私たちは死んだら必ず土に還ります。いのちは地球から出てきて、私たちは地球のものを食べ、いのちを分けてもらいながらこの地上で役割を果たしていきます。そのいのちを充実させていくことを暮らしといい、死ぬと墓とかくようにいのちは地球の内部をまた循環していきます。
それなのに、この人類はこの地上を農薬などの科学物質で汚し穢し舗装をしては呼吸をできなくしていきます。温暖化というのは目くらましで、本来は地球の循環を止めていくことで人類が好き勝手にできる領域を増やしていくのがグローバリゼーションの本質なのでしょう。
人類の仮想空間とは、自然から乖離した人類だけが中心になり存在する世界を築くことです。今のAIの台頭もまた、進化により過渡期に入ったということでしょう。仮想の生命は電気がなくならない限り死ぬこともなく永遠ですから、これでついに人類の夢がひとつ叶ったと言えるでしょう。
しかしです、そこにいのちはありませんし循環することもありません。私たちは、仮想世界の密度が上がっていくことと同時に「いのち」の存在をはっきりと自覚するようになっていきます。それは人間には死があるからです。
地球の中で循環することは、私たちに本当の永遠をもたらしてくれます。それはその時々の深い人生の味わいを感じることができるからです。これらの感じる力は、いのちの充実によって行われます。
そしていのちが充実するのなら、そこには必ず循環の幸福があります。
いくら化学が進んでも、いくら文明が究極的なレベルに高まっても決していのちが充たされることはありません。そして必ず最期はその循環の幸福を求めるはずです。
自分たちが一体、どのような存在であったのか、知識量が膨大に増え頭がこれだけよくなった時代なのだから少し考えればわかるはずです。
子どもたちに循環の幸福が伝承できるように、暮らしフルネスを場で弘めていきたいと思います。