私たちは皮膚で温度を感じますが同時に「ぬくもり」というものを別で感じているようにも思います。このぬくもりとは、いのちの温度でありそれは単なる冷熱ではなくまさにその温度の超えた存在のぬくもりを五感で直観しているともいえます。
例えば、「手仕事のぬくもり」というものがあります。心を込めてゆっくりと丁寧に手を使ってつくりあげたものにはぬくもりを感じます。機械で簡単便利にさっさと仕上がったものではなく、一品一品丁寧に時間をかけて取り組んでいればいるほどそのものからぬくもりが出てきます。
このぬくもりは、一体何処から来るのか。私たちはこの不思議さに気づけるかどうかで暮らしの豊かさも変わってきます。そして何よりこの暮らしの豊かに気づくには何よりも先に「手入れ」というものをまず学ばなければなりません。
「手入れ」とは、そのもののいのちに触れて甦生させていくことです。つまり、そのもののぬくもりに直接的に触れることによってその「いのちのぬくもり」を味わうという一連の動作のことです。拭いてあげたり、磨いてあげたり、整えてあげたり、修繕してあげたりと直接的に触れて甦生させていくのです。
私は日々の暮らしの中で、手入れを楽しんでいますがこれはぬくもりを味わっているということです。
無機質で機械的に手仕事ではなく造られたものはあまりいのちのぬくもりを感じません。しかしそれも少しだけでも手を入れてあげれば、ぬくもりを感じられるようになります。具体的には、生け花を添えたり、手漉きの和紙を敷いたり、何か見せ方を設えてあげることでもぬくもりは現れます。
生きものたちはみんなそのぬくもりを感じることで、いのちの仕合せや豊かさを感じて自然と合一して心を平和にしていくのです。
今度、BAでは志半ばで斃れた友人の遺志を石に刻むことにしています。その友人は生前にこういう言葉を遺していました。
『頭でひねり出した理論的正しさだけではなく、コードを書くこの手の感性を信じること。それが、自分が書くコードと世の中をリンクさせ、ソフトウェア開発のダイナミックさを引き出す道だと思う。だから、どんな立場になっても、コードのそばにいるよ。』(高橋剛より)
この手の感性を信じるということは、「ぬくもり」を持って取り組んでいくことが何よりも大切なのだと私は受け取りました。そのいのちのぬくもりを感じながら、取り組んでいくことでいのちは様々な世界に融合し広がっていくということ。
自他を自然にして、「いのちの中に入る」ということが私たちは「この世で何かを産み出す」ということなのでしょう。
BAは間もなく開校しますが、有人の見守りをいつでも感じながら前進できるように石碑にその言葉の真意を刻みます。子どもたちに、先人の生き方が伝承できるよう私自身もぬくもりを大切にしながら取り組んでいきたいと思います。