人間はどのような環境の中で育つかで、その育ち方が変わっていくものです。その環境には、多様なものがありますがその一つに人的環境というものがあります。これはどのような人たちに見守られて育ってきたかということです。
人間が、赤ちゃんで生まれてから死ぬまでの間、一人だけで勝手に育つことはありません。両親をはじめ、多くの縁に恵まれながら私たちは育ってきます。そしてそれは身近では兄弟や友人たちになりますが、よくよく人生を観察していると多くの赤の他人ともいえる人たちによって支えられていることがわかります。
人間社会というものは、決して一人で生きているのではなく数多くの方々の見守りのネットワークの中ではじめて生きているということを確信するのです。
例えば、子どもたちは人生の中で必要なものを探して自立に向けて挑戦していきます。その時、必ずだれか見守ってくださっている存在があり、その子が安心して挑戦していけるように手助けてしてくれています。
その手助けの方法は、直接的もあれば間接的もあります。しかし確実にその子がその手助けの存在を直観し、自分も支える人になろうという気づきを得て社會の中で自立していく力が育っていくのです。
人類の支え合うというこの仕組みは、決して民族間や国家間問わずあらゆるところで機能しています。私も半生を振り返ってみたら、留学していたときも多くの外国人たちに見守っていただきました。そして幼少期から社会に出るまでも、時には叱咤され、時には褒められ、時には感謝され、時には背中を見せ、言葉をかけ、指導をしてくださったお陰で今があります。そのご縁や御恩は、今の自分自身を支えています。
その支えられた記憶がある限り、自分もまた同様の支える存在になろうと困っている人をみたら真心で接し、世の中に必要なことを実感したらそれを自ら解決しようとする志につながっていくのです。
「志」はつまり支え合う中で醸成されてきたということです。
子どもが志を持つためには、社會の見守りネットワークの必要は絶対に不可欠です。多くの見守りがあればあるほどに、子どもたちは志を確かにし自分自身の人生を社會の中で立てていくことができるようになります。
そのためには、そのネットワークをまちぐるみ、また国ぐるみ、世界ぐるみで丸ごと構築していく必要があります。現代社会は、競争的で画一的になっていますから様々な支え合いシステムも資本主義経済の中で綻びをみせてきています。
新しい時代、新しい世代は、この問題に正面から取り組む必要があるように思います。私も残りの人生は、支えてくださった方々へのご恩返しのために見守る仕組みを世の中に温故知新して和合する社會のために貢献できるように挑戦していきたいと思います。