異文化を理解していくというのは、世界がボーダレス化していく中ではとても大切なことです。私も以前、留学をしており海外で暮らし仕事をする機会が長くありましたから異文化理解の価値を学んだことがあります。
この異文化とは、異国の文化ということではなく自分以外の文化に触れるということを指すように思います。自分の生き方を自分の文化と仮定して、それまでの自分自身の生き方ではない全く異なった世界を理解していくということです。
人間は、与えられた環境や世の中の常識の影響を多大に受けて生き方が異なっていくものです。ある人にとっては当たり前の常識が、またある人にとっては考えられないほどに異常に感じるものです。
この異常に感じるものを当たり前に取り組んでいる人のところにもしもひとたび入ってしまえばカルチャーショックというか今までの自分の生き方や文化を変えるほどの影響を受けることがあります。
人間は、それぞれの中に文化が持ち、長い時間をかけて醸成してきました。その中で、その民族が丁寧に紡ぎ、大切にしてきた生き方というものがその国の伝統文化ということです。
その伝統文化がなぜ価値があるのか、それはそれだけの生き方を連綿とつなげて続けてきた人たちの存在があったからです。その存在が、長い時間をかけて将来のみんなが憧れる立派なクニにしようと目標を定めて弛まず努力を積み重ねていきました。今の私たちの日本が、優しく感謝で謙虚な人や、素直で明るく正直に生きていこうといった徳目を持った人が多いのもまたかつての日本人が生き方を文化にまで高めてここまで紡いできたものが定着しているからです。
私たちはそういう生き方をしてきたけれど、海外や別の場所、そして別の生き方をしてきた人はまた今までどう生きてきたのかを理解することもまた異文化を知ることです。世界が一つになっていくなかで、世界の人々がどのロールモデルをお手本にして世界のクニづくりに活用するのか。それが時代の要請をうけてこれから本格化していきます。
その時まさに日本人は一体、今までどんな生き方をしてきたか。そして異国の人はどんな生き方をしてきたか。その善いところをみんなで異文化理解をしあって取り入れあって世界をこれからどのような憧れるクニにしていくかを高め合い磨き合い学び合い語り合う時代に入ったのです。
子どもたちが世界で活躍できる場をつくるためには、伝統文化によるアイデンティティをもって異文化理解をできる人材を育てていく必要があります。自分の文化を理解できる人は、他人の文化も同時に理解できるようになるものです。
子どもたちが将来、安心して世界の一員として世界をよりよく住みやすい場所にしていけるように祈る気持ちで伝統を継承して場を用意していきたいと思います。