

しかし生産管理教育の刷り込みが深い人ほど真面目で優秀と周りは褒めますから余計に刷り込みは取りにくいのかもしれません。必ずどんな事物にも物事にも常に本質や根本があり、それを正しく理解していくことが会社を理解し商品を理解し、戦略を理解し、そしてそれを自分なりに応用して創造していく力になりますし、さらにはそれを他人に伝えるためには自分自身がその本質を「ものにする」必要がありますから自分の答えを持つことは人生において決して避けては通れません。

いつまでも上の人に対して刷り込みの下の人になる上下構造に縛られず、本質の深さや根本の質で議論できるように近づく今までとは異なった努力をしていくことが自分の眠っていた考える力揺さぶり目覚めさせることかもしれません。

子どもたちが自分の頭で考えて自分の答えに気づけるように、議論できる関係や環境を世の中へ広め構築していきたいと思います。