先日から役割について色々と深める機会が増えています。仕事を分担するのではなく、役割が分担されることでチームはイキイキと活性化していくものです。そもそも役割とは、全体に対する自分の役目であり人は役目を果たそうとするときみんなと一緒一体になって自分の我を前に出すことをやめて全体の働きのために自分も働き始める喜びや仕合せを感じるものです。
しかしチームにおいて「自分が自分が」と我が出てくれば周りとの調和が難しくなり信頼関係に綻びが出てくるものです。この役割という意識をどう持つか、そして役割をどのように活かすかがチームで取り組むことにおいてとても重要になってくるように思います。
この役割分担の意味は、それぞれでみんなで一緒に生きていくための大切な役割を自ら担うということになります。役割とは大切なものであるという認識のもと、時には与えられた役割を果たし、また時には自ら役割を果たします。これは単に仕事を分別したその一部の作業を担うというだけではなく、自分が全体の役割の一部になっているということでもあります。
私も中学校の部活でバレーボールをやっていたとき、ポジションはもっていましたが同時に自分がチームのムードメーカーになっていました。これは他人から言われたのではなく、自らそれをかって出て自分がチームのためにその役割を果たそうと自分で担った役割の一つです。そのために、いつも全体が暗くなりそうな時や負けがはいって腐りそうなときに、いつも明るくピンチはチャンスだと掛け声をし、同時に逆転のチャンスに強くなるようにと猛練習をして力をつけていきました。
自分が全体のために何の役割を果たすかは、その人の役割意識に由ります。三銃士の「一人はみんなのために、みんなは一人のために」とありますがあの言葉も大切な役割をそれぞれが担っているんだよという意識の調和の言葉でもあるように私は思います。
よくその逆に、自分に価値がないと思い込んだり、自分一人くらいやらなくても問題ないと思ったり、仕事の業務分担を役割だと勘違いしたりすると役割意識は遠ざかり意識が不調和をきたしてチームの力も減退していきます。
この役割とは「はたらき」のことで、みんなが働くことで役割分担は成立します。仕事ではなく、「働く」ということ。ここの違いをはっきりと自覚できないうちは、全体のためにやチームのために貢献することが難しいと私は感じています。私の思う働きとはみんなと一緒に自分も幸せになるために働くことを言います。
仕事ばかりしても不幸になっているのは、役割に気づいていないからかもしれません、自分の役割に気づけば、自分がこの世界において大切な存在であることにも同時に気づきます。そしてそれは仲間があって自分があること、自分が与えられている役割を存分に発揮していくことがみんなの仕合せ、そして自分の仕合せであるという事実に気づいているからです。
一緒に暮らしていく人たちというのは、お互いに働くことで仕合せを手に入れます。同時にそれが役割分担の本質なのです。仕事観を見直すこと、まさにこの前提を変革することが「働き方改革」の本質なのです。
引き続き子どもたちが楽しく豊かに安心して働く社會のために、現代の大人たちの刷り込みを取り払う働き方のモデルを創造していきたいと思います。