価値の温故知新

世の中には様々な価値が新たに生まれ、古い価値を覆いかぶせていくものです。大量生産大量消費の時代は、「古いもの=価値のないもの」のように新たな価値観で覆いかぶせては「新しいもの=価値のあるもの」というように新品を購入することを提案されていきました。

それは住宅に限らず、車から服、そして食べ物にいたるまで新しいものこそが価値であるということを宣伝され、そしてそのように市場も取り扱うものを変化させていきました。

そのうち、古いものというものは無価値になり二束三文で売り買いされ、さらには厄介者のゴミとして捨て去られていきました。この価値思想は大変危ない発想で、古いものに価値がないとするのなら誰にしろ古くなっていくのだから将来的な無価値になり厄介者になる可能性があるということです。

最初は物にそのような価値をつけましたが、人にもその価値をつけはじめたとするのなら、改めて自分たちの価値観を見つめ直す善い機会になると思います。

本来、この価値というものは価値観ともいいそれぞれの人にはそれぞれの多様な価値観が存在しています。ある人にとって価値がないものでも、ある人にとっては大変な価値がある。そうやって価値を決めるその本人によってそのものの価値が決まるということです。

そうやって価値観も価値基準も変化していきますから、何が価値なのかを流されずに判断することはそれだけ難しいともいえるのです。しかし、その中でも普遍的な価値という価値観というものもあるように思います。それはいくつかの価値基準の問いによって見極めることができるように思います。

例えば、これは100年後も1000年後にも価値があるものか。また世界にとっても価値があるものか、人類や子孫にとって価値があるものか。自分が死んだあとでも価値があるものか。等々、いくつかの質問を投げかけていくうちに普遍的な価値観に出会っていくように思うのです。

そうやって価値があるものを自分で見極めながら自分の価値観が時代に流されないようにしながら、時代の新しい価値観を一緒に創っていくことが温故知新なのでしょう。

私も子ども第一義の理念を掲げていますから、時代の最先端の情報技術をもって普遍的な価値観をどう発展させていくかに取り組んでいます。文化が伝承されてきた濃厚な智慧をヒントに、新しいことに挑戦していきたいと思います。