ブロックチェーンの神様

BAで建立した神社にご鎮座していただく神様を勧請するために秩父神社に参拝してきました。もう何年も前から、ご縁をいただき古神道をはじめ様々な伝統的な習わしなどを教えていただきました。

古来より、なぜ変えてはならないものがあるのか。そしてこの神社の仕組みの本質とは何かをここで学ばせていただきました。

今回、BAの技術を末永く見守ってくださる神様に「オモイカネ」という神様をお迎えします。この神様は、『古事記』では思金神、常世思金神(とこよのおもいかねのかみ)、『日本書紀』では思兼神、『先代旧事本紀』では思金神、常世思金神、思兼神、八意思兼神(やごころおもいかねのかみ)、八意思金神と表記されています。

系譜では、高御産巣日神の子であり、天忍穂耳命の妻である万幡豊秋津師比売命の兄とされ智慧を司る神様とされています。具体的には岩戸隠れの際、天の安原に集まった八百万の神に天照大御神を岩戸の外に出すための知恵を授けたことで有名です。また国譲りでは、葦原中国に派遣する神の選定を行っています。その後、天孫降臨で邇邇芸命に随伴したとされています。

名前の由来も(八意)思金神の「八」を「多い」、「意」を「思慮」と解し、「八意」は思金神への修飾語、「思」を「思慮」、「金」を「兼ね」と解し、名義は「多くの思慮を兼ね備えていること」と考えられているといいます。

もともと神道は自然崇拝のため神様の多くは自然を司る神様が多い中でこの「オモイカネ」は珍しく「知恵・思考・思慮」という概念を神格化した神様だとも言えます。

今回、この「オモイカネ」を勧請する理由は、BAでブロックチェーンの技術者を見守り、平和にブロックチェーンの技術が世界に展開していけるようにその技術を見守る神社にするためです。新しい先進技術がこれから誕生するとき、無から有を産み出していきます。その時こそ、智慧が必要でありその智慧が日本の叡智で構成されていくことで世界へ貢献していくことができます。まさにブロックチェーンに相応しい神様です。

そしてこの「オモイカネ」は、他にも木工・金工職人守護というものがあります。これはオモイカネのもう一つの表記「思金神」という名前から大工の道具の曲尺(カネジャク)とつながり、建築関係でもご利益・御神徳もあるからです。今でも、伝統的な建築現場の仕事始めの日に行われる手斧初(ちょうなはじめ)という儀式では、オモイカネを祀っています。つまり「匠の神様」でもあるのです。私がブロックチェーンストリートで、古民家甦生をしていくことを見守っていただくためでもあります。

そして他にも「オモイカネ」は、天気を司る力もあったといいます。天候を読み、天機に長けていたということです。新しい時代の節目に、天機を活かせるように見守っていただくためでもあります。

秩父神社の縁起では人皇第10代崇神天皇の御代の11年(紀元前86年)に初代国造である知知夫彦命(ちちぶひこのみこと)が、神祖 八意思兼命を奉斎したとあります。そしてこれが秩父神社から分祀分霊する理由です。

不思議なご縁ですが、私がこれから取り組むBAでの徳積に大いに深い恩恵を授けてくださると思います。出会いを大切に一期一会のご縁を深めて厚くし、子どもたちの未来に一石を投じていきたいと思います。

徳の推譲

昨日は、日光にある報徳二宮神社にて年頭祈祷をしていただきました。厄年を迎えるにあたり、飛躍の役であると思いを転じ、二宮尊徳の禍福一円観をさらに深めようと毎年来てはその教えを学びました。

今年は、徳積財団の設立も予定しており改めて二宮尊徳の生き方を現代に甦生し心田開発と復興を心に誓うためにも改めて報徳への心を新たにする機会になりました。

二宮尊徳の生活訓の中にこういう一文があります。

「国家の盛衰存亡はおのおのの利を争うのはなはだしきにあり、我が教えは、この悪弊をのぞきて安楽を得しむるにあり。」

それぞれが自分のメリットだけを追い求めていけば国家は必ず盛衰存亡に陥る。私はこの人間の持つ特性をのぞいて人々の心の荒廃を取り除くことであるという意味です。

別の言い方では、これを心田開発という言い方をしました。心の荒蕪を耕すという言い方です。この心の荒蕪とは、荒れた心のことです。それを耕し、実りあるものに転換するといっていいかもしれません。

そもそも心の荒廃とは何か、それは自分にとっての損得ばかりを思い煩い、ゆとりがなくなり自他に対してイライラすることです。みんなが自分勝手に自分のことだけをやろうとすれば奪い合い、攻め合い、不満や不足ばかりをぶつけ合うようになります。

心が荒れればその先に、冷たい社会や戦争、そして孤立やいじめなどが発生します。そうすれば次第に組織も崩れ、関係も壊れ、繋がりも途切れ、徳も失われていきます。

私は徳積財団を通して、みんなで少し損をしようと声掛けしています。これはメリットばかりをそれぞれが追いかけるのではなく、みんなで少し損をしてでも一緒に徳を積んでいきませんかと投げかけています。

損か得かではなく、半分は損をしてでもそれを徳に報いるために活用していこうとする。それが今までいただいたものに対しての思いやりであり、感謝であり、報恩であり、子孫へと未来の徳を譲り文化や宝を伝承していくことになるからです。

心の貧しさ、そしてゆとりのなさは、現代に本物の豊かさをもたらさないように私は思います。真の豊かさが必要なのは、日本経済を含め世界はただ個々の利をあらそい、さらに混迷を深めていると感じているからです。一人一人の心の中に真の平和や平安をもたらすには、心の荒蕪を耕すしかありません。

どんな時代であったにせよ、価値観を転換するのは一人の生き方の転換です。その転換が増えていくことで、世の中が復興していくのです。徳を積む意味をこの世に実相し、子どもたちに徳を推譲していきたいと思います。

 

節目

来月に入るとすぐに「立春」を迎えます。この立春とは二十四節気の一つ、「春の始まり」を意味します。「立」は中国語で「始まる」という意味でもあります。

この二十四節季は、一年で最も昼の長い日を夏至とし、最も昼の短い日を冬至、昼と夜の長さが同じ日を春分・秋分としてこの四つを二十四に分割したものです。その二十四節季を三つの候にわけて七十二候になりました。

この二十四節季は中国から由来していますが、日本の気候とは少し異なるため「雑節」というものを設けたといいます。そして雑節には、節分・彼岸・八十八夜・入梅・半夏生・土用・二百十日になります。また「七十二候」については江戸時代の天文暦学者・渋川春海が日本の気候に合わせて改訂版を出し、その後明治時代に「略本暦」が出てそれまでの「七十二候」を大幅に変えて今に至ります。

立春においては「春風が吹いて氷が解け、冬眠していた虫たちが目覚めて動き出し、河に張っていた厚い氷が解け出して、魚たちが氷のかけらを背中に乗せている」と記されています。

これは季節の転じる時機であり、その節目が節分ということです。なんとなく、

節分というのは一年に四回あり「立春」や「立夏」、「立秋」や「立冬」の前日になります。節目というのは、変わり目のことです。むかしの人たちは、この節目のことを非常に大切にしていました。今のカレンダーは、単なる数字が羅列しているだけで月日が変わるときくらいしか節目を感じなくなってきています。

本来、この節目にこそ私たちは自分を変える機会にして常に柔軟に変化していくように工夫を凝らして自分もまたその自然の一部として心身を次の巡りに合わせていくことで大きな変化に則って安心立命していきました。

時代の変わり目、節目に合わせるということが全体善に従っていくということです。万物一円観、私の生き方もまた節目に合わせていきたいと思います。

百姓の心

「百姓」という言葉があります。現在は、あまりこの言葉を聞くことも見ることもなくなってきましたがむかしはほとんどがこの「百姓」によって国家の基盤を担っていました。

この百姓のイメージは、農業をやっている人たちのように思われていますが元々は「百の姓を持つ人」という意味で、たくさんの仕事をもっているから百姓と呼んでいたのです。

農業だけではなく、大工に左官に商人に神主に医者にと、ありとあらゆるものを複数に兼業してきました。よく考えてみたら、お金で今のように専門家と専門分野に分かれて職業と仕事を分けている時代と異なり、ありとあらゆる人たちが自分たちの得意分野や才能を発揮しながら助け合って暮らしをしてきました。

食べるものは自分でつくり、社會に役に立つように自分の徳性を活かして協力し合い暮らしを一緒に創造していきました。

現代は、個々がバラバラになり、お金を中心に必要なところで費用を支払いサービスを受けられる便利な時代になりましたが一つに一つの分野だけで自分で食べ物をつくらなくなってからどこか本来の助け合いの暮らしが消失してきているように感じます。

みんなそれぞれに生まれ持った才能があり、徳性がある。それを上手に活かしあうことで文化を守り、工芸を含め、民藝なども守り継承していきました。今では素人とプロが明確に分けられていますが、むかしは百姓というようにみんなそれぞれに芸術や文化、工芸などを自分で習得しそれを子孫に継承していたのです。

古民家に関わると、様々なことを自分でしなければなりません。分野別にプロに頼んでいたらほとんどの家の暮らしができません。あまりにも難しいものはその道の長けた人に依頼しても、日々の暮らしの中の修繕は自分の手で行う必要があります。

しかしこの修繕こそ、まさに百姓の仕事の醍醐味です。私たちは、自分で創り自分で直すといった当たり前のことを已めてしまうことで大切な学びの機会を失っているのではないかと思います。

暮らしの美しさに触れる機会が減り、何が善で何が真実か、そういったものを自然から学ぶことがなくなってきました。人工物だらけで、修理も修繕もできない物に溢れているうちに私たちはその暮らしの中に息づいている繋がりや絆などを受け継いでいくことを忘れてきています。

みんな祖父母や先人たちが行ってきた、物を大切にする心や、物を活かす心、そして丁寧にいのちに接していくことなども百姓の消失とともに失われてきました。このまま子どもたちに百姓が伝承されなければ、その百姓の心もまた伝承されないでしょう。

子どもたちが暮らしや自然から真善美の別を学び、それを自分の徳性を伸ばし積むための材料になっていくように百姓の心を伝承していきたいと思います。

今への正対

人間は何かを手に入れば幸福になれると信じているものです。言い換えれば手に入るまでは不幸せであると信じている人が多いのも事実です。実際には、手に入らなくてもすでにたくさん持っているものがあるのにそこには気づかず、ないものねだりばかりをしていると不幸になっていくのかもしれません。

物事を進めていくのに「すでにある」という考えと、「まだない」という考えがあります。まだないと不足を思えば思うほどに、人間は手に入れたいという欲望が増長していきます。すでにあると思い、足るを知るとさらに手に入る喜びや仕合せを味わえるものです。

人間は心の持ち方一つで、豊かさを自由に調整できる生きものというわけです。

お金がないからあれもできない、これもできないと考えるのか。それとも、あれもできるこれもできると考えるのか。それは自分の内面の変化によって決まります。内面の変化は、心をどのように運ぶのか、心をどのように調整するのかという、自分で何とかなるところです。

実際には自分の心の内面を変えようとはせず、他人を無理に支配しようとしたり、外側の現象を強引に変えようとします。しかしそれでは、一時的に一瞬だけ自分の想い通りになっても、そのうちまた思い通りにならないことに不満をため、不幸や不足を感じてしまうように思います。

まず現状に対して、「今はこれがいい」と心を調整し「今はちょうどいい」、今の自分にもっとも相応しいと足るを知ればもっと今、自分にやれることがあることに気づき直すはずです。

自分にしかできないことや、自分のオリジナリティは、心の持ち方一つで実現していくものです。今に集中し、今から離れず、今を受け容れる、この今への正対こそが、豊かな生き方を実践していくための要諦だと私は思います。

経済優先の社会では、不足ばかりを解消することに躍起になっているうちに生き方までその不足を満たす思想の影響を受けることもあります。子どもたちの未来が、それぞれに仕合せになるように今への正対を続けていきたいと思います。

善種を蒔く

人間は心にゆとりがなくなってくると、不足やないものねだりが始まるものです。すでにあるものを観る心境には、ゆとりや余裕が必要です。心が荒めば荒むほど、人間は忙しくなります。

忙しくなるのは、心のゆとりを見失っているからです。

では、心のゆとりとは何かということです。それは「信じる」ということに通じているようにも思います。またその逆は、「荒む」ということです。思い通りにならない執着や、自分勝手得手勝手にできないことへの不満、そういうものが積もり積もっていけばいくほどに心は荒み余裕は失われていきます。

心の余裕とは、融通無碍であり穏やかな気持ちで信じて待っている心境です。そして何があっても物事の善い面を観て、善くないところは改善していこうとする素直な心が働いています。

人間、素直でないから心が荒むのであり、素直な人は心穏やかです。この素直さというものは、その前提にすべてのご縁を丸ごと信じて待つという実践が行われています。なぜなら心の余裕やゆとりとは、素直な心と一体であるからです。

何があってもすべては意味があると信じて、今を磨き、自分を高め、機会を活かす人は運に恵まれていきます。運に恵まれるから、運に任せて最善を盡していきます。善いも悪いもなく、まさに一円観です。

心が荒むというのは、道徳的な社會が荒廃するということです。二宮尊徳が活躍した時代もまた、財政がひっ迫し、貧困や飢餓で村々が廃村していきました。この廃村は、決して経済だけが荒んだのではありません。先に心が荒み、次第に経済も荒廃していったのです。

現代の日本の状況に非常に類似していると感じるのは私だけでしょうか。

だからこそ、先人の智慧や仕組みを学び、この時代も同様に心田開発をしていく必要があるように私は思います。二宮尊徳は幕府の仕事を引き受ける際に、弟からの誉のお祝いの言葉にこう厳しく返答します。

「私の本願は、人々の心の田の荒蕪を開拓して、天から授かった善い種、すなわち仁義礼智というものを培養して、この善種を収穫して、又まき返しまき返して、国家に善種をまきひろめることにあるのだ。ところが今度の命今は土地の荒蕪の開拓なのだから『私の本願にたがうことはそなたも承知のはずではないか。それなのに遠くから来て、この命令があったのを祝うとは何ごとだ」と。

そもそも何のために二宮尊徳は、報徳仕法を実践し人心の荒廃を甦生させていったのか。その兄弟間のやり取りからも、その本質や本懐が観えてきます。

どの時代も、人類のリーダーは同じ理想を見つめていきます。私も、自分に与えられた使命に生きていきたいと思います。

甦生の本質

私は現在、古民家をはじめ、あらゆるものを「甦生」という取り組みをしていますがこれは価値がないと世の中が捨てたものを拾い、それを磨いて見立て直し新しいいのちと役割を持たせるということになります。

日本的な概念としてこれは「有難い」や「勿体ない」などと同様に、私たちの先祖が大切にしてきた文化の一つです。

現在は、まだまだ活かせるものをその用途がなくなれば価値がないと切り捨ててすぐに廃棄してしまいます。本来、もっと活用できるものを活用しようともせず役に立たないと決めつければ、いくら資源が豊富にあっても使われなければ無価値になりますから無価値にしたのはその時代の人たちの生き方の問題です。

二宮尊徳に、甦生について遺された文章があります。

「世の中には、人がまだ捨ててはいないが、活用していないものが多い。これらをよく拾い集めて、国家を再興する資本とすれば、多くの人を助け、まだ余りが出る。これが私が小さい頃から行ってきた道である。 」

二宮尊徳は、田圃の端の誰も使わないような土地に菜種を植え、菜種油をとりその油の灯で勉強に励んだといいます。他にも捨ててあった余り苗を拾い植えてそれによって別の収入を得て蓄財していきました。世の中が要らないと捨てたほんの小さなものを敢えて拾い、それを積み上げて価値にして活用したのです。

彼が行ったのは、私の取り組む「甦生」と同じ概念であったのは間違いありません。私の世の中が捨てたものを蘇られ、息を吹き込み、磨き上げ新しいいのちとしてそれを活かす。これは単に便利な道具を別の使い方にしてさらに便利にするわけではありません。経済合理性や効率を優先するための智慧ではなく、徳を活かし、徳に報いるといういのちの在り方、そして生き方の仕組みなのです。

シンプルですが、人が見捨てるようなものの中に価値を見出し、それを経世済民の甦生の柱としてそれを積み上げ、磨き上げ、災害に備え、蓄財をし、家を再興する。まさに、徳を使った循環の仕組みを上手に生かした本質的なコンサルティングを行っており、単に分析や評価だけをするのではなく文字通り「甦らせる」というコンサルティングを行ったのです。

私は、本業が「場道」のコンサルティングですからまさに「甦生」するかどうかが私自身の中心軸であり、根源的な成果の基準になっています。だからこそ、二宮尊徳のように「復興」にこだわり、甦生にいのちを懸けて実践をするのです。

今はまさに捨てることが当たり前、捨てることこそが価値があると信じさせられている大量消費の時代、甦生などというとあまりにも荒唐無稽な可笑しなことをやっているように思われますが、これが徳を循環し、人間社會を本当の意味で仁徳溢れる世の中にするための唯一の方法なのです。

先人の生き方から、本来どうあるべきか、子どもたちのために見つめ直したいと思います。

縁起の意味

昨年末から、歳神様の依り代として鏡餅を床の間に飾ってお祀りしています。一昨年から焼酎を塗ったり、炭を敷いたり、山葵を置いたりと工夫してからカビることがなくなりました。御蔭で美味しくかき揚げにしてみんなで食べては元氣を養うことができています。

この鏡餅ですが、飾り方に意味があることをよく知らない人が増えています。私もむかしから、三法に和紙を敷き、円いお餅を2段にして下から裏白とゆずり葉、そしてお餅を挟んで橙を載せるのは知っていましたがその由来についてあまり関心がありませんでした。

時代の流れと共に、様々なことが縁起がいいと重ねてきたのかもしれませんが簡単にまとめてみようと思います。

一般的に鏡餅の餅は、三種の神器の一つの八咫鏡や、満月、蛇のとぐろや月や太陽、陰陽、心臓などをかたどったものと言われます。白はむかしから神聖な色として好まれてきて、ハレの日には用いられてきました。

そして裏白という葉は、ウラジロ科の常緑性の大形のシダで穂長ともいい葉(羽片)がしだれるので「シダ」と呼ばれます。これを「歯垂る」にあて、さらに「齢垂る」にかけて長寿の意味をもたせ、正月の注連飾りに用いられてきたそうです。また、裏が白いことから、「心の潔白さ」と「白髪になるまで長生きする」ということもあらわしているともいいます。

そしてゆずり葉は、新しい芽が出てくるまで古い葉が落ちないと言われそこから「親から子へ受け継ぐ」という意味になります。また、上に乗せる橙も、冬を越しても実が落ちないことから代々家が栄えていくという意味になるそうです。

このように、私たちの先祖は「縁起」というものを担ぎます。

以前、ブログで予祝のことを書きましたが日本人の先人たちは先にお祝いをしそののちに福が来るのを信じて待つという生き方をしてきました。この縁起もまた似ていて、先に縁起を担いでそうなるように信じるという生き方が縁起には入っているように私は思います。

常に「信」を先にして、それまでは苦労を耐えてでも弥栄えるように振る舞っていくという具合です。私も生き方を日本人の先人に倣い、転換してからは勇気と信じる、実践する、磨く、待つというように純粋に魂を高め徳を積ような生き方に転じていきました。

まだまだ不安な時も少しありますが、おかげ様で清々しい気持ちで日々の暮らしを味わっていくことができています。子どもたちに少しでも先人の生き方が譲り渡していけるように独り慎みながら丹誠を籠めた生き方を積み重ねていきたいと思います。

 

本物の暮らし

人間は時代時代にそれぞれの集合的な価値観があり、その価値観に左右されて生きているものです。例えば、戦争時は戦争にどのように勝利するかという価値観で社会は彩られその価値観が蔓延します。平和になれば、どのように平和を維持するかという価値観が蔓延します。

結局は、対立的な概念で社会は動いていますから時代の歩みにあわせて価値観は右往左往しているだけだとも言えます。現代は経済戦争の時代ですから、お金のために競争し少しでも経済効率を高めて収益をあげるかという価値観が蔓延しています。

アメリカや中国が、経済戦争真っただ中で日本も負けじと追い付こうとしていますが人口の減少と、高齢化によって働き手が少なくなり、外国人などを雇いいれていましたがいよいよロボットやAIまで投入して競争に突入する様相になってきました。

人間の仕合せというものは、本来は時代の価値観が変わっても変わらないものですが現代は盲目に目先の損得を幸福だと思い込む価値観が蔓延する時代ですからそれに右往左往しながら人間の本来の仕合せを見失っている人が増えているのも仕方がないことかもしれません。

しかし、現在、このような経済戦争の中で働くことができない人が日本には1000万人以上を超えているといわれ、心身を病んでいる人で薬漬けになって引きこもっていく人が増えていく一方だと言われます。これはなぜかということをもう一度、私たちは深く見つめる必要を感じます。国家は何をもって本当に豊かだというのか、世界の価値観が変わる時代だからこそ深く見つめる必要があるように思います。

実際には人類が永続して大切にしてきた幸福感は古代から何も変わってはいません。自然の中に入り、自然と共生しながら身近な美しい暮らしを体験すれば人間本来の価値観に目覚め、本当の仕合せとは何か、何を失っていたのかに誰しもが気づくはずです。

時代の変わり目というのは、価値観の変わり目ということです。

価値観が変わることで、時代もまた変わります。私たちは時代を変える存在でもあり、同時に時代に流されていく存在でもあります。だからこそ、その生き方の真ん中にある先人の紡いできた伝統や伝承を静かに見つめる必要があり、私たちは暮らしを立て直すことで生きていく意味や本当の価値を覚醒させて次世代へとつないでいく役割を持っているのです。

子どもたちのためにも、温故知新し洗練された本物の暮らしをつないでいきたいと思います。

お餅つきの意味

先日、100年以上前の木臼に百日紅の杵と60年くらい前の木製の蒸し器と90年くらい前の銅のおくどさんと鉄のカマドで炭を使い自然農法で無農薬のもち米を蒸して子どもたちと餅つきをしました。修繕を繰り返して年代を重ねてきた古参の道具たちばかりですが、その道具のいのちが相極まって美味しいお餅をつくることができました。

現代では、お餅は買うものになっていますが本来はお餅つきというようにお餅は自分たちでつくるものでした。

そもそもお正月にお餅つきをやるのは稲作文化があるからであり「稲の豊作」を祈って神様にお餅を奉納し一年の豊作を祈っていたからです。そして歳神様が鏡餅を依り代にするとされそのお餅を食べることで神の霊力を体内に迎えることでいのちの甦生をするという意味があったからです。

日本人の先祖たちは、何度もハレの日にはお餅を食べる習慣があります。それはお餅には稲の不思議な力がすべて入っており、縁起が良くそれをみんなでつくり食べることで元氣を取り戻し、仕合せな気持ちになることを自覚していたからです。

機械で簡単につくって食べるお餅と、下準備から丁寧に時間をかけてお餅つきをしてできた餅ではまったく味が異なるのはお餅つきをすれば誰でもすぐにわかります。日本人が次第にお餅を食べなくなってきたのも、シンプルに言えば「美味しくなくなってきた」からだと私は思います。伝統文化もみんな「いいと思わなくなってきた」理由は、みんな本物だったものが本物風になったからです。和が和風に便利さを優先することで入れ替えられてきたということです。

お餅つきは、お餅つきの準備から作るところまでも大切な味になっています。みんなで息を合わせて声を出しながら湯気と活気の中でせっせとこねてはつく、そしてまたひっくり返してはつくというようにその一連の取り組みが美味しさに化けていくのです。

また道具たちも、便利な機械ではなく先人の智慧が入った自然のものでできていると素材を毀さず、いのちをそのまま増幅させ、甦生させていくチカラが入っていきます。改めて、私たちは正月からそのように「和」の空気を味わいながら新年を迎え、その一年の協力と団結、信頼と平和、また元氣や和來を体験することで結束やご縁に感謝するのです。

お餅つきは、日本人にとって大切な伝承文化でありこれを失ってしまうと日本人の甦生に多大な影響を与えてしまいます。私がむかしの道具たちと共に、本来のお餅つきにこだわるのは子どもたちに日本人の思想や生き方を伝承していきたいからです。

現代では、ばい菌が入るとか、不衛生だとかで、ほとんど手に触れずに機械で簡単につくっておいて杵で形だけ1,2回ついたお餅を保育園では食べているといいます。伝統文化を伝承すべき保育園が、本来の行事の本質や意味もわからずに形式的にだけ取り組んでしまえば、伝承はそこで歪んでしまい、日本人の甦生が循環することができません。

私はこだわりが強いからと他人には言われますが、そうではなく本物をやらなければ本質が引き継がれないことを自覚しているだけなのです。行事はそもそも何のためにやるものなのか、伝統とは一体何なのか、そういったものを突き詰めていかないで単に行事をTODOリストを消していくかのようにやっても意味がないどころか、意味が不明になっていくだけだと私は思います。私が本物にこだわるのは義憤があるからに他なりません。

すべてのものには必ず大切な意味があり、伝統が続くのはその意味を伝承する必要があるからです。何百年も前から続けられてきたことは、それだけ先祖たちの実体験と経験によって検証された偉大な価値があったからであり、それを現代の短い間にゆがめて別のものにして捨てることは本当に残念至極なことであり、子孫のためには決してあったはならないことです。

暮らしの甦生は、生き方の甦生ですから子どもたちのためにも引き続き変人やこだわりが強いなどと言われようが本物や本質、伝統を尊重して生きていきたいと思います。