恵比寿と福

長崎街道を往く所々に、恵比須様の石像がお祀りされていました。佐賀はなんと日本一の恵比寿像のある県で、2015年の調査では828体もありまだまだ増えているそうです。恵比寿様をお祀りする恵比寿信仰は、日本の古代からある土着信仰の一つです。

神話に登場するのは、一つは蛭子という説。もう一つは、事代主神という説です。私は後者の方にご縁があり、島根の美保神社に参拝の際に恵比須講によく私の苗字と同じ名前の人が多く参拝にこられていたと宿坊でお聴きし感動したことを覚えています。

この恵比寿講(えびすこう)は商売繁盛の神様である恵比寿神を祭る民間行事または秋祭りのことです。七福神の中で唯一の日本の神様であり商売繁盛だけでなく、漁村では豊漁をもたらす神に、そして農村ではかまどや田の神になっています。恵比寿講は毎年1月と10月の20日に行われます。なぜなら恵比寿神は、出雲大社に神様が集まるときの留守神であったとされています。大国主の息子の事代主神なら確かに留守役を任されてもおかしくないなと感じます。

古民家にあるおくどさんの土人形や石像なども大黒様と恵比寿様は一緒にお祀りされます。この二つは、親子だとしたら親子で対になっていることになります。国譲りを決め、それを託宣し二代で日本国に豊かさと福をもたらしたご先祖様という見方もできます。

大黒様(大国主)と、恵比寿様(事代主)は、五穀豊穣と商売繁盛の象徴として一緒にお祀りされています。きっと、むかしはこの二人のリーダーが日本国の安定した政治を実現させて平和な世の中をつくりあげてきたのではないかと感じます。

ちなみに恵比須様の釣り竿にはどのような意味があるのかを少し調べてみると、かつての国譲りの大切なシーンでこれを用います。この釣り竿の意味は「釣りして網せず」つまりは網で一気に魚を捕まえて後に残らないようにしない、これを商売に置き換えると暴利をむさぼって後に続かないような商売をしないという意味になっています。足るを知り、取り過ぎず儲けすぎずに、真心で正直に商売を続けていく姿を現しているそうです。

また鯛を持っているのは、鯛はむかしから「めでたい魚」ということで、鯛を商売繁盛、祝福の象徴とされています。それに足を曲げている姿も、足がもともと悪かった説と、サメに食べられた説がありますがどれもむかしの歴史事情が垣間見れるものです。海の神様、漁業の神様としての姿として狩衣や指貫や風折鳥帽子の姿でもあります。

由来を辿っていくことで、なぜその地域にその神様を祀ってきたのかが自明します。これはその子孫たちが先祖をお祀りし、子々孫々をいたるところで見守ってもらっていると感じたことを御姿にして日々の恩恵に感謝したのでしょう。

農業と漁業は、その当時から私たちの国を支えてきた産業です。その両方を大切に守り、育て、福を祝うというのが先人からの生き方であったのでしょう。歴史から学んだことを子どもたちに伝承していきたいと思います。

 

長崎街道3

昨日は、嬉野宿から塚崎宿、北方宿、小田宿、牛津宿、佐賀宿まで来ることができました。ここから数日は雨が続く予定で今回はここで一度、休憩をし次回また続きを行う予定です。

現在までで約120キロ、残りは約100キロを残すところですが実際に長崎街道を通ってみるとそのほどんどは開発され古い家がほんの少し残るばかりでほとんど面影がありません。長崎街道を半分まで来て振り返ってみると、その当時のままに残っているのは神社仏閣や石仏たちでした。

伊能忠敬が残したむかしの地図を見ていたら、今とはまったく風景が異なります。具体的に異なっているのは、西洋建築や近代住宅、また大型のチェーン店、舗装されつくした道路です。特に道路は、長崎街道の狭い道はところどころが閉鎖され隣に作られた国道を通るようにできています。国道に面した住宅は、人通りもない歩道があるだけで車の大きな騒音が響き迷惑を感じていることと思います。

かつては、長崎街道の細い路地を毎朝毎夕たくさんの人たちが往来して賑わっていたのがわかります。ほんの少しですが、閉店した店店の様子からそこで野菜や果物、また魚や肉などを軒先で販売していたのを感じます。近隣の農家や漁師、そのほかの職工や武士などが宿場町で買い物をしたのを想像したりできます。

明治頃まで街道には、庄屋や酒屋、廻船問屋や米問屋など大きな商家が並びその界隈はたくさんの人たちが盛んに行き来したのです。今ではその気配がかすかに建物の大きさから感じるくらいです。

街道を通りはっきりと主役が変わったのは人から車になったことです。旧街道は人が優先ですから車は危険ですからゆっくりしか走れず路地も狭くみんなで協力して車を通すしかありません。しかし国道の大きな道は、車優先ですから人は車の邪魔にならないように歩道を歩き、横断歩道も信号を待ってからでなければ進めません。

街道が廃れたもっとも大きな原因はこの何を優先するかが変わったことです。ここから将来は、人間の優先順位がますます下がり、人工知能やロボット優先となればさらに道は変化していくでしょう。

政治や経済が変われば道が変わります。道が変われば往来の速度や規模もスピードも変わっていきますが、人間の暮らしや生活もその道に大きな影響を受けてしまいます。地域を語るとき、この道の廃れているものが何かを見極めるのは大切なことです。

引き続き、長崎街道を辿りながら温故知新の智慧を子どもたちに伝えていきたいと思います。

長崎街道2

昨日は、長崎街道の出発点でもある桜馬場天満宮に祈願をしそのまま自転車で日見宿、矢上宿、永昌宿、大村宿、松原宿、彼杵宿、そして嬉野宿まで無事に来ることができました。

慣れない自転車での旅で身体が筋肉痛で大変だったり、タイヤがパンクするハプニングがあったりしましたが無事に街道を辿り進むことができました。道行く人たちと、時折、挨拶をしていると色々と声をかけてくださいます。その中で、皆さんが応援してくださり有難い気持ちになりました。

ひょっとしたらむかしも、参勤交代をはじめこの街道を往く人たちを地域の方々は優しい眼差しと思いやりや笑顔で送り出し、応援してくださっていたのかもしれません。

この道を往く人は、色々な理由がそれぞれにあったのですがその想いを汲んでくださる街道の宿場町の方々は道を歩む人たちに親切だったはずです。道を往けばハプニングに遭遇し困ったことがたくさん発生します。その時、手伝ってくれたり、アドバイスをくれたり、応援してくれたりすることで次の宿場町までの元氣になります。

特に峠を越える前にあるお茶屋さんや峠を越えたあとにある宿場町には癒されたはずです。また峠の最中や道の分かれ目には、お地蔵様や道祖神がお祀りされており旅の無事を見守ってくださっています。宿場町には、神社やお寺がたくさんあり心を清め、祈願をし旅の決意を固めます。

道を往くというのは、まさに人生そのものでありその道でどのような人たちと出会うのかはその人生の醍醐味になります。

今は自動車の道が整備され、旧街道を通ることはほとんどありません。また旧街道を通ったとしても狭い道を猛スピードで車だけが駆け抜けている状態です。自転車であっても人と触れる速度のギリギリです。街道にくれば自転車を降りて、押して歩んでいくと人に触れる速度に戻ります。

歩いていくことで私たちは道を味わい楽しみましたが、自動車では街道は味わうことはできません。引き続き、子どもたちの未来のためにもこの先の道を求めて進めていこうと思います。

長崎街道1

私の郷里で古民家甦生している聴福庵は、長崎街道沿いの飯塚宿にあります。この街道の宿場町は小倉から黒崎、木屋瀬、飯塚、内野、山家、原田、田代、轟木、中原、神崎、境原、佐賀、牛津、小田、北方、塚崎、嬉野、彼杵、松原、大村、永昌、矢上、日見を経て長崎に至る25宿あり全長228キロあります。

かつてこの長崎街道は鎖国体制を敷いていた日本の中で唯一外国との文化交流や通商の窓口にしていた長崎から西洋の文化や新しい技術などを伝える文明の道として重要な役割を果たした街道だったといいます。長崎奉行やオランダ商館長が江戸往来に利用するだけでなく九州西半の大名が参勤交代のために通い、その他にも多くの学者や文人、象やクジャクなどの動物も通ったことが記録されています。、

具体的な有名な人物としては、オランダ商館関係者は、ケンペル・シーボルト・ツンベルク・フィッセル・レフィスゾーン・ヅーク・ブロムホフ。そして蘭学を学んだ平賀源内・緒方洪庵・高野長英・大槻玄沢・稲村三伯・前野良沢・工藤平助。絵画文人は、司馬江漢・頼山陽・田能村竹田・菅井梅関。幕末の偉人として吉田松陰・坂本龍馬・河井継之助・西郷隆盛・大隈重信・乃木希典・大田南畝。その他にも伊能忠敬・高山彦九郎・林子平・三条実美・種田山頭火がこの街道を往来しています。

異国の動物では、象、キリン、ラクダ、オランウータン、ロイアルト(ナマケモノの一種)、ヤマアラシ、トラ、鷲、孔雀、七面鳥、ヒクイドリ、青インコも往来しています。

ここからもわかるようにこの街道がもっとも特異であったのは、海外からの最先端の物資、文化、学問、技術、文献、優れた人物、それに世界の価値のある情報が常に行き交う重要なルートであったのです。この物資や文化の一つになったお菓子も、砂糖が往来したことでシュガーロードとも呼ばれ、九州のカステラ・丸ボーロ・鶏卵そうめんなどの菓子文化が発展に重要な役割を果たしています。

この歴史の道は、現在まで続いている道でもあります。道は始まりがなくそして終わりはありません。その道を時代を超えて歩んでいこうとする試みは、新しい令和の時代に向けての初心の確認でもあり「道」とは何かといった自分への問いの旅です。

この人生の一つの節目に、自分のルーツ、この郷里に生まれた私の歴史や時代の流れを長崎街道の歩みを通じて学び直したいと思っています。

自然の生き方

昨日は、自然農の田んぼで田植えを行いました。もうこの田んぼでの田植えは、8年目になりますが毎年楽しく豊かな時間を過ごせています。もちろん、昨年はイノシシに収穫前に入られて未収穫という大変な目にも遭いましたが懲りずに続けて8年も経つと経験が血肉になり様々なことを自然に感じ取れるようになっています。

自然というものはとても面白く、自然に近づいていけばいくほどに自然の仕組みが感得できるようになります。いつの時機にどの場所に何があるのか、そして何が組み合わさり、どう混ざれば何が生まれるのか、またその土地や風土の循環の癖や相性、さらには全体のバランスや心の機微にいたるまですべて手に取るように感得できます。

おかしな話ですが、達人の域に入るほどです。それくらい自然と一体になると、先々のことを今見通すかのような感覚になるのです。もちろん、自然ですから思い通りにはなりませんから謙虚さを磨かれます。しかし同時に、絶対的な安心感も同時に得られます。

それは様々な命と共に共生していくなかで、互いに活かし合いつながり合い存在し合うということの安心を感じることができるからです。

草をかけた土の中には大量の菌たちやミミズらが暮らしを営み、その上には虫たちや水生生物たちが暮らします。その循環のなかで稲はすくすくと育ち、光や風を浴びて鳥の声を聴き、山の恵みをうけ、人の見守りと愛情を感じながら立派な稲穂になり実をつけていきます。

この一つの循環の中に自分がいるという安心感は何物にも代えがたいものです。それを大切な仲間や家族と一緒に育んでいくという仕合せ。

私たちがもっとも遺し譲っていきたいものは何か、それはこの自然農の稲作の中にすべて生き方として籠っているのです。自然の生き方とは、自分もそのいのちと一緒に共生し合いながら育っていく生き方です。

如何に全体の一部となって自分を活かすかは、自然が観えているかという境地の会得が必要です。そのためには何度も田に入り、自分の手と目と感覚で自然のありように近づいていくしかありません。

大事にしたい子どもたちへの生き方を示していきたいと思います。

等価交換できない存在~徳循環~

この世の中は、なんでも等価交換できるわけではありません。価値に見合ったそれ相応のものと交換するというのは、あくまで人間の狭い視野で行われるものです。例えば、この自然界でいのちを活かしているあらゆるものと同等のものを用意することはできません。

人間が水や空気、太陽の恵みや大地とどう等価交換するのか。いくらお金があっても、それをお金とは交換できません。人間が作り上げた価値と交換はできても、自然や宇宙などのすべては本来交換することができないものです。

何でも価値や価格でばかりにそのものを測ろうとし、損をしたとか得をしたとかいうのはとても料簡の狭いものです。そのものの価値は、そのものの本当の価値を見出せる人にはわかります。それはお金では測れず、世の中の常識でも量れません。

むかしからそのものの価値を知る人たちは、善を行い徳を積みました。それは等価交換できないことを知り、少しでもその恩恵に報いようと感謝を循環させていったからです。

この世の理として、私たちは自然の大きな恩徳によって生きることができそれが失われればこの世を去るしかありません。さも人間が自然を牛耳っているように錯覚したとしても一度の災害ですべてを失う可能性もあるのが自然の猛威です。

だからこそ謙虚に交換できないものの価値を認め、いくらそれが宗教だと揶揄されようと、妄信的だと馬鹿にされようと、そういった交換できない価値のために祈り、その恩恵をいただける存在に感謝しながら生きていくことで私たちは傲慢になるのを抑制しみんなで平和を築いていくのです。

大前提として、等価交換できない偉大な存在をどれだけ身近に感じているか。ただ感謝のみという存在にどれだけ報いているか。ここが何より私たちの社會の在り方や暮らしの根本と深くかかわっていることを忘れてはいけません。

子どもたちは生まれながらに、その価値の偉大さに気づいています。お父さんやお母さんの存在、自然の存在、あらゆるものへ感謝の気持ちで生きています。価値を測ったりすることもせず、ただその偉大な存在に甘え、偉大な存在と共生し、自分もその恩恵に報いるようにすくすくと成長をしていきます。

私たちの身近にいつも寄り添い、見守る存在はすべて「徳」です。この徳に貢献していこうとすることこそが「利子」を増やしていくことであり、その利子によって私たちはまた恩恵の一部に感謝というもので還元されていくことができるのです。

徳の循環の仕組みは、この価値を変換し無価値にし徳に還元することです。

子どもたちのためにも、このプロジェクト、覚悟をもってやり遂げたいと思います。

道徳元年

私たちの会社では、7年くらい前から「讃給」という取り組みをしています。これは給与明細とは別に、そのひと月でみんなで一緒に働く中で感謝を言葉にしてみんなで交換するという取り組みです。

なぜこれを始めたのかと思い返せば、単に給与は仕事との対価としてではなく天から頂いたものであるという認識。そしてそれは多くの方々の感謝の循環によって、自分もその一部の恩恵を受けることができているという事実、単にお金の価値では測れないものをもっと理解していこうとするために取り組んだように思います。

もう何年もやっていると、感謝の声をいただくことで自分が何で役にたっているのかがわかったり、みんながどのようなことを喜んでくれたか、そして自分もみんなにどのような感謝を感じているかが確認できます。

感謝が積みあがっていく安心感というものは、大きなもので人はどのようなつながり方をするのかでそのコミュニティの質も変化するように思います。

例えば、同志というコミュニティであったり、家族というコミュニティ、そして同じ趣味というコミュニティ、理念を共有するコミュニティ、その「つなぎ方」は様々にあります。単にお金を中心にしたつながりだけでは、お金の持っている価値のみのつながりになります。それを感謝というコミュニティを形成することで、新たな絆が生まれていくのです。

人は、それぞれに「何でつながるか」というものを持っています。私もスタートアップの時は、友人と起業したこともあり、お金を中心に給与が発生していくことで本来のつながり方とは別のつながり方で感謝がわからなくなって苦しんだことがあります。

損得や費用対効果などの等価交換の価値基準を持つお金が、どうしても全体の価値観に影響を与えてしまいます。私の場合は、理念や初心を決め目的を定めたことでお金は自分たちを助けてくれる一つの道具になりましたがそれが明確でなかった頃は何度もお金に左右されてしまいました。

お互いに喜び会うことや、お互いに幸せになることなど、人は一緒に暮らしていく中で感謝が中心になればなるほどに利他的な自己と出会います。人間の低次欲求で有名なマズローも自己超越欲求というものがあると言及しています。これは自己実現の過程で感じる「至高体験」という自我超越、自己忘却、無我、利害や二分法では測ることができない「利他」(自他一体の歓び」のようなものを感じることができるというのです。これを私は徳を積むという言い方をします。

理念や初心が確かに自分のものになればなるほどに、生き方だけなく働き方も大きく変化していきます。そして生き方が変わり働き方が変わった人は、徳を積むための仕事に取り組み始めます。

それは費用対効果とかでもなく、損得利害などでもなく、子どもたちのために徳を積もうとするのです。自分がそうされてきて今があるように、自分も子どもたちに同じようにつないでいこうとする真心。

まさに、自分を活かしてくださっているものへの感謝への恩返しをはじめるのです。それは単にお金では片づけることはできず、文化伝承や奉仕、恩の循環を通して行われるのです。

私が3年前から開催した恩袋会というものも、溜まった恩の袋から徳をひろげようとする取り組みの一つです。

時代の変わり目に、新しい経済がはじまります。その新しい経済はいいかえれば、新しい道徳のはじまりです。そういう意味で、令和元年は道徳元年でもあります。引き続き、自分の使命を全うしていきたいと思います。

自立の原点

人間には、体と心があります。最近は脳科学が進んだことで、この体と心のつながっている場所のことを脳の変化を見て様々な角度から分析することができるようになりました。例えば、脳内物質の何かが出ているとき、心身にどのような影響があるかということを計測することができるような感じです。

実際には、根拠がないといわれても心と体が休まるとき、居心地がよいとき、私たちは穏やかでしあわせな感覚を得ることができます。それは例えば、美しい自然に触れた時や仲のよい人たちと結ばれている時、楽しい食事や安らかな眠りの時なども私たちはその穏やかでしあわせな感覚を得るのです。

私たちの思う「時」というものの中には、様々な記憶や感覚が同居しています。いい時も悪い時も、大変な時も穏やかな時も、この時の中に混然一体として心も体も深くかかわっています。

どのような時を過ごすのか、そしてその時にどのような意味をつけていくのか。

一度しかない人生の時の中で、居心地がよい人生を歩むためには自分を知る必要があります。どんな時がしあわせなのか、どんな時が楽しいのか、もっと自分に正直に自分を喜ばせることで自分のことをより深く実感できるようになります。

周囲をみては自分を我慢したり、周りの常識に振り回されて自分を歪ませてしまうと、しあわせや楽しいことまでわからなくなっていきます。一度しかない人生の中で、自分を中心に据えて生きていくことが自立の原点のように思います。

しあわせや楽しいを感じられる環境、心も安らぎ、体も寛ぐ、脳も活性化する、このような安心安全な暮らしを体験していくことで自立はさらに豊かに充実していきます。

引き続き、豊かな暮らしを自立の原点として子どもたちに譲っていきたいと思います。

教育の定義

先日、ある会議で千代田区立麹町中学校にユニークな校長先生がいることを知りました。名前は工藤勇一さんといいますが具体的にには、公立の中学校ながら宿題を廃止、定期テストの廃止、クラス担任の廃止を行いました。

なぜ公立の中学校でもそんなことができるのかと疑問に思う人も多いかもしれません。これまでの前例主義の常識が変革するというのは、並大抵のことではありません。

そもそも公立か私立かを前に、何のために子どもは学ぶのか、そこから目的を再定義し、学校をリ・デザインされたといいます。「何のために学校があるのか。私の答えはシンプルです。子どもたちが社会の中で生きていくためだ」と。

そして工藤さんはこのリ・デザインの具体的なイメージを周囲にわかりやすく理解してもらうために「現代の寺小屋」という言い方をしておられます。なぜなら寺小屋で社会を学び、そのまま社会に出て活躍するための真の教育が行われていたからだといいます。寺小屋では、先生が教えるというものを教育とは呼んでおらず子ども同士の学び合いこそを教育と定義していたと書かれているものもあったそうです。

本来、教育の定義を何にしているかで教育の手段も変わります。

そもそも教育の定義は、私にとっては社會のことです。現代の教育の定義は、個の学識のようになっていますが時代は進み、人工知能がこれから登場しますからますそれは意味のないものになっていきます。

そんな中、人間のもっとも得意な能力でこれから必要になるのは社會の中で協働し協力していくスキルになることが予想されます。チームで働き、支え助け合い、お互いを律しながら理念を優先して大きな目的を実現する力です。

個がバラバラで、自分の好き勝手なことばかりを要求し他を認めずに自分の権利と主張ばかりを押し通していてもチームになることはありません。自他を認めるためには、お互いに学び合い目的のために協力して互いに成長し仲間とよりよい社會を創造していく必要があります。つまり社會の中でどう生きていくかという「生き方と働き方」を身につけさせること、なぜなら生き方が働き方で働き方が生き方になりそれが社會で生きる力になるからです。

さらに対話を通して、多様性を認めることも社會を一円融合するために必要です。お互いの違いを尊重しながらも、本来の目的のためにそれぞれが学び合い折り合いをつけ居心地善いつながりを構築してく。つまり世界を平和にし、社會をよりよく発展させていくためのダイバーシティは必要なのです。

つまりこれからの生きる力を何と定義するか、これが明確であれば教育の定義は根底から変わります。時代時代に子どもたちが何の力が求められているか、それを予測して環境を見守るのが本来の教師の役割ではないかと私は思います。

私たちも社會の一員として、自分たちのなすべきことに専念していきたいと思います。

シェア=共有 (自然循環の仕組み)

シェアリングエコノミー(共有経済)というものがあります。これは一般的にはヒト・モノ・場所・乗り物・お金などを含む個人が所有する活用可能な資産をインターネットを介して個人間で貸し借りや交換することで成り立つ経済の仕組みのことをいいます。

このシェアリングエコノミーの市場は今後は国内でも急速に拡大していくと考えられ、一般社団法人シェアリングエコノミー協会と株式会社情報通信総合研究所(ICR)と共同で日本のシェアリングサービスに関する市場調査をしたところ、2018年度のシェアリングエコノミー経済規模が1兆8,874億円を超え、さらに2030年度には11兆1,275億円と約6倍になると予測されています。

本来、個人間や社会全体で「シェア(共有)」しようという考え方は、決して今にはじまったことではありません。今までの日本でも、支え合いや助け合いの中でそれは当たり前に行われていたものでした。それが次第に個人主義が進み、関係が途絶え、それを新たにビジネスとして担うようになってきたとも言えます。

特に今の時代のように、大量生産され物質文明が発展し物があふれかえってしまった世の中においては物を新しく買うよりも物を共有して活用した方がいいと考える人が増えるのも当然とも言えます。

一度しか使わないものを一度切りで購入して、要らなくなったら処分というのではそれにかかるコストも大きくみんなでシェアした方がお互いにメリットがあります。そのメリットをシェアする中で新しいつながりが生まれ、社会に助け合いや支え合いが生まれるきっかけになるかもしれません。

現在は、シェアするための法の整備や安全性などいろいろと課題もありますがそれも次第に改善されより一層ビジネスが多様に発展するのは時間の問題です。所有から共有へというのは地球の資源が次第に枯渇していく中で、市場も過渡期になり必要に迫られてきたからだとも言えます。そして人と人の間の「つながり」が歪んだ個人主義により断絶されてきた中で、そのつながりを新たにシェアし直そうという人間の心の本能もあるように私は思います。

これらのシェアの概念構造は、突き詰めていけばいくほどに自然の循環の仕組みが働きます。子どもたちに譲り遺したい未来へ向けて、色々と学び直して挑戦してみたいと思います。