人間はそれぞれの時代を生きてきました。その時代時代に時代の特徴というものがあり、それは歴史を学べばその時代の背景や様子を観察することができるように思います。
人間は社會を形成する生きものですからどのような社會を形成したかでその時代を洞察することができるように思うのです。そしてその時代背景の中でどのように生を全うした人がいたかを私たちは学び、時には感動し、時には絶望し、その人々に共感するのです。
生まれた時代、そして場所が異なるだけで人生は多種多様な生き方がありそれを体験することで私たちは生まれてきた意味を知ります。改めて社會を変えていく仕事というもの、そして世直し業というものの本質を感じるのです。
現代という今を生きる私たちはどのような時代を生きているのでしょうか。
急速なスピード社會、大量生産大量消費の中で暮らしは消失して忙しく日々に追われるように生きています。個々のつながりは次第に断絶され、バラバラになってきているとも言えます。確かに便利になってなんでも思い通りになることが増えてきましたが、その分、心の満足感や充足感は感じにくい環境になってきているように思います。
時代というものは、その時代を象徴するような出来事があります。それが例えば、戦争であったり、天変地異であったり、人災があったりと様々です。どのような政治を行ったか、そして民衆は何を大切に暮らしを維持したか。その時代の価値観ともいうものもその時代時代に醸成されました。
明治の時代の価値観は、今の私たちでは理解できないものがあったり、もしくは江戸時代、鎌倉時代、はたまた縄文時代の価値観は今の社會では受け入れられないものばかりかもしれません。
しかしその時代は、その価値観で生きた人たちによって社會を形成したのです。
私たちは時代に学ぶ必要を感じます。
その時代時代に体験したことで得た智慧を如何に子孫たちに伝承していくか、それは時代を生きた世代の大きな使命であろうと思います。このような時代があり、みんなはどう生きたかという歴史の伝承は、未来を生きる子どもたちへの生きる問になっていきます。
そして今を生きる世代は、どのような背中を見せていくか。どのような社會を創ろうとするか、その姿勢が問われるのです。令和に時代は入りましたが、令和元年に生まれた子どもたちは22世紀まで生きていきます。
私などはどう頑張っても2100年を越えて生きることは不可能です。今世紀中には必ずいなくなるのです。だからこそ自分たちが創りたかった本当の社會、自分たちが学び、こうあってほしいと祈り願った社會の実現に向けてできることをやり切りたいと思うのです。
それぞれの時代で醸成された時代は、個の徳と社會の徳は合致していました。もう一度、徳の再構築を行い、この時代の徳を磨いていきたいと思います。