いのちの家

昨日は、郷里の伝統の畳職人の4代目と今後の仕事のお打合せをしました。どの畳にするかは、どの人物が育てたイ草にするかという私の生き方の判断もあるのでとても助かっています。

今回も、人吉の草野さんの育てたイ草を用いることで話をして畳のことを語り合っているとあっという間に時間が経ってしまいました。私も古民家甦生にかかわる前までは畳のことはそんなに関心もありませんでしたが実際に生産者にお会いし、生き方に共感し、そして畳職人さんが魂を籠めてつくったものには感動を覚えました。

その感動が、家の中の床を支え暮らしを豊かにしていきます。畳の持つ素晴らしさを子どもたちに一緒に伝承していこうと約束しました。

畳といえば、畳にまつわる諺がいくつかあります。一つは、「起きて半畳寝て一畳」というもの。これは人は必要以上の富貴を望むべきではなく、足るを知り満足することが大切であるという教えで使われます。

そしてもう一つ、「畳の上で死ぬ」。これは不慮の事故などで亡くなるのではなく、自宅で安らかに穏やかに死にたいという言葉になります。現代では病院や突然死も含まれると、ほとんどが自宅以外のところで亡くなっていることになります。

終戦直後まで私たち日本人の9割以上が自宅で生まれ自宅で亡くなりました。つまり家が誕生から死までを見守ってくれていたのです。家でお祝いをし家で葬式までを行いました。それだけ私たちの暮らしは家を中心に行われていたのです。

畳の上でというのは、私たちが生まれ育った畳の上で穏やかに生まれ安心して家族に見守られて亡くなりたいということでしょう。

現代では家で生まれ死ぬのは1割弱、それくらい家で生死を見取ることはなくなりました。そう考えてみると、古民家は何百年も前から現存するものはそれだけ家族の生死を見取ってきたということです。

以前、桶屋さんに代々使っていた産湯の桶の修理に見えていた方が私もひいおばあちゃんも使った桶を孫の産湯で使いたいと仰っていたことの理由がここからもわかります。

何代もかけて大切に生死を見守る家と共にあったものだったからこそその「もの」は単なる「もの」ではなく、いのちを見守ってくださっていた大切な「おまもり」のような存在だったのです。

その家の見守りに感謝しているからこそ、家を大切に修繕し恩返しをしていたのが私たちの住まい方であり生き方であったのです。

時代が変わっても、「願い」や「思い」は消えません。その願いや思いを引き継いでいく家だからこそ家が喜ぶように直していきたいと思います。私がたとえいなくなっても家が代わりに子どもたちを見守ってくれます。

いのちの家を子どもたちに譲り遺していきたいと思います。