人間にはどんな人にも平等に存在しているものがあります。それは時間です。この時間というものは、子どもでも大人でもどんな人でも同じように時を持ちます。しかしその時の過ごし方となってくると同じではありません。その質量も価値も、時間との関係においては個人差があるからです。
その時に対する価値観がどうなっているのかで優先順位が決まっていくとも言えます。その時、何をやるのかというのは突き詰めていけば何を取捨選択するかということが観えている必要があります。
やらなくてもいいことをやっていても時間は足りなくなるばかりですから、本当に何をやればいいかというものに集中していく必要があるのです。その要点を掴む人はもっとも時間を活かしているとも言えます。その要点とは性格が決めているようにも思います。つまり時間を活かす人とは人格が磨かれ高まった人とイコールであるということがわかるのです。
この時間というものと正対するとき、それは単に時間管理能力ではなくその人の全人格が何よりも影響を与えているということがわかります。司馬遼太郎の坂の上の雲の中で出てきた秋山真之という海軍軍人がこういうことを言います。
「人間の頭に上下などはない。要点をつかむという能力と、不要不急のものは切り捨てるという大胆さだけが問題だ。従って物事が出来る、出来ぬというのは頭ではなく、性格だ」
その時々で何を先にやることが重要か、そして何から取り組むことがもっとも問題を解決するのかという能力は、今何を先にやるべきかがわかる力とも言えます。そのうえで、敢えて今やるべきことに集中するという胆力が問われるということです。
事物は料理のようなものと同じで、段取りが必要になります。その優先順位を今起きている事物から全体を見極め、その時々で最適な手を打ち続けていかなければなりません。いわば、タイミングを見極め、タイミングに合わせて最善の手を盡していくという判断能力が必要になるのです。リーダーとは、その判断する人のことであり善い参謀とはそのリーダーが最適な判断ができるように心配をかけないように仕事を進め、そのリーダーが自分の役割に専念できるようにあらゆる手を盡していくことです。秋山はこうも言います。
「明晰な目的樹立、狂いのない実施方法、そこまでは頭脳が考える。しかし、それを水火の中で実施するのは、頭脳ではない。性格である。平素、そういう性格をつくらねばならない。」
そのうえで、リーダーと共に実務を遂行する人にも性格が問われるといいます。この性格とは感情や意志などの傾向、つまりは「善い性格」を醸成し続けて自分自身の感情の調整や調和を取る力が必要になるということです。
人間が時間を有意義に活かすためには性格が必要で、その時々に発生する事柄に対して常に自分の感情や意志のバランスを取る力が問われます。たとえば、危機的な時には楽観性を併せ持ち、安定安寧の時には危機感をもって精進するというように常に性格を主軸にバランスを取るのです。
これらのバランス感覚が優れている人が何よりも時間管理に長けており、何を今、もっともやることが全体にとってもっとも必要なことであるかということの判断と行動が実行できるようになると思うからです。
今しなければならないことを先に延ばすのも、やらなくてもいいことをいつまでもやってしまうのもまたこの性格が鍵を握ります。何のためにやっているのかと考え続けていくことも性格を磨きます、また優先順位を常に確認して大胆に取捨選択していく決断や判断も性格を磨きます。
どんな状況であっても性格によって対処していく、これを木鶏の境地と私は呼びます。
しかしそうなるには、日々の時間の使い方、つまりは生き方が左右します。「今何をやるべきか、いつも何をやるべきか、常に自分の使い方を気を付けていく」といった自分の生き方を変えない限り性格も変わらず、性格が変わらなければ時間もまた変わらないのです。だからこそ日々性格をつくるのだという気概が時間を活かす要点なのでしょう。
きっと日露戦争での勝利は、激変激動の中で木鶏であった人たちが導いた勝利だったのでしょう。まさに変化のときこそ、この言葉を大切にしていきたいと思います。