理想と現実

人は生き様を見ることによって、その人が何に信念をもって何を大切にして日々のいのちを使っているかを垣間見ることができます。それを何らかの形になっているものを見て、一つのメソッドやノウハウと感じる人もいますが実際にはそれは方法論ではありません。それは生き様ですから生き方であり哲学なのです。

私が今まで出会ったメンターや師はみんなそれぞれに人生の哲学をもって生き方を磨き偉大な生き様をみせていただきました。私が憧れるのは、その人生の哲学に触れたことでありそれを拝見できる具体的な現場に触れる機会があったからです。

世の中には、ノウハウ本はたくさん出ていますが実際にはそのノウハウ本の通りやれば生き様まで模したことにはなりません。やはりそこには、道に入るというか、同じ道を辿るというか、道を歩むというように一緒に道を究めるような生き様が求められます。

つまり近づくために大切なのは、どのような哲学を持ち、どのような生き方をし、どのような生き様にしていくかという実践からそれぞれに理想を紡ぎだすことです。

理想とは、現実の反対にあるものではありません。現実と理想は常に表裏一体であり、理想が現実であり現実こそが理想なのです。つまり理想にたどり着くために現実を積み重ね、現実を積み重ねることで理想を手繰り寄せるのです。現在の取り組みそのものが何の理想になるか、そして現実の取り組みが何の理想を実現しようとしているのか。

常にそ両方の間には、生き方や生き様が介在し、そこに哲学が存在しているのです。私たちは自分自身を追求していく旅路の中で、哲学に出会い、その哲学がさらに自分自身を導き本当の自分といいう存在に出会います。本当の自分に出会うためにも、人は求めているものに向かって探し続けていくのです。

私は出会いの哲学を持つ一人であり、一期一会を座右にしています。その瞬間に出会うご縁の中に、哲学があると信じるものです。そしてその一期一会には、単なる出会いだけではなく人間愛があり、自然と自分というものが混然としています。混然としたものだからノウハウにはならず、メソッドにもなりません。まるでこのブログの文章のようです。

しかしそこには哲学があり、生き様があり生き方があり、今の暮らしがあります。その暮らしの理想を象ることで哲学を表現することはできます。子どもたちのためにも、自分の生き様や生き方、哲学が未来のいのちに伝承されさらに豪壮になり発展していけるように自らの修養鍛錬と実践を大切にしていきたいと思います。