自然農の豊かさ

昨日、福岡にある自然農の田んぼで草取りと合わせてイノシシとスズメ対策を行いました。昨年、同じ時期に稲の花の咲くころに田んぼに入ってきてはぐちゃぐちゃにされましたから今年はと思っているとやっぱりまた入ってきていました。

自然と共に生活をしている野生動物の田んぼに入ってくるタイミングはいつも同時期でよく作物を観ているし、よく時機を外さないものだと感心するばかりです。大体、イノシシが入ったあとはスズメが入ってきますからこちらも毎回同じようにタイミングが分かってきますから対策もまた取れるものです。

昨日は、イノシシ除けの柵を設け、スズメ対策には釣り糸を田んぼに張り巡らせました。残りは、カメムシやウンカですがこればかりは農薬を使っていませんからどうにもならずカマキリや蜘蛛、その他の生態系を増やすことで対策を立てるしかありません。

今年は苗があまり元気がなかったからか、穂をつけるタイミングや根の張り具合などもあまりいいものではありません。しかし、野生の農場の中で様々な野草に負けず劣らずに真摯に生きる姿からたくさんの勇気と誇りをいただきます。

稲たちの育つ力を信じるということは、育つ方に加勢するのではなく見守る方に加勢していく必要があります。それが場づくりであり、それが環境づくりであり、関係性づくりです。

これらの相互扶助の努力によって、自然の恩恵を身近に感じていのちは充実していくのです。そのいのちの歩みと共に保育することは、自分自身のいのちを見守ることにもつながります。

自然農の豊かさというものは、収量のことが第一ではありません。どちらかといえば、この野生の中で自分もしっかりといのちを充実させていくその自然を味わい、自然の恵みや力を味わうことの豊かさがあるように思います。

お金では買えないもの、今の一般的な価値観では測ることができない喜びや仕合せがこの田んぼの中には無尽蔵に存在しています。

暮らしは、いつもわたしたちに本物とは何かを教えてくれます。引き続き、子どもたちの未来に向けて脚下の実践を積み重ねていきたいと思います。

智慧のつながり

物事の中にはないものの中から何かを産み出すという発想と、あるものの中から何かを産み出すという発想があります。しかしそれを突き詰めてみると、すでにあるものの中からしか産み出していないという事実を知ります。

どんな素材もどんな内容も、私たちの短い命の中の知識では見えていないだけで本当は永遠のつながりの中で存在しているものをちょうどよい時期に思い出して引き出したかのように産み出していくのです。

新しいものというものや古いものという時間的な感覚の中で私たちは、その新旧に意識が捉われていますが実際には本物があっただけです。その本物とは、すでにあるものの中からもっとも本質的であるものを産み出したということです。

その本物とは、歴史の中に存在していますし、自分の五感の中にも存在しています。そして記憶の中にも存在し、細胞の中にも存在します。そのほか、美意識の中にも存在し、場の中、空間の中にも存在します。

そういう存在を発見できる力こそが、本物を引き出す力なのです。

本物を引き出すには、自分が本物を知る必要があります。そしてその本物は、自然の智慧の中から引き出されていきます。私たちのいのちのつながりは、智慧のつながりでもあります。

智慧のつながり、まさにそれが伝統の力なのでしょう。

引き続き、暮らしの甦生や民家甦生から人類の甦生、社會の甦生を産み出していきたいと思います。

脚下の実践

人は、自分自身を如何に磨き練り上げていくかということに全生命を注入していくことのように思います。これを修身ともいい、人間は自立することではじめて人格と徳を兼ね備えた人物になるように思います。つまりは、人間が目指す理想の姿が修身によって人徳になるということなのでしょう。

しかし実際は人間はつい環境によって怠惰に流されますから、己と向き合い己を正すことは難しく、日々の自己との対話や正対をもって修練や修身をもって錬磨していくしかありません。

森信三さんは、自立ということについて様々な言葉を遺した方でした。この方の言葉には修身とはいかなるものかということが明快に記されています。

「いったん決心したことは必ずやりぬく人間になることです。」

「自己に与えられた条件をギリギリまで生かすことが人生の生き方の最大最深の秘訣である。」

「できないというのは本当にする気がないからです。」

「己を正せば、人はむりをせんでも、おのずからよくなっていく。」

「道徳とは自分が行うべきもので人に対して説教すべきものではない。」

「人間は徹底しなければ駄目です。もし徹底することができなければ、普通の人間です。」

「自分の当然なすべき仕事であるならば、それに向かって全力を傾け切るということはある意味では価値のある仕事以上に意義がある。」

自分自身、自己研鑽と自分の霊性を高めることこそが本来の自分のやるべき挑戦ということです。誰かと比較したり、自分の中で平均と調整したり、ここまでやったらとか評価を気にするのは、自己とはあまり関係のないことです。

自立というものの本質は、自分自身の初心や覚悟を磨いて人格を高めていくこと。そしてそのためにも人は協力し合うことで通してその学び合いの場を醸成していく必要があるのです。

自立と協力は、人間が学び高めていくために欠かせないものです。

子どもたちにどのような場を用意していくことが、もっとも人間として高まっていくのか。脚下の実践から、深く味わい創造していきたいと思います。

感謝祝詞

昨日、元土師宮だった郷里の老松神社でご先祖様たちへの感謝の祈祷をしていただきました。ここは、私の苗字と関係する先祖のルーツである野見宿禰をお祀りしておりその子孫である菅原道真も合祀しています。

もう1000年以上前に建立された神社ですが、今でも歴史を感じる境内とお社には清々しい風が吹いていました。今回は、特別な感謝祝詞を宮司様に用意していただき一族みんなでその祝詞を奏上するという具合に進行していきました。

その祝詞の内容が素晴らしく、記録のためにもここでご紹介します。

「安らかな心と清らかな気持ちで老松神社の神様の大前に謹んで申し上げます。神様の広く厚い御恵みや高き尊き教えによりまして親族家族たちが睦び和みましてこれからも力を合わせ心を一つに身を慎み事に励み、ご先祖様に喜びと感謝の心をもって麗しく奉仕する姿をご覧いただき子孫が永く栄え家も身もより高くより広く反映するやうに謹んでお願い申し上げます」

思い返すと、はじまりを辿れば最初の二人が私たち子孫の両親です。そしてそれから何度も枝分かれしていき今の私たちまで到達したことになります。苗字もむかしはなく、時には名前もなかったかもしれません。

その今の自分があるのは誰の御蔭様かと感じるとき、偉大な恩恵を思わずにはおれません。そういう今までの経緯を偲び、尊敬と信心を思う中に非常な感謝の心が湧き出ます。

宮司様からは、神社とは本来は感謝をするところですと話がありましたがまさに私たちは今の自分の存在に対して偉大な畏敬の念を忘れることがなかったからこの伝統や信仰が今でもしっかりと残っているように思います。

お盆やお彼岸は、先人たちの霊や魂が帰ってくると信じられていました。遠大な歴史と膨大な人々の魂を鎮めることは、今の私たちがそれを継承していることを思い出し感謝し続けることです。

子どもたちの一部として私たちの魂は生きていきますから、今しかできないこと、この生きる意味を確かなものに転換していきたいと思います。

 

新しい経済

現在の世の中はなんでも使い捨てるように動いているように思います。まだ使えるものでも、消費社会の中で消費していく。私たちのことを消費者とも呼び、常に何かを消費することで経済に貢献するという言い方です。

最近では、SDGsの関係からエシカル消費という言葉も出てきました。これは「倫理的」という意味で、倫理的消費という言葉に訳されます。簡単にいえば、できるだけ倫理的な商品を買うことで社会を変えていこうという言葉です。

具体的にはよく聞く言葉に「フェアトレード」や「オーガニック」や「地産地消」、「障がい者の支援につながる商品」、「応援消費」、「伝統工芸」、「動物福祉」、「寄付付き商品」、「リサイクル・アップサイクル」、「エシカル金融」なども言われます。

つまりただ単に消費するのではなく、消費に伴う文化的価値や社會をよりよくするであろうと思われる長期的な循環経済のために消費を見直そうということです。

現在は、使い捨て消費がいきついて資源が枯渇するまで消費しようとする世の中です。そのうち資源が尽きて限界に達し、循環する仕組みそのものまで崩れていきます。自然環境の破壊だけでなく、人間社会の関係もまた破壊されていきます。

そうならないように、如何に社會をよりよくしていくかというのは人間社会の最大の使命であり課題です。

私は今の消費というものを少しよくしようと考えても価値観の転換までは難しいのではないかと感じています。本来のあるべき姿は、自然から少しお借りしてお返ししたり、もしくは自然に対して私たちが貢献する分からの利子で暮らしを豊かにしていくといった先人の智慧こそこの時代の価値観を変える原点になるのではないかと感じています。

人間は生き方が変わらない限り、社會も変わることはありません。しかし言い換えれば、生き方が変わるからこそ社會もまた変わるのです。

子どもたちが安心して暮らしていける世の中にするために如何に今の世代が挑戦するかが大切です。新しい経済、新しい価値観、新しい時代を創造していきたいと思います。

本来のはじまり~祈りの原点~

神仏習合と神仏分離という言葉があります。日本にはもともと八百万の神々という思想がありますから、本来はすべてのものには神様が宿っているという自然信仰ですが歴史の中で色々と意図的に変化させられてきたとも言えます。

神仏分離や廃仏毀釈においては明治政府が発令した神仏分離判然令を含む、神仏分離に関わる法律の数々、その目的はそれを起草した人々の思想を少し紐解くとわかります。

例えば、津和野藩の藩主亀井茲監、福羽美静らが主導となって、神仏分離令と呼ばれる種々のお布令が出ます。これは、祭政一致・国家神道の確立を目的にして国家をまとめる宗教の体系化、国家を精神的に一つにまとめること。そして徳川の時代の否定として徳川幕府の時代に人民の管理をする役所のような働きをしていた寺院からの支配権の奪取や、思想的な改革をすること。

この明治の頃の神仏分離令は、西欧列強に負けないように国家を一つにまとめ上げる為に行われました。この神仏分離令は仏教を中心に排除しましたが同時にキリスト教等の排除も行ったといいます。

そして廃仏毀釈がはじまります。仏像、建造物、経典等々、後世に蛮行と言われる考えられないような破壊を繰り返したのです。これにより寺院は半数が日本から消えたと言われ、残った寺院でもその規模は大きく縮小したといわれています。

ここまでして結果的には政府の目論見は失敗したといいます。国家をまとめるために利用した神道を国民全体に布教するために設立した神祇省も機能せず結果的には数年で廃止し、代わりに仏教側の手助けを借りて設立した大教院・教部省ができますが、それもすぐに廃止され国家神道を国民に行きわたらせることはできませんでした。

神仏分離により、それまでの神仏習合の神様まで名前も分離され仏教の影響を取り除こうとしました。そして本来の寺院の名前も新しく塗り替えられたために、うちの地元のように妙見宮という名前がなくなり日若宮になったり、八龍宮が水祖神社になったりとそのまま変わったままです。

そして戦後、昭和20年にはGHQが政府に対して発した覚書(国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ 保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件)とし、覚書は信教の自由の確立と軍国主義の排除、国家神道を廃止し政教分離を徹底しました。

このように今、私たちが見知っている宗教はそれまでの過去の歴史のものとは別のものになっています。本来のはじまり、神仏習合からの現在までの歴史も書き換えられたのはほんのこの100年前後のことです。

自分たちが暮らしの中で祈り育んできた道徳は、頭で認識するものとは別に遺伝子じめ伝統と伝承の中で私たちの文化の血肉に根付いています。その証拠に、日本人は有難いや勿体ないやご縁、そして慎まさや礼儀正しさ、正直さなどをもっている人ばかりです。

引き続き、本来のはじまりを深めながら子どもたちにあるがままを伝承していきたいと思います。

祭祀の場

むかしは屋敷神というものがあり、家の庭やその裏山に古木や自然石などの依り代を設け祭祀を行っていたといいます。そもそもは古くから死んだ祖先の魂が山に住むと信じられてきた信仰が背景にあり、屋敷近くの山林に祖先を祀る祭場を設けたのが起源だといわれています。

私たちの伝統のお彼岸やお盆のように、神霊や魂というものは一箇所に留まることはなく特定の時期にのみ特定の場所に来臨して祭りを受けた後、再び帰って行くものだと信じられてきました。

その時に、依り代になるものが必要であるために古木や自然石を祀りそれが次第に祠や社が建てられるようになっていきました。

これは、神様や神霊や魂が常にこの場所に常在すると信じられるようになったからだといいます。そのうち屋敷神が建物や土地を守護すると信じられるようになって今に至ります。

しかし、今では洋風建築が主流になり神棚すらなくなっている昨今の変化において屋敷神を祀るところなどほとんどなくなってきました。むしろ、田舎の古民家や敷地にある祠は手入れされず痛みも酷く、井戸と同じように撤去されて消失しています。

この屋敷神は民俗学者の直江広治氏によると、大きく三つに分類することが可能だとされています。その一つ目「一門屋敷神」はある集落内の一族の中の本家が屋敷神を持ち、一族が揃って本家で祭祀を行う形態。二つ目は「本家屋敷神」で、集落内の本家筋に当たる旧家だけが屋敷神を持ち、その家のみで祭祀を行う形態。そして三つ目の「各戸屋敷神」は集落内の全ての家で屋敷神を持ち、それぞれで祭祀されている形態だといわれます。

かつてはどの家でも、何かしらの祭祀をし祖霊や祖先、氏神様や地神様をお祀りしていました。年間に春と秋には、お田植祭や新嘗祭などを実施し、先人や神様、風土への感謝の気持ちを祈り祭祀を欠かしませんでした。

今ではそういう見えないものへの感謝よりも、目先の可視化された科学だけを信じる傾向が強くなってきました。本来の科学は、自然を可視化してきたものですが可視化できないものの中にこそ本当の自然はあります。

その自然と暮らしていくなかで、私たちが代々と脈々と体験したことは祈り祀ることで伝承されていくのです。

子どもたちがむかしの暮らしや場を通して、先人たちの恩が送られていくように私のできることで挑戦していきたいと思います。

観えない質量

事物は一つの事だけに一つの作用というということはありません。一つの事物には複雑で偉大なつながりがありますから一つの作用は全体に大きな影響を与える複雑な作用になります。

例えば、一つの作用に対してどれだけ本質を突き詰めたかどうかでは全体に与える影響が変わっていきます。練習の一投と、本気の一投ではその全体に与える影響が異なります。

どれだけ事物に本気に、どれだけ深め、そして極め、何よりも本質のままに取り組むからこそ多大な影響を全体に与えるのです。そしてそれを可能にするのは、その人の初心に対する向き合い方や、正直に取り組む本気の覚悟、また志を貫き実践する真心によって決まります。

事物には、そこに可視化することができない観えない質量が存在するということです。これは「祈り」にも似ています。真摯に祈り、実践し行動することの中には無駄がありません。それは祈りが与える影響が複雑な作用を産み出すからです。

人が議論をするとき、すぐに作用のある側面ばかりについて話します。そのために「何のために」ということの本質は語られにくくなっています。それを突き詰めている人だけが本気の議論ができ、そうでない人は意味が分からないから話が深まらないのです。

人はその行動において、また事物はその現象において「何のために」が問われています。どの行動にも現象にも理由があり、その理由こそが本質に適うからこそ明確な影響を実感することができるのです。

私が取り組んでいることも、なかなか理解されることがありません。ただの奇人変人の部類のように思われているかもしれません。しかし、子どもたちの未来を案じ、今の自分たちが磨くことの大切さを肝に銘じ、私の身体と心のすべてでできる実践のみを積み重ねています。

いつの日か至誠の積み重ねによって志を継いでくれる方が顕れ、先人たちの真心をあるがままに伝承できるように祈り育てていきたいと思います。

景観とは何か

以前、ドイツに訪問したときにその街並みの美しさには感動したことがあります。ドイツでは、戦後の復興の際に戦争で破壊された街を時間をかけて元通りの美しい街並みに復興するために都市計画を立てたといいます。

それを着実に数十年取り組んできたことで、今ではドイツらしい温故知新に取り組み街並みもそれに応じて美しく変化したのかもしれません。

歴史を調べると日本では関東大震災後にアメリカの都市美運動の影響を受け、都市計画関係者の間で「都市美」という言葉がしばしば用いられたようですが激化する戦争、戦災からの復興、高度経済成長という過程の中では合理性や経済性が優先され景観への配慮といった要素は主観的なものと考えられ軽視されるようになったといいます。

そして高度成長期以降は生活様式の変化で自然、都市や農村の景観も大きく変化し、鎌倉、飛鳥、奈良、京都といった日本の文化史上特に重要と考えられる地域まで合理性と経済性が入り込み景観が壊れていきました。

長い目で観て復元をしてきたドイツに対し、日本は目先の損得が押し切られ様々な法律が裏目に出るようになり古い町並みや古い建物は復元することもできず凄まじい勢いで壊され便利な建物、便利な街に変化していきました。田舎にもフランチャイズの店舗や、大型マンションが建ち、どこもかしこも画一的な街並みになっていきました。

2003年には国土交通省から「美しい国づくり政策大綱」を策定されました。そして2004年(平成16年)に景観法が制定され「美しく風格のある国土の形成、潤いのある豊かな生活環境の創造及び個性的で活力ある地域社会の実現」が目的にされています。しかし具体的にこの景観法が何ら規制を行うものでないためそれぞれの自治体が景観計画などを定める必要があるといいます。

みんな我先に、自分さえよければいいと好き勝手に利益ばかりを追い求めてしまうと街並みが壊れていきます。これは自然の中に都市を勝手につくり、様々な生き物たちが追いやられていくことに似ています。

本来の都市とは何か、その土地の風土の中で共生していくとは何か、そういうものよりも経済合理性のみを追求してきたツケが子孫たちに残されていきました。長い目で観て、経済合理性だけではない道徳的なものを如何に大切にバランスを保って維持するか。

世界が今、取り組んでいるSDGsも同様に持続可能な経済をどう保つかはこの経済と道徳の一致を目指すからです。

まとめればつまり、景観にはその景観に生き方が映るということです。その景観が美しく豊かであればそこの人々の生き方が映ります。そしてまた景観が懐かしく新鮮であればまたその場所の人々の生き様が映ります。

都市計画とは、生き方計画でもあるのです。

子どもたちがどのような街で暮らしていくか、子孫たちにどのような生き方を伝承していくか、私たちは今こそ、戦後復興のプロセスから学び直し、本来の復興とは何か、原点回帰してまちづくり、国造りをしていく必要を感じています。

今、私にできることから取り組んでいきたいと思います。

暮らしの喜び 

以前、スイスやドイツ、オーストリアの田舎を旅したことがあります。そこには美しい景色の中で暮らす人々の姿もありました。その景観はまるで一体化しており、どこまでが人工物でどこまでが自然物かわからないほどでした。

日本にも、いくつかの里山ではむかしからの懐かしい風景が残っている場所があります。ここと同様に、暮らしの景観というものはその風土と一体になっている美しさがあるように思います。

現代は、風景や景観などは気にせずに自分の好きな建物を建てようとします。ある場所に行くと突然、派手な色の西洋建築風のものがあったり、田舎に都会的な建物があったり、風景や景観などは気にせずに自分の好きなようにしています。または、駐車場にしたり、倉庫にしたり、廃材置き場にしたりと、それも好き勝手です。

風景や景観が壊れても気にせずに、自分の都合ばかりを優先するうちに景観や風景の美しさが次第に消失していきます。

私たちは風景や景観というものの恩恵をたくさんいただいています。美しい景色の中に自分があるということの存在価値が自分の美しさも引き出していきます。先ほど紹介した海外の田舎の風景のように、自然と一体化して美しい建物がある場所はそれだけで懐かしさや落ち着いた安心感、その人々の暮らしの喜びが伝わってきて美しいさに見とれます。

この暮らしの喜びとは、風土に存在するだけで恩恵を与えられている仕合せに生きることです。その風景や景観の恩恵に感謝しながら暮らすからこそ、先人たちや風土人たちの家や建物はその風景や景観と一体になるものを建てるのです。そうすることでその風土の自然が循環し、穏やかに持続し、共生し合えるようにその土地の材料を活かし、その風土の循環がさらに調和し活性化するように暮らしを組み立てることができたのです。

この暮らしの「美しさ」というのは、そのようにお互いに恩恵を享受し合い利他を実践しながら生きる姿です。美しい暮らしとは、お互いに利他の実践をし徳を積みながら自然を美しみ、共生を愛し、貢献し合うことに仕合せを味わう日々を送ることだと私は思います。暮らしが消失し、暮らしの美しさが消えたのはなぜでしょうか。個々人が好き勝手に利己的に生きる姿の中が増えてきたことが原因ではないかと感じています。

日本人の本来の美しい暮らしを甦生することは、日本の風景を甦生させていくことです。そしてこの美しい暮らしの甦生には、この自然や風景や景観は欠かせません。自然の恩恵に気づき、自然を味わい、自然を大切に共に生きていく。子どもたちのためにも今、私ができるところから守り育んでいきたいと思います。