世界にそれぞれに国家というものがあります。国家には国家理念というものもあります。どのような国にするかというものをそれぞれで決め、それに向かって国家を成長させていきます。
日本という国は、今の世の中が示すような国家を形成しましたがその国家像は果たして本来の日本人が実現したかった国家だったのかと振り返る必要を感じます。
かつて明治維新の時、列強諸国に負けないように急ぎ国家というものを形成しました。しかしその国家は、列強諸国に負けないための国家であり本来の日本人が目指した国家ではありません。急ぎ、国力を蓄え、国家にするために私たちの先祖は国家理念の基礎の上にではなく借り物の国家理念で国造りを進めていきました。
私たちでいえば本来の国家理念とは、創始理念のことです。
創始理念というものを遡れは神武天皇に行き着きます。その即位建都の大詔にはこう記されています。
『夫れ大人の制を立つる、義必ず時に随ふ。 苟も民に利有らば、何ぞ聖の造に妨はむ。且当に山林を披き払ひ、宮室を経営りて、恭みて宝位に臨み、以て元元を鎮むべし。上は則ち乾霊の国を授けたまひし徳に答へ、下は則ち皇孫正を養ひたまふ心を弘めん。然して後に六合を兼ねて以て都を開き、八紘を掩ひて宇を為むこと。亦可からずや。夫の畝傍山の東南、橿原の地を観れば、蓋し国の墺区か、治るべし。』と。
意訳ですが、「大人が制度を立てるにあたっては、必ずその時勢に順応した良い制度を立てること。もし苟も人民の利益になる事であったならだれか聖人の制定したものであっても、その制度を変更するに妨げることはない。私はいま山林を開き伐採して宮殿を築造経営して恭しい心持で天皇の位に即き、人民の安寧と幸福とをはかろうとしている。そして上は神が国を授けたもうた其の御神徳に答え奉り、下は皇孫以下が正しい心を養成するように、そして天下を治める都を定め、その徳を弘め、世界の八方の荒れたる隅々までも一つの家庭とし、人類皆兄弟として互いに手をつなぐべき目的を実現するために、畝傍山の東南、橿原の地に都をつくるのだ」
みんなでよく話し合いながら、制度は変えていきなさい。そして人類みな兄弟として仲よく暮らしていきなさいということが記されています。
どのような国家を形成しようとしたか、その言葉や文書から読み取れます。私たちはその理念にそって、現代でもそれぞれに家庭を築き、社会や会社を築き、その理想の実現に向けて各々で取り組んでいます。
目的を忘れないようにしていくことが、国家というものの本来の姿を顕現していくことになるのです。子どもたちに大切な創始理念が受け継がれていくように、私も世界に誇れる日本の国家を今いる場所から発信していきたいと思います。