昨日は、80年続く伝統の木材所を訪問し神代欅を観てきました。秋田県の河川工事で偶然出てきた神代欅だったことを知り、この木材所でもはじめての取り扱いだったそうです。
こうやって一期一会に奇跡のような出会いによって、一つの建物が組みあがっていきます。建築はまさに、ご縁や出会いから彩られる豊かな人生と同じです。その中で廻り出会ったものたちとカタチどった中で住めるということはとても仕合せなことです。
私たちが家に住むというのは、家を形成してきたご縁に見守られて生きているということでもあります。どのような家をつくるのか、そして家族を形成するのか、それはこの一つ一つの奇跡的で運命的な出会いとご縁によってしか出来上がりませんから心の声に従って素直に謙虚に歩んでいきたいものです。
この製材所は、製材所としての木材の取り扱い種類の多さ世界一の称号を持っています。現地には、巨木がずらりと並んでおり、すでに立派な一枚板になって乾燥させている最中の板が理路整然と置かれていました。
風雨に晒されることによって、保水と乾燥を繰り返し適度な水分量まで絞られていきます。木材は生きものですから、目利きは代表者が行っているそうですが生きものだけに時には材料では使えないものを仕入れることもあるといいます。
所々には、割れている木材や傷んでいるものがあったりします。その使える場所を丁寧に目地を見極め製材にしていく様子はまさに職人芸そのものです。
今回は大工棟梁と一緒に訪問しましたが、大工さんは木を観続けていますから木に精通しており木目やねじれ、状態をつぶさに観察していきます。そしてもっとも建てるものにあったものを探し当てていきます。ここもまた職人芸です。そういう私も、度の木にするのかは理念や道理、ご縁や一期一会のタイミングに合わせて決めていきますからこれもまた職人芸とも言えるものかもしれません。
この神代欅がこの製材所に入ってすぐに色々な人の手に渡る一瞬の期間に、この材料と出会い、人と出会い、時機と出会い、物語に出会う、これもまた観続けるからこそできる芸当であると私は信じているところです。
いのちというものは、その時々を精いっぱい生きています。私たちはあれこれと思い煩うことが増えてきていますが、本来はこの今、ここ、一瞬をよく観て、それが何かという理由や本質を捉えて生きていくもののように思います。それはいのちというものが、そのような感覚のものであるからです。
永い眠りから覚めた神代からの木材がどのようにこれから新しい物語をカフェで展開していくのか、そしてどのようなご縁につながっていくのか。とても楽しみに感じつつ、私も太古の魂と共にこの時代の大きな節目に永い眠りから仲間と共に覚めていこうと思います。