人は立場で色々な肩書を持つものです。その肩書は、その人の立場を現わすものですが実際にはその人の生き方を現わすものではありません。社長でも医者でも、先生でもなんでも肩書や立場が分かってもその人の生き方は別なのです。この肩書や立場はあくまでその人が何の技術を持つ人かはわかりますが、実際にその能力や技術もどれくらいあるのかはわかりません。
世間の評価があって実績を持っていても、実際にその人のことを深く知らなければ本当の意味での実力はわかりません。そう考えてみると、肩書や立場や能力ではなくその人の生き方のみがその人本来の姿を顕すように私は思います。
生き方というものは、その人が何を優先して生きているかということです。それを信条ともいい、信念ともいい、理念ともいい、初心とも言います。その決めた生き方を貫かれている方か、それとも事に乗じてそれらを出したり引いたりしている方か。それは生き方に出てきます。
どんな時でも自分が決めた覚悟や決心に生きる人は、生き方を持っています。
この生き方というものが本来の質を左右するように思います。そして人間は本当に信頼するかどうかもまた、その人の生き方を観た時です。
常に大切な選択をするとき、その人は信念を貫いたかどうか。
これは大切な判断基準です。何のために生きるのかを設定すれば、何のためにこれをやるのかは自ずから顕現します。そして何のためにやるのかを決めたら、それを実行するためにあらゆる手段を模索していきます。
実際に肩書や立場で生き方がない方は、手段ばかりが目的になり中身がありません。そしてそのうち本来の目的も忘れ、その目的すらも手段の一つにすげ変わってしまいます。本来、守ることがあってはじめたことが守るものがすげ変わっていくような具合です。
だからこそ生き方が常に問われるのです。
生き方は、その人の信用を決めますしその人の人生を決めます。これは経営者であれば、理念こそすべての目的であり、そのための経営は手段であるからこそ必ずその理想はいつの日か実現します。だからこその生き方が優先なのです。
生き方を自分が守ることは大変なことです。なぜならそこには常識を破ったり、想定外の冒険をしたり、誰もやらなかったことに挑んでいく必要があるからです。
しかし悔いのない人生が訪れ、自分の心の声や魂に従うことができてきます。自分らしい人生と、子どもたちが憧れる生き様が訪れます。
一緒に取り組むということは、生き方を一緒に目指していくということです。引き続き、自分自身と正対しながらかんながらの道を歩んでいきたいと思います。