人間は、自分の見ている世界が常識になってくればくるほど他人の話を素直に聴くことができなくなるように思います。周りから説得されたり、周りを説得したりしているうちに自分の世界観のようなものが確立されてしまいそれが執着になってしまうからです。
執着になれば常識はますます固定観念になりますから、本当の世界や現実を正しく見ていく力が失われていきます。自分の観念に縛られて固執してしまえば、自分が正しい、周りが間違っているという思い込みに苛まれるものです。
本来、世界は無数無限に存在していて一人ひとりに多種多様な世界が広がっています。もしも相手の目で世界を観れば、同じようには観えてはなく、別のものに観えているのです。だからこそ、違いが出てくるのであり認識のズレも産まれます。一つの価値観や世界観だけで統一できるものなどはなく、それぞれの世界を調和してみんなで目指す世界に近づけていくのが人間の性のように思います。
そのためには、自分以外の考えがどうなっているのかをもっと真剣に聴く必要があるように思います。この人はこう考えるのか、この人はこのように見えるのか、こんな見方があるのか、どんな心の持ち方をしているのかだろうかと自分自身が素直に世界に心を開いて学んでいくのです。
そうやっていろいろな考え方を知れば知るほど、多種多様な人がいることがとても豊かであることを知り、現実も色々な人がいるからこそ助け合って解決していけるのだという事実に気づくからです。
人間はこんな世界がいいとビジョンやイメージを持つ人に共感し、賛同していくものです。その人は常識ではないことを言いますが、新しい常識にするために自分の理想を世の中の現実世界に訴求していきます。私の友人をはじめ、恩師みんなそうやって自分のビジョンを世界に発信しています。しかしその世界以外認めないとなってしまうと、そもそもの調和の社會が遠ざかってしまいます。だからこそ、色々な考え方があるけれど、こうありたいという共感をみんなと分かち合っていくのです。
世界は共感によって仕上がっていきます。
共感するものをどう世の中で生み出していくかは、その人の観ている世界に真実や本質があり、それが人類共通の理想とつながっているからです。仏陀も、孔子も、キリストであってもみんなそこに向き合ってきました。
時代は変化の真っただ中ですか、古今を貫いて存在する真実を学び直して心を磨いていきたいと思います。