人間に限らずすべての生き物たちには感情があります。さらに突き詰めれば、自然物は感情を持っているとも言えます。それは例えば、無機質といわれる生物ではないと一般的に言われるものであったとしても感情を持つのです。
こんなことを言うと頭がおかしいと思われるかもしれませんが、一つ一つの道具でも磨いてあげて綺麗にしてあげると輝き始めます。特に自然物に近いもの、木や布などは天気の状況や置かれた環境で影響をすぐに受けてしまいます。たとえそれが限りなく自然物でない人工的なものであったとしても粗末にすれば機嫌を悪くしますし壊れます。身近であればパソコン一つ、扱い方が悪ければ壊れますし携帯一つでも雑にすればすぐにダメになります。
この感情というものは、動物であれば天気のよい清々しい朝は鳥の鳴き声や虫たちが活き活きと活動しています。もしも天気が荒れている暴風雪や暴風雨などの日は、みんなおとなしくじっとしています。天気のように感情や機嫌も波状のように起伏しますからそれが感情がある証とも言えます。
この感情というものは、私たちが地球の一部である証でもあります。天気気候が万物普遍的に変化するのに対し、私たちの感情もまた同時に普遍的に変化します。それがある意味では生きている証であり、私たちのいのちが何を感受して感得して生きている実感を感じているかを味わう一つの感覚になっているのです。
この感情というものを向き合うことは、いのちと向き合うことに似ています。逆に感情を押し殺して無感情になろうとするといのちを避けていることになっていきます。
大切なのはいのちを丸ごと味わうことであり、感情を受け容れることで自然一体になっていくことがこの世で生きる仕合せにつながっているように思います。
色々ないのちと一緒に生きていく中に自分のいのちがある安心感はかけがえのないもので、どんなに感情を避けても自分の中のいのちや魂のようなものはどんな今も味わおうと積極的に生きています。それは身体が自分を生かそうとするように、自律神経が目覚めて活動しようとするように自然に湧き上がってくるものです。
自分に正直に生きていくということは、自分の感情を素直に味わい受け止めるということでもあります。自分のままでいい、素のままの自分が許されていることに気づくことが感情を愛することになるかもしれません。
一歩一歩大人になっていく中で、自分との出会いや付き合いは次第に深まっていくものです。自分というものを知り、自分というものを許し、自分というものを尊重し、自分のままであることに誇りを持つようになること。
自立とは、いのちの歓びでありこの人生への感謝です。
歴史に学び、先人たちの真の教えに触れ、一度きりの人生を生き子どもたちにその自由な背中を譲り遺していきたいと思います。