新型コロナウイルスの感染が拡がり、日本国内も緊急事態宣言が出され自粛の生活が続いています。実際には、みんなこのような体験には慣れておらずどうしていいかわからずに世の中は混乱しているように思います。
東京都内においても、いつものように密集していて感染がひろがり、地方や田舎はまだまだ身近に感染者がいないためあまり危機感もありません。経済対策は後手にまわり、人々の怨嗟の声がマスコミの報道などで日々に流されます。
本来、どうあるべきだったのか。
それをこの時に考えることで、今後の感染対策に向けての準備ができるように私は思います。
そもそも思うに、こういうものが発生し混乱するのは日々の訓練を行っていないからなのは間違いありません。人類は体験したことを学び、それを予防するために訓練を続けていくから有事の際に速やかに連携して協力していくことができます。
しかし実際には、そんなことは起きないだろうと想像もせず自由気ままに平和ボケした生活を続けていると次第に訓練することを怠るようになります。東日本大震災でも釜石の奇跡といって訓練を続けていた小学校はみんな協力して避難して最小限に被害を抑えました。
これは起きるか起きないかわからない地震に対しても、常にその時に備えて訓練をしようと日々に努力し続けてきたからです。
今回の感染症もまた、結核が流行り悲劇の歴史がありましたがワクチンが開発され安心して訓練をやめたところにまた肺病が流行ったということになります。そもそもその時代を経て歴史に学び、どのように感染を防ぐか、そしてどのように拡大を抑えるかとみんな日ごろから訓練をしていれば有事に際して迅速に行動できるものです。
日本では学校をはじめ、日々の暮らしの中でも感染に対する意識は低くなっていて日常生活にあまり関係がなくなってきていました。ここで改めて私たちは、公衆衛生や公衆道徳の在り方を見つめ直し、今後どのように訓練を施していくかをみんなで知恵を出し合って取り組んでいく必要があるように思います。
気候変動が激しくなり、今まで以上に様々な病原菌や食糧難などが予想されています。その時に、どのようにみんなで助け合い生き延びるか、それを今から訓練しておかないとその時がきて今と同じように混乱を招いてしまいます。
禍転じて福にするという諺があるように、敢えてこの災禍を見つめ今後の子どもたちへの見守りに転じるために生き方や暮らし方を換えていくことです。
引き続き、あるべき姿を見据えながら着々と準備を進めていきたいと思います。