余韻を生きる

私は人生の中でよく「余韻」を味わうタイプの方だと思います。振り返りがとても好きで、楽しかった日はそのあとに訪れる余韻の方をもっと楽しみにしています。この余韻は、心の本音との対話の時間でもあり人生の豊かさを彩る記憶の数々です。

幼いころは、楽しすぎることを怖がり余韻を感じるのが苦手な方でした。それが次第に、内省を味わうことを続ける中で仕合せを噛みしめるようになってきて余韻を感じることが人生の醍醐味であると思えるほどです。

人生にはそれぞれの体験があります、喜怒哀楽、まさに感情が味わうセンスを高めて感受性を育てていきます。私たちの感情と心はそのままにつながっていて、感情が心に素直に影響を与え、またその逆も然りです。

心と感情が一致するとき、私たちは一体になった姿になります。まるで赤ちゃんの頃のような神人合一に近づくのです。

私が特にこの歳になって余韻を味わう時に仕合せを感じるのは、ご先祖様の存在を感じるとき、人の心の優しさやぬくもり、思いやりに出会う時、同じ道を歩む仲間に出会い、共に笑い、共に食べ、共に詠う時、当たり前の暮らしの中にある当たらり前ではないことを噛みしめるとき、また自然の美しさやいのちが甦り寿命が大切にされるときなどです。

歳を取ることが幸福に感じるようになったのは、道に学び、徳を磨き、愛を綴り、場を清める面白さで好奇心が止まらない日々を生きているからかもしれません。

もちろん疲れも苦労も心配も重労働もありますが、それもまた心地よく、それができることの有難さを感じます。

生きていることは素晴らしい。

そう感じるとき、私たちは余韻を生きています。人が人と出会い、時と出会い、場と出会い、魂と出会う、まさに余韻を生きる一期一会の生き方は、この世で懐かしい喜びを大切に寿命を全うしようとする太古からの意志を感じます。

子どもたちが憧れるような生き方や働き方を通して、遠大で悠久の夢を子孫たちが健やかに暮らしていけるように伝承していきたいと願います。

仲間との邂逅に感謝します。