目的の進化と人類の行く末

子どもの憧れる会社に取り組んでいると、次第に先人たちの教えや文化の伝承にたどり着きます。自分たちがなぜ今があるのか、そしてこの先に何を譲り遺していくのか、その恩の循環のようなものに出会うからでもあります。

同じように志す企業は、みんな同じプロセスを辿り同じ場所に向かっていくように思います。

現在、世の中は経済の方に大きく傾いていてあまり自然や道徳ということが重要視されていません。一週間の生活の仕方をみてもわかりますが、週休二日制で週末までも経済のために過ごすようにほぼ毎日経済活動を中心に行われます。

むかしは、自然と共生する暮らしを行っていて経済はその中のほんの一部として存在していました。すると、日々は暮らしが中心になりその余力で経済活動を行うことになります。自然とのバランスも保ちやすく、今のような環境を破壊するほどの経済活動は必要ありません。

つまり、経済か自然かという二極ではなく大切なのはそのバランスがどこに在るかということです。そもそも人間の欲望を中心にそちらに偏れば、次第に地球や自然のサイクルとは合わなくなり片方が破壊されていきます。私たちは、欲望を正しく抑制しながらその中でバランスをどう保つかということが必要で許されている範囲の中ではじめて持続可能な生活が保障されていきます。

自ら生活圏を壊していけば、文明は必ず滅びます。豊かさといっても、物質的な豊かさばかりを追い求めていたらその豊かさで滅んでしまえば本末転倒です。豊かさには、物とは別のものがあります。それは心の仕合せといわれるもので、自然を愛でたり、先祖に感謝したり、人々との深い愛の循環や喜びを謳歌するときに感じます。

人間は、そもそも国境などはなく人類という同じテーマをもって歩んでいるだけです。人類の仕合せを思う時、どのような働き方や暮らし方をするのかは私たちに与えられた地球に存在する大切なテーマでありミッションです。

子どもたちのことを思えば思うほどに、私たちはそのテーマを考えない日はありません。気が付くと、環境の会社になり、伝統の会社になり、人を大切にする会社になり、最先端科学に取り組む会社になり、徳を積むことを循環するための会社になります。

これは必然的に、辿るところであり向かうところです。

子どもたちのために、引き続き社業の目的を進化させていきたいと思います。

自然界最強の道理

自然界では強いものが生き残ります。そのため、強い種を残すために日々に切磋琢磨され強さを伸ばしていきます。しかし環境の変化というものは無情でもあり、ある時を境に強いものが弱いものになったりします。

それは病気であったり、ケガであったり、もしくは気候変動によってそれまでの強みが弱みになることもあります。例えば、暑さに強い生き物が急に寒冷化によって弱い生き物になります。このように、自然界では常に弱者と強者が入れ替わり立ち代わり生き残りをかけて命懸けで変化しているのです。

ここではっきりするのがそれでは強者とは何かということです。

自然界での強者は言わずもがな「変化に適応するもの」です。

その時々の変化があってそれにもっとも適応していくとそれが強者ということになります。先ほどのことであれば、暑さに強かったものが寒さに強くなる。それまでの暑さに適応してきた能力を捨て去って寒さに適応する能力に切り替える。すると、強者のままでいられるのです。

しかし実際には、変化のスピードが速ければ早いほどに適応することが難しくなります。私たちの身体が熱中症になるのもまた、急に暑くなってきて身体が適応できないからです。同様に、急激な変化というものは私たちに適応する時間を与えてくれません。

自然界の生き物を観ていたら面白い現象があるものです。それはまるでそうなることを先にわかっていたかのように先に強みを捨てて弱くなり変化に事前に適応するものがあるのです。

それは大変なリスクであり、時として弱さからいのちが終わる心配もありますが自然界の変化にピタリと合わせてきます。その生きものたちが次の時代を担い創っていくのです。

強みはあるとき、弱みになる。そして弱みがあるときに強みになる。その道理は、自然は無常に変化するという真理ということでしょう。自然界最強の生き物とは何か、それは「適応する」生きものなのです。

変化するには、様々な能力が必要です。それは勇気だったり、志だったり、挑戦だったり、実践だったりと多岐に及びます。しかしもっとも大切なのは、信じる力であると思います。

変化は、見方を換えれば千載一遇のチャンスの到来です。引き続き、子どもたちの舞台を用意できるよう最善を盡して変化を味わいたいと思います。

面倒という醍醐味

人は日々に様々なご縁をいただいて暮らしを営みます。その一つひとつのご縁は、そのまま思い出になりますからどのようにご縁を大切にするかで思い出もまた大切になります。

人との出会いを大切にするというのは、言い換えれば人との思い出を大切にすることです。

人との出会いは面倒なことばかりです。しかしそれを面倒くさいと切り捨ててしまったら、ご縁も切り捨て、思い出もまた切り捨てていくことになります。

一枚の絵があるとして、全体で絵は完成しますがその部分部分の細部はあらゆる景色が重ね合わさってできた憧憬でもあります。その憧憬を積み重ねながら人生の一枚の絵を完成させていくなかで、この絵が全体で観たらどのような絵になるのだろうかとワクワクドキドキと好奇心を発揮して取り組んでいくことで人生の醍醐味というか、豊かさや深さを感じることができるように思うのです。

面倒見がいい人という徳が高い人が居ます。

面倒という言葉の語源を調べると、「ほめる」「感心する」などの意味を表している動詞で「めでる」という説。またもう一つは、地方に住む幼児が、人から物を貰った時に額に両手で差し上げて言った「めったい」「めってい」「めんたい」と言う感謝の言葉からの説があります。

そして面倒見がいいというのは、面倒なことを感謝で観ることができる人ということになります。どんなことでも有難いと他人が煩わしいと人が感じるものを敢えて大切にしていく人は徳を積んでいる人です。

徳は別に積もうとしていることが大切なのではなく、徳は大切だと思っている人が徳の人ということです。つまり見返りをそもそも求めていない、そもそもの執着を手放しているから自然に徳が磨かれていくのです。

仏教の話に、仏陀から「塵(ちり)を払い、垢(あか)を除く」ということばと掃除だけを与えられ、それを繰り返し毎日続けて、ついに大悟して阿羅漢果(あらかんか)を得たという方がいます。ある意味、この故事でいう掃除という面倒なことを敢えて取り組むことで徳を磨き、執着を手放して悟りを得たといいます。

魅力がある人や、徳のある人は、何か当たり前ではないことを大切にし、世の中の当たり前というものにいちいち左右されることはありません。それが如何に価値があることかを誰よりも知り、常に自分軸の中でその当たり前のことを徹底的に大切にされるのです。

その一つがご縁を大切にすることであり、ご縁を活かし続けるという実践でもあります。

日々の学びは、ご縁の連続ですがどのようにそれを活かすかはその人の生き方次第です。子どもたちが未来で、日本人の徳が伝承していけるように日々の面倒なことに喜びを感じ率先垂範して味わい楽しんでいきたいと思います。

ありがとうございました。

癖と改革

人は生き方の癖があるように働き方の癖というものもあります。今までどのように働いてきたかが働き方の癖になります。その働き方次第では、一流と呼ばれる人になっていったり、いつまでもうだつが上がらないような人になっていたりします。この生き方や働き方の改革とは、今までの癖を治すということだと私は感じています。

つまり今までの癖を改善し、新しい習慣を身に着けること。今まで変われなかったことを、改めて変えるというのは大きな覚悟と決断と実践が必要でまさにこれは改革だと私は思います。

例えば、今まで派遣で働いた人が正社員になるというのも改革が必要です。働き方の癖がありますから、今までと文化が異なります。特に向き不向きもありますから、自分に向いていることをやっていけば自分のあった生き癖、働き癖は手に入るのですがそれがあるとき、合わなくなったとき選択を迫られるのです。

今までの生き方、働き方を見つめてこのままでいくのか、それとも変えて新しくなるのかを決める必要が出てきます。万物は生々流転し発展を続けますから、人間もまたその万物の一つですから常に変化しながら発展を続けます。昨日までの状況とは異なるのだから新しい状況を見据えて改革を連続させていく必要があります。

その時、人は自分の癖を見つめて観直してみるといいように思います。

だいたい私もそうですが、今までの癖に気づくのは今までと違うことをやることになったり新しいことに取り組むとき、またペースが乱されたり、不安になったりするときに発見するものです。

なぜこのやり方じゃないといけなかったのだろうかと、見つめ直してみるとそんなにたいしたことではなかったことに固執したりする自分に気づくものです。思い切ってその癖を改めて別の習慣を持ってみようと繰り返し挑戦し実践をしているうちにかつての癖が修正されて新たな癖を持ち始めます。

つまりそれで生き方や働き方の癖が変わるのです。他にも突き詰めていけば、心の癖であったり、感情の癖であったり、言葉の癖や態度の癖、あらゆる癖があることに気づきます。

例えば粗雑な癖がある人は、丁寧に心を籠めるために何か文化的な習い事をしたり、その道具に触れ続けて慣れてきたころには習慣を獲得します。私も日ごろから、日本文化の道具や室礼など、様々な実践を積み重ねていくことで習慣が変わっていきました。

また話を聴くということができない人やせっかちで思い込みの強い人は、敢えて聴く場をつくり聴く人に換えていけば生き方も働き方も、素直に聴いてからという習慣が身についてきます。

改革というものは須らくそういうもので、習慣にしていくために小さな努力や実践を積み重ねていくことしかないように思うのです。そしてもう一つここで大切なのは、環境を観直してみることです。今の習慣は環境や場がそれをしやすいようにつくられたものです。それを一度、手放してみることで自分の過去の習慣や癖を発見するのです。

引っ越しをしたり、移転をしたりと、今までの環境を手放してみれば自分の過去の癖をブラッシュアップすることもできます。時代の変化の中で、如何に捨てていくか、手放して新しいものを掴んでいくかはアフターコロナの世の中を渡り歩くためにも大切な素養になると思います。

引き続き、子どもたちの憧れるような働き方や生き方を楽しんでいきたいと思います。

欅のなつかしさ

今度の徳積カフェは、欅の古材が全体に配置されています。日本の木造建築の中でも、欅はとても日本の伝統を醸し出しているものでありその気配や色合い、そして模様には懐かしいものを感じます。

この欅(ケヤキ)の語源は”際立つ””美しい”という意味を持つ「けやけし」という説もあり、くっきりした木目が特徴的です。今回のカフェでも様々な欅の木目を楽しめる設計になっています。

木の木目といえばふつうは柾目や板目ですが、そうした分類には収まらない絶妙の模様を、「杢目」(もくめ)と呼んでいるのです。杢目にも様々な種類があり、ざっと書くと「網杢 泡杢 稲妻杢 渦杢 鶉杢 絵巻杢 火炎杢 蟹杢 雉杢 銀杢 孔雀杢 絹糸杢 瘤杢 笹杢 さざ波杢 さば杢 縞杢 如鱗杢 白杢 たくり杢 筍杢 玉杢 縮み杢 鳥眼杢 縮緬杢 虎斑 虎杢 中杢 波杢 縄目杢 バイオリン杢 葡萄杢 放射杢 舞葡萄杢 山杢 りぼん杢 リップルマーク 雲頭の杢 糠杢」などがります。

実は、これ以上にもあらゆる杢目があり木の内面的な表情として味わい深いものがあるのです。

今回のカウンターに使われた神代欅にも模様があり、他の建具や道具たちにも玉杢があります。この玉杢は樹齢の高いケヤキの根元近くで出てくる模様で、独特の丸い模様が現れています。この珍しい模様は、縁起がいいとむかしから重宝されて大切な場所で使われてきたそうです。

例えば、有名な話では相撲部屋の看板はこの玉杢を勝ち星に見立てたりします。欅は重い木材だから看板でつくれば「一度看板を上げたら降ろさない」という意味も縁起担ぎで使われたりしているそうです。

私が古民家甦生を手掛けるなかで、いつもうっとりと美しい表情を見せてくれたのが欅の木でした。蜜蝋などで磨けば、杢目がはっきりと出てきてはその独特の飴色や橙色に輝く木肌は傍にいるだけで空間を優しくします。

ただ欅は扱いにくい木材でもあるそうで、よくねじれたり歪んだり、乾燥に時間もかかり臭いもあるそうです。今回のカフェのカウンターは神代欅なので2000年以上前から土に埋まっていたものなのでとても安定しています。

神社仏閣でなぜこの欅が重宝されて愛されてきたのか、この木は日本の風土に適応した日本人が愛している木であるからだと私は感じています。もちろん日本の風土には様々な木がありますが、もっとも日本人が身近に感じて見守られたと感じる木ではないかと私は経験から直観したのです。

全体が欅で室礼した空間で、懐かしい時間を子どもたちに感じてもらいたいそれを繋いでいきたいと思います。

ご先祖様の生き方

昨日は、盂蘭盆会の送りをするためにお墓参りにいきました。お地蔵様においては、馬と牛に見立てたキュウリと茄子の方向を反転させてまたあの世へ気を付けてお帰りいただけるようにお祈りしました。

自然に心が穏やかになるのは、ご先祖様の存在を身近に感じているからかもしれません。私たちが今があるのは先祖の存在があってこそで、それが途切れることがあれば今の自分は存在しません。

お墓には先祖代々から続いているという証拠がたくさん残っており、その時代時代に生きた人たちが繋いできたいのちがあります。個人主義がここまで偏ってしまった現代において、個人であり過ぎるための不安や悲しみなども深くなってきています。

そんな時は、ご先祖様の存在に感謝すれば自分もつながりの一部であることを実感して有難い気持ちが湧いてきます。人はつながることでお互いの存在が如何に大切であるのかを実感します。コロナウイルスが発生してからは、改めて分断の辛さ、寂しさを感じます。つながりながら分散するというのは、思えば先祖が長い年月をかけてきた集団で生きていくための智慧の仕組みです。

改めて、むかしの人たちの智慧を学び直してこの時代の最先端の仕組みを創造していこうと思います。

最後に、昨日のお墓の中には戦争でなくなった方もおられます。遠く離れた土地で、遺体は戻ってこないままに私たちが行ったこともないような場所で亡くなっています。写真を見るとまだ若く、とても聡明で私の方がその方々がお亡くなりになった年齢よりも歳をとってしまいました。

なぜ戦争をするのか、なぜ戦争は起きるのか、なぜ戦争はなくならないのか。

この問いは、今の私の魂の根幹を動かし子どもたちの志事をする純粋な初心の源泉でもあります。人類を愛するからこそ、人類が末永く地球で安らかに暮らしていけるような世の中を創りたい。

自分が今、取り組んでいることのすべては子どもたちへの願いであり祈りです。今の世代の責任と役割を果たすために、まだまだやれることがあります。戦争を防ぐには、戦争が発生する前に行動するしかありません。

徳積の活動も、いよいよ佳境に入っていきます。

ご先祖様の生き方に恥じないように、私の役割と使命を全うしていきたいと思います。

場道の心得

日本の精神文化として醸成し発展してきたものに、場・間・和があります。これは三位一体であり、三つ巴にそれぞれが混ざり合って調和しているものですからどれも単語が分かれたものではなく一つです。

この三位一体というのは、真理を表現するのに非常に使いやすい言葉です。私たちは単語によって分化させていきますから、実際には分かれていないものも分けて理解していきます。言葉はそうやって分けたものを表現するために使われている道具ですから、こうやってブログを書いていても全体のことや真理のことなどは文章にすればするほど表現が難しく、読み手のことを考えていたら何も書けなくなっていきます。

なので、共感することや、自分で実感したこと、日記のように内面のことをそのままに書いていくことで全体の雰囲気を伝えているだけなのかもしれません。

話を戻せば、先ほどの三位一体ですが例えば心技体というものがあります。これは合わせて一つということで武道や茶道、あらゆる道という修業が伴うものには使われるものです。これらの分かれて存在しているようなものが一つに融合するときに、道は達するということなのでしょう。言い換えれば、このどれも一つでも欠けたら達しないということを意味しています。

そして私に取り組む、場道もまた道ですからこの心技体は欠かせません。では何がこの場によっての心技体であるかということです。これを和でわかりやすく伝えると、私は「もてなし、しつらい、ふるまい」という言い方で三位一体に整える実践をしています。そもそもこれが和の実践の基本であり、そして同様に場と間の実践にもなります。

まず「もてなし」は、心です。「しつらい」は技です、そして「ふるまい」が体です。

これは場道を理解してもらうために、私が自然に準備して感覚で理解してもらいその道を伝道していく方法でもあります。もてなしは、真心を籠めることです。相手のことを思いやり、心の耳を傾けて聴くこと。そしてしつらいは、それを自然の尊敬のままに謙虚におかりし、場を整えていくことです。美しい花の力を借りたり、磨き上げた道具たちに徳に包まれることで万物全体のいのちに礼を盡します。最後のふるまいは、一期一会に接するということです。この人との出会いはここで最初で最後かもしれない、そして深い意味があってこの一瞬を分け合っているという態度で行動することです。もちろん世の中のふるまいのような立ち振る舞いもあります。しかし本来は、見かけだけのものではなくまさに永遠の時をこの今に集中するという態度のことで覚悟のことでもあります。

人生を省みて、その時にどのようにふるまったのか。

つまりその人は、どのような夢や志をもちこの時代の出会いの中での「ふるまい」という上位概念でのふるまいを私はここでの三位一体のふるまいと定義しているのです。これは実は、先ほどの「もてなし、しつらい、ふるまい」の共通する理念を指しているものでもあります。

つまり「生き方」のことです。

場道の真髄と極意は、生き方を日本の文化を通して学び直すことです。先人たちに倣い、本来の日本人の大和魂とは何か、生き方とは何かを、思い出し、それを現在に甦生させていくことで魂を磨き結んでいくのです。

子どもたちが、この先もずっと日本人の先祖たちの徳を譲り受けて輝き続けられるように見守っていきたいと思います。

 

 

日本人の心

以前、私は偶然にもドイツ人建築家のブルーノ・タウトの設計した旧日向邸を見学したことがあります。もう6年くらい前になりますが、仕事の合間に立ち寄ったお蕎麦屋さんで偶然ブルーノ・タウトの遺作の家具をみせていただくご縁がありそのまま興味を持って訪問してきました。

お蕎麦屋さんでは親切に、他にも2階にあるブルーノタウトのものを案内してくれました。今思えば、その時に私はこの西洋と日本の工芸の合わさったものを見せていただいた気がしています。

現在、徳積カフェの設計でどうしても椅子を中心にどうしたものかと悩んでいました。しかし思い返してみれば、私はブルーノタウトが日本の工芸職人に、様々な工芸を依頼してつくらせていたものを観てその魅力と価値を感じていたのかもしれません。

そもそも椅子とは何か、もっといえば西洋文化とは何か、その原点や本質を知っているからこそ日本の伝統工芸に示唆を与えることができたように思うのです。私の身近には、現在、多くの工芸品が集まってきています。

その一つ一つには、実に多くの文化が融合しているものばかりであるのに気づきます。例えば、今、私がパソコンでブログを書いているのに使っている八角テーブルは中国の文化を取り入れた風水で仕上がっています。

思想をそのままカタチに換えてそれがテーブルとなって新しい文化に融合していく。

その役目を果たすデザイナーや設計者、そして職人たちは、「思想や文化」を伝統的な日本人ならどう咀嚼して融和させられるか、もっとシンプルに例えれば、今の風土の素材で挑むのなら何をどうするかと試されているのです。

発明や発見というものは畢竟、そういうものです。

あらゆる素材をあらゆる文化で結合させる、そして新しい調和を産んでいくということ。

私たちは日本人として日本の風土で生まれ育っています。単なる輸入したものを、輸入した素材で似たものをつくってもそれは本物ではありません。その証拠に、何も風土で練り上げられたものが活用されていないからです。

本物とは風土の化身であり、私たちはあくまで海外から来た新しいものを風土で調理して本物に仕上げる必要があるのです。私がこだわっているのは、この一点であり、建築やデザインを手掛けるものの中心には常に「風土」を基本にしています。

現在、建築も設計もデザインもあらゆる職業は分化して専門家されています。私は専門があることはいいことだと思っていますが、専門しかしないというのはどうかなと感じます。

なぜなら自然はすべて専門が集積調和したものでありそれぞれは全体で成り立っています。それを風土といいます。その風土を究めることが、工芸に出たり、大工に出たりして民藝という具合に人々がすべてアーティストに変換されているのです。つまり風土の美を日本人は全員が持っていて本来は全員がデザイナーでありアーティストでありミュージシャンであったからです。

無名の、何の職業と関係ない人が、真善美をあらわすほんの小さな芸術を数々に産み出してきました。そしてそれが日本のふるまい、しつらい、もてなしなどにも融和されて独特な生き方を示していました。

忘れてはならない日本をもっと大切にすることこそが、子孫たちへ日本人の心を譲り遺す鍵となります。私のできることで、その生き方で示していきたいと思います。

椅子との出会い

徳積カフェで導入する椅子は、日本の伝統的な木工を使って製作された70年代の椅子とご縁があることになりました。私は椅子のことはあまり深めたことがなかったので、どこからつながりを持てばいいのかと大変悩みました。

最初は、民藝の椅子からはじまり海外の椅子の事を調べました。その後は、日本的な椅子とは何か、そしてそもそも椅子というものは何かということを深めていきました。結局たどり着いたのは、不思議ですが70年代の椅子がもっとも相性がよく導入を決めました。

改めてそこからわかってきた椅子のことを少し深めてみます。

そもそも椅子のはじまりは人間が座るためにかつては石や切株などの自然物が転用されさらに椅子が座るための道具として利用されてきたといいます。椅子の歴史で現代語られるのは古代のエジプトで椅子は権威の象徴として用いられたといわれます。

日本では平安時代に身分によって、椅子、床子などが用いられましたがこれはあまり普及せず、戦場などで折りたたみ椅子の床几(しょうぎ)や、露天の茶店などでベンチに相当する椅子縁台(えんだい)からでした。普段から畳に直接座る生活習慣を持っている日本人にはあまり椅子は馴染みませんでした。

そもそも和服も椅子に向いておらず、洋服は畳にあまり向いていません。無理に生活様式が変わってしまうことで、そもそもの相性のよかったものたちが不釣り合いになっていきます。なんでもそうですが、入れ替えではなく、順応するというようにその風土や環境、文化に合わせた変化や進化をしっかりとその時代時代の作り手や使い手たたちがブラッシュアップしていくことが文化の正常な発展には何よりも大切だと私は感じます。

話を戻せば、実は明治に入るころまで私たちは椅子に座るという文化がなく、江戸時代などは椅子に座ると足が痺れるというように椅子が苦手な人が多かったようです。今では床に座ることが苦手な人が増えていますが本来、私たちはずっと床に直接座るという生活習慣を持った民族だったということです。そして明治になって文明開化が叫ばれてからは、まずは学校や役場で椅子が用いられるようになりました。そして次第に一般家庭にそれまでの日本的な生活様式から、西洋的な生活様式に入れ替わる過程で同時に椅子もまた普及していったのです。

そこで今回、なぜ70年代のミッドセンチュリーの椅子になったかということなのです。戦後に、それまで戦争で使われてきた技術が平和のために使われ始めます。そのミッドセンチュリーを代表する家具のデザイナーといえば、チャールズ&レイ・イームズ夫妻、エーロ・サーリネン、ハーマンミラー社とイームズ夫妻を引き合わせたジョージネルソン、イサム・ノグチなど多くの人物がいます。日本では剣持勇、柳宗理などの名前が有名です。

1960年代から日本も高度経済成長期に入り、世界に通用するものづくりをすることを掲げ、あらゆるデザイナーたちが世界一を目指して品質を向上させていきました。そしてこの70年代には、それが認められ世界で日本人のデザイナーが活躍をはじめるのです。

この時代の家具は今見ても、本当によく練り上げられ洗練していて世界の家具の良いところどりをして日本の木工技術の長所を上手く組み合わせています。私はこの時代の家具の中に、世界の文化の一つに誇れる日本文化と日本のものづくりの魂を感じました。

今回のカフェは、日本の木工の粋を集めたものになりますからその木工の魂を温故知新して寛ぎ、日本の文化や徳を深く味わってもらうために70年代の椅子を導入することにしたのです。その椅子は、地元福岡発祥の辻木工を中心に、山川ラタンなど職人の業が光るものです。

手仕事の美しさ、その時代から今にいたっても普遍的なデザイン。この椅子に座って徳を語り合って子どもたちのために譲れる文化を遺していきたいと思います。

地球の声

現在、地元で自然を観察していると秋の虫たちや植物たちが早々に現れてきています。また空も空気も風も、夏になり切れずすっきりとしません。地球の様子の変化を身近に感じています。

見慣れている景色をずっと同じように過ごしていると、見慣れない景色を感じるものです。自然を観察するというのは、同じリズム同じ景色を眺めながらも同じではないものを発見するということに似ています。

昨年と比べてどうか、そして昨日と比べてどうか、3年前、5年前、10年前、また100年前、1000年前と比較して今を観察します。

私たちの地球もまた変化していますが、その変化があまりにもゆっくりなため気づきにくいだけで常に変化を欠かすことがありません。その証拠の一つが、気温であり、磁力です。

地球は自身で自転し、多少のズレ運動を使って気温調節をします。そして磁場を巧みに変容させ、太陽風や宇宙からの影響を調節しています。

私たちは循環とも言いますが、その循環の中心軸であり原動力が回転です。回転をすることで、微妙な匙加減を調節しているともいえるのです。

私たちの体内の健康もまた循環であり回転です。日々に何度も血液を回転させ、リズムを回転させることで一定の体温や神経を調節します。地球の生き物たちは、地球に合わせながらそれらの回転を調節して共生しています。

現在、世界では地震、噴火、水害、台風、あらゆる自然災害が発生しはじめましたがこれらがここまではっきりしてきているということは地球の自然現象で何かがはじまっているということです。

私たちはたいした歴史を語れないほどに言語化された歴史はまだ数千年程度ですが、地球は46億年くらいは歴史があります。その歴史にアクセスするのは理屈でも知識でも科学でもなく、直観や感覚、先祖の記憶と一体になっていくことです。これは言い換えれば、自然界の生き物に対してもっと謙虚になりその声に耳を澄ませていくことで近づいていくように私は思います。

これからいよいよ人類は、大きな岐路に立たされます。如何に声に耳を傾け切るか、この今の素直な心が試されています。先人に学び、先祖に感謝し、心を洗い清めて歩んでいきたいと思います。