むかしは屋敷神というものがあり、家の庭やその裏山に古木や自然石などの依り代を設け祭祀を行っていたといいます。そもそもは古くから死んだ祖先の魂が山に住むと信じられてきた信仰が背景にあり、屋敷近くの山林に祖先を祀る祭場を設けたのが起源だといわれています。
私たちの伝統のお彼岸やお盆のように、神霊や魂というものは一箇所に留まることはなく特定の時期にのみ特定の場所に来臨して祭りを受けた後、再び帰って行くものだと信じられてきました。
その時に、依り代になるものが必要であるために古木や自然石を祀りそれが次第に祠や社が建てられるようになっていきました。
これは、神様や神霊や魂が常にこの場所に常在すると信じられるようになったからだといいます。そのうち屋敷神が建物や土地を守護すると信じられるようになって今に至ります。
しかし、今では洋風建築が主流になり神棚すらなくなっている昨今の変化において屋敷神を祀るところなどほとんどなくなってきました。むしろ、田舎の古民家や敷地にある祠は手入れされず痛みも酷く、井戸と同じように撤去されて消失しています。
この屋敷神は民俗学者の直江広治氏によると、大きく三つに分類することが可能だとされています。その一つ目「一門屋敷神」はある集落内の一族の中の本家が屋敷神を持ち、一族が揃って本家で祭祀を行う形態。二つ目は「本家屋敷神」で、集落内の本家筋に当たる旧家だけが屋敷神を持ち、その家のみで祭祀を行う形態。そして三つ目の「各戸屋敷神」は集落内の全ての家で屋敷神を持ち、それぞれで祭祀されている形態だといわれます。
かつてはどの家でも、何かしらの祭祀をし祖霊や祖先、氏神様や地神様をお祀りしていました。年間に春と秋には、お田植祭や新嘗祭などを実施し、先人や神様、風土への感謝の気持ちを祈り祭祀を欠かしませんでした。
今ではそういう見えないものへの感謝よりも、目先の可視化された科学だけを信じる傾向が強くなってきました。本来の科学は、自然を可視化してきたものですが可視化できないものの中にこそ本当の自然はあります。
その自然と暮らしていくなかで、私たちが代々と脈々と体験したことは祈り祀ることで伝承されていくのです。
子どもたちがむかしの暮らしや場を通して、先人たちの恩が送られていくように私のできることで挑戦していきたいと思います。