昨年、ルーツを辿ったことで先祖代々がどのように一生を歩んできたかを学び直す機会がありました。その御蔭でお墓参りにいくところが増え、この盂蘭盆会の時期はいつも以上に活動的になっています。
それに加え、むかしからの暮らしの甦生に取り組んでいると室礼をはじめ伝統的なものを伝承するためかなりの時間を要しています。
先日のブログにも書きましたが、むかしは常に心豊かに先人とのつながりやご縁や御恩などを感じながら感謝で歩んでいましたから今のスピード時代には合わない手間暇を喜んでかけていましたから改めて今の社会のありようを内省する機会になっています。
そもそも時間というものは、単にスピードだけを現わすのではなく「豊かさ」を顕しているようにも思います。持ち時間は人それぞれに異なり、ある人は永遠の時間を持ち、ある人は一瞬の時間を持ち、それぞれの生き方で時間の質量は異なります。
人生の永さも人それぞれに異なるように、想いの永さも、肉体の永さも、すべてその人の時の中に存在しています。
その時を豊かにしていくというのは、すべてを永くしていくということです。つまりは、寿命を全うするということかもしれません。自分自身の今にどれだけの覚悟と哲学と実践を凝縮させているか、そしてそれを今に集中し切るほどに心が一つになっているか。そこに生き様が顕れ寿命もまた盡されます。
畢竟、人間は生き方が時間を決めるということでしょう。
一期一会に自分にしかできないことをやり遂げて、ご先祖様に恥じないように天命に生きていきたいと思います。