料理は生き方

聴福庵での竈を使った料理の実践が増えているからか、料理の際に五感を使うことが増えてきました。例えば、気が付けば音を聴いたり、臭いを嗅いだり、また湯気を見たり、味見してみたりと、あらゆる五感を鋭敏に使って料理をしています。

少し前は、ほとんどが頭で目を使って分量などを確かめながらやっていましたがほとんど今では分量に頼らずに感覚で調味料などを入れています。

さらに、出汁を中心に調味料の取り方も変わっていき、調理法も次第に原始的になっていきます。つまり遠赤外線の力でやったり、水や炭火にこだわったり、鉄鍋や道具などの選定も細かくなっていくのです。

もっとも変わるのは手間暇のところかもしれません。

敢えて手間暇をかける、丁寧に時間をかける、手作業で行うなど、感覚を使うものばかりが増えていくのです。

私たちは人間に合わせて道具を用いますが、その時々の人間の思想が道具には出てきます。法隆寺の大工が、むかしの槍鉋を使いこなせるように精進するように、今の全自動の電気鉋などを用いることはありません。しかしそれは単に便利か便利ではないかでそうしているのではなく、その時代の職人たちの意識の高さや取り組む際に心の清らかさ、そして姿勢のよさ、美しい生き方が創るものに宿っているのを実感するからこそそのむかしの道具を使いこなしながら先人の生き様から心技体を学んでいくのです。

料理もまた、原始的なものを用いれば用いるほどに先人の生き様に触れその生き方から自分を磨き上げていくことができます。料理には、生き方が宿ります。

子どもたちに料理を伝承するためにも、むかしを慮り今を新しく創造していきたいと思います。