人類は、集団をつくることで生き延びてきた生きものとも言えます。敢えて集団をつくったのは、自分を守るためでもありました。一人だととても弱く、生き延びていくことができません。
だからこそ集団をつくり仲間を持つことで、協力し合い助け合ってきました。その証拠に、人間は一人でやっていても面白くないや楽しくないなどという感情を含め、仲間と一緒に取り組むことで仕合せを感じるようにできているからです。
無人島で一人で暮らしてみるイメージを持てばすぐにわかりますが、いくら成功したからと一緒に喜んでくれたり、感謝されたり、ほめて貰ったり、共感しあったりすることがなけばそのうちつまらなくなっていくものです。
人は人と一緒にいることで、ヒトが人間になったといいうことでしょう。その人間の特徴とは何か、それは「仲間を大切に思う心」ということでしょう。以前、NHKのグレートジャーニーの中で皮肉にも人類は仲間を大切に思うことから戦争が起きたという表現がありました。確かに、仲間というもので敵味方を分けるとそこにはお互いに正義が生まれます。本来は仲間同士で起きた、尊重と寛容の精神で助け合うところを損得利権や自我欲が優先され身勝手な正義が集団によって認知されればそこには対立構造が生まれてしまいます。
対立から対話へというのは、本来、みんな仲間ではないかと確認し合おうということです。同じ組織の中で敵味方に分かれて、いざこざをしているところを見かけますが本来の仲間とは何かということを思い出すことでしょう。
組織というものは、自分を大きな意味で守っているところです。自分を守っているところだからこそ、その守っているところを守ろう。それを拡大させていけば、家族から会社、地域社会、そして国家、世界、地球というように守り守られている存在に気づくのです。
視野の狭さというものは、この逆であり、自分を守ることを自分で必死にやればやるほどに家族を守れず、会社を守れず、地域も守れず、国家も守れず、世界も地球も守れません。
自分を守っているものは何かともう一度、客観的に見つめることで自分が本来守るべきものは何か、そして自分はなんと大きなものに守られていたのかと感謝に立ち返ることができるのです。
これと同様に地域貢献とかボランティアとかを仕事と分けるのではなく、自分を守ってくださっているものを守ろうとすることは人類の発展や地球の成長に必要なことなのです。特に子どもたちの未来を思えば、自分が守っているものが何かを確かめることができます。
人間は、集団をつくりましたが問題はそこに甘えすぎてしまうことです。それは自律ではなく、自立でもない。守られるのが当たり前となってしまい、自分が貢献することをやめてしまえばそれは単なる甘ったれになってしまいます。
得意なことができる人に甘えることは、自分の得意なところで貢献する覚悟がありますから共生と貢献の関係が成り立ちます。自分ができないことは得意な人に頼る、しかし周りができないことは自分の得意に頼ってもらう。まさに信頼関係を築くことで、仲間を思いやる心が人類を対話や平和へと導くように私は思います。
身近な人たちとの小さな人間関係が、世界の戦争にも平和にも左右していきます。一人一人の人間の心の中に如何に平和を築くかは、人類の最大のテーマであり私たち子孫に与えられた最も重大な課題です。
自立と自律は、私たちの本業のテーマでありそれが仕事です。
引き続き、人類の未来を省みながら保育の道を弘げていきたいと思います。