私たち人類は、長い間何を食べてここまでいのちを永らえてきたか。過去には、様々な飢饉や飢餓を体験してきた人類は食糧難の大変さを身に沁みて味わってきた民族でもあります。
しかし現代は、食料過多で大量の食糧を日々に廃棄しています。特に日本は世界で6番目の一人当たりの食品廃棄物を出している国家でアジアではトップです。まだ食べられる食材を年間約621万トン捨てているということになります。
約621万トンの内訳は、スーパーや飲食店などの事業系が約339万トン、家庭系が約282万トンとです。世界では飢餓で苦しんでいる人たちがいて、その食料援助量は約320万トンといわれます。その倍を捨てているのだから、信じられない数字です。
かつての日本は、質素倹約し、捨てるものが一切ないほどの循環型社会を江戸時代に築いていました。100年ちょっとの間に、こんなにも循環しない消費のみの社會を築き上げ、捨てるものばかりの国家になったのは驚くばかりです。
徳を積む国家から、徳を減らす国家になり、先人たちが積み重ねてきた大切な実践を手放し、アジアのどの国よりも廃棄するようになったのを知って先祖は今、どのような気持ちだろうかと考えてしまいます。
特に日本で廃棄される理由は、賞味期限の短さだといわれます。まだ食べられるようなものも、現在は食材を確認するのではなく消費期限や賞味期限だけをみて判断するようになっています。冷蔵庫や保存がきくにも関わらず、なんでも期限が切れたら捨てていきます。これは食品業界が、この数十年のうちにその体制を築き上げていったとも言えます。
見た目ばかりの食品をつくるのは、たくさん買ってもらうためです。見た目を意識するばかり、肝心な食というものの本質が崩れていきました。食はいのちそのものであるというよりも、見た目の美味しさの方が価値があるようになっていきました。
現在、コロナで飲食業は大変な思いをしていて友人の経営者たちも苦労していますが敢えてここで本来の食とは何だったのかを立ち止まって見つめ直す機会かもしれません。
最近は、行き過ぎた乱獲で魚はいなくなり、田畑は農薬と肥料で疲弊し、自然の生き物たちは猛スピードで食物連鎖が崩れ絶滅し始めています。いつまでもこんな消費することしか考えない世の中を続けるのか、今のままで本当にこの先、子孫たちはやっていけるのか。もう答えが出ているのだから、改めるチャンスかもしれないのです。
今回のコロナで、また人類は地球から機会を得ました。人類は何回も何回も好き勝手てきたのにも関わらず、自然に許されここまで生き延びてきました。自然に許されるたびに、私たちは災害や困難と向き合いそれを乗り越える過程で、謙虚にあり方を見つめて、素直に反省して改善を続けていきました。
また機会をいただいた以上、思い切って一人一人が生き方を換えて変革し世界を以前よりももっと素晴らしいものに換えていけばいいのです。機会によって自らを見つめ、その機械によって自らを変える、この繰り返しこそが伝統文化の継承であり、文明の温故知新、進化成長なのです。
子どもたちが喜んでくれるような決断を続けていきたいと思います。