昨日は、お墓の掃除やお盆の室礼、お花の手入れなどを行いました。この夏真っ盛りの時期に、この強烈な暑さと線香の組み合わせに懐かしいものを感じます。
最近では、少子化の影響もあり無縁仏にならないように墓じまいするところも増えてきているともいいます。お寺によっては永代供養や墓守をするところも増えてきています。
思い返せば私もなんとなく幼いころから祖父母に従って墓参りをしていましたが、現代の都市化した生活に墓というものは遠い存在で、仏壇も神棚もなくなってきている近代住宅においては余計に印象も薄くなっているように思います。
そもそも日本の墓の起源を辿れば、古事記の神話にある千引岩だといわれています。これはあの世とこの世を結ぶ場所に置く、岩が境界線であるということを示しています。世界のお墓事情になると、お墓を持たずに埋葬するところもたくさんあります。
日本においても、縄文や弥生時代に死者を弔うために石を用いたともいいますがその後は鎌倉時代ころまでは五輪塔や多宝塔などといったものがありましたがお墓は江戸時代に入るまではそんなに一般的なものではなかったともいいます。江戸時代までは天皇家や殿様、特権階級に墓はありますがそれ以外の階級ではお墓は禁止されており川辺、海岸、山の中で埋葬されていたともいいます。ではなぜ江戸時代から一般庶民までお墓を持つようになったかといえば、島原の乱以降、政治的にキリシタンの取り締まりと寺院による檀家制度によってすべての人たちの先祖代々の帳簿のようなものを記録するようになったからだといいます。
明治に入ってからは、家ごとに埋葬する仕組みが導入されそれぞれの家単位でお墓を建立していきました。そういわれてみれば、過去帳には先祖の名前がありましたが墓は江戸時代以降からのものと明治以降のものがほとんどです。
何のために墓地を持つのか、当然、自分が死んだ後に埋葬する場所が必要な時代でもありどのように亡骸を片付けるかも考えないといけません。生きているうちはあまり死のことを思いませんが、人は誰しも必ず死にます。だからこそ、死をどのように受け止め、死をどのように受け入れ、死を準備することは生きるためにも大切なことです。
先祖たちもそのように死と向き合い、生を全うしてこられたからこそこのお墓のことを考える機会があることは大切な行事であろうとも私は思います。
ちょうどいい機会、今年もこの盂蘭盆会の時期に子どもたちに伝承したい本質を深めてみたいと思います。