食縁

最近は時短料理などが流行っていますが、聴福庵では時長料理ばかりを行っています。一晩中、炭火でコトコトと調理していきますが朝方その料理の素材を観ると透明に透き通っています。そして味はといえば、素材のいのちが丸ごと隅々まで浸透して全体として穏やかで和やかな風味を醸し出します。

遠方から朋が来たり、はじめてのご縁の方だったり、色々と來庵されますが一緒にいのちを分け合いながらいただく時間は格別なもので思い出に深く遺ります。

本来、料理は生きるためのものですが日本ではおもてなしとしての側面があります。共食というのは、家族であり仲間であり安心して分け合うつながりを感じ直すものです。それを時短でぱっとというのが時代的には当然なのかもしれませんが、本来は貴重な時間だからこそじっくりと時間をかけて丁寧に手間暇を重ねていくことでつながりもまた深く清らかになっていくようにも思います。

私たちの身体は食べ物でできています。何を食べてきたかというのは、食歴ですが同時に、どのような料理と出会ってきたかという食縁というものもあるように思うのです。

当たり前ではない「食べる」という行為の中には、私たちが一生を豊かに健やかに生きるための原理原則が存在しています。その原理原則を、そのままあるがままの自然の仕組みの料理をして共に食べることで私たちは大切なことを思い出すように思います。

懐かしい料理とは、根源的ないのちの時間を共にすることかもしれません。食縁を大切にするからこそ、私は敢えて時長料理にこだわっています。

今日もまた一期一会、大切に料理を重ねていきたいと思います。