人生の中で「思いやり」というものが大切なことはそれぞれが分かっているものです。それは人の優しさやあたたかさを実感するときにより深く理解するものです。この思いやりの感覚は、人類は原始時代からありみんなで助け合って暮らしてきましたから太古の昔から思いやりのある民族は永続してきたように思います。
逆に思いやりがなくなれば、殺し合いや奪い合いになりそれらの民族は早く滅びてしまいます。人類が生存可能で持続可能な社會を維持していくには、この思いやりは絶対に不可欠な道徳の要であることはすぐにわかります。
思いやりをどうやって自然に持つのか、思いやりがどのように発揮される社会にするのか、それは幼少期からの愛情豊かなあたたかい社会や見守り合いの体験によって習得していくようにも思います。
生きていく上で必要な能力は、誰が教えなくても最初から私たちは備わっています。しかしそれをどう発揮させていくかの智慧は伝承や環境によって後から身についていきます。だからこそ、保育や教育は大切で人類は如何にその徳性を伸ばしていくかを学び、より善い社会が実現していけるように平和を学び修身修養を積んできたように思います。
しかし思いやりを教えるというのは、学校の教科書のように正しいからと押し付けてもそれは身に着けられるものではありません。思いやりは単なる正解ではなく、テストや偏差値ではないからです。思いやりを教えるのは、思いやりを持った人たちの生き方によってしか教えることができないからです。
優しさ、親切、心の豊かさのようなものは自分の生き方が決めていきます。自分自身がどのような生き方を心がけていくか、その生き方が周囲への模範になり真似したいと思われるような存在になっていくのです。
しかし、現代は無理に正解を押し付けてきたからか自分に厳しく人に優しくという言葉がかえって自分に厳しくし過ぎて自分を思いやることができなくなっているようにも思います。
自分を大切にするということの意味もまた、本来の自分を相手と分けずに思いやるという意味ではなく自分勝手にすることのように使われていたりします。そして相手を思いやるときは、自分は犠牲になって自分は思いやらなくても相手のために自分を使うことのように思い違いをしています。
本当の思いやりは、相手がもし自分だったら、自分がもし相手だったらと分けずに両方を思いやることです。そのためには、自分のことを思いやる気持ちで、相手も思いやるという実践ができなければなりません。自分を大切にするように相手を大切にする。相手を大切にするように自分を大切にするというように、その優しさを分けずに自他両方に接していくのです。
思いやりが大切なのは、一緒に思いやる世の中を目指そうといった平和を実現するための人類の初心が入っているからです。時代が変わっても、人類が目指している理想はまったく変わっていません。
子どもたちに譲り遺したい社會もまた、人類の初心の実現です。引き続き、日々の思いやりの実践を通して平和の実現に貢献していきたいと思います。