コロナの影響があって現在は、分散型にしようという気風が全世界的に広がっています。しかし実際には都市型集中という仕組みはむかしからリスクが高く本来の自然界の生き物たちはみんな自立分散させて種を保存させているのです。
例えば、もしも人類を一か所だけに集めてしまい都市の中だけで生活すればもしも凶悪なウイルスが蔓延すればそこで絶滅してしまいます。敢えて、広い範囲で小さく分かれて生活していればそのウイルスで一部が滅んでもそのウイルスもまたそこで消失していくものです。これも一つのリスク回避の道理で、すべての生き物には必ず寿命がありますから、その寿命が尽きるまでは耐えて離れていればいいのです。
私たちのいのちは永い進化の過程で、世界各地へ広がり独特の進化を遂げてきました。それは遺伝情報に記されていますが、あらゆる風土に適応していく中で免疫や耐性というものをそれぞれに獲得してきました。
寒いエリア、乾燥のエリア、灼熱のエリア、高地のエリア、高湿度のエリア、それぞれに順応しながら分散型に多様化させて生き残るための智慧を獲得していきました。
現在は、みんな一斉に同じような生活様式で同様な環境下にありますがこれが本来どれほどに危険なことなのかを改めて見つめ直し考える時機だと私は感じています。でなければまるで今の人類は一斉に人口を増やし一斉に滅ぶために集まっているようにも思えます。
自然が謙虚なのは、生き残るためです。生きものがそれぞれにみんな足るを知りつつほどほどに種を保ち、絶妙なバランスでみんなで協力し合って地球で生き残ろうという共通戦略は不動のものです。すべての生命はそうやって生き残るためにも利他的に協力し合い、それぞれに自律分散しているともいえるのです。
地球という場でいのちを維持しようとみんなが考えるとき、お互いに地球の生命体は路傍の石ころや苔にいたるまで「みんなで一つである」と認識し、敢えてそれぞれに生命保持のための適切な距離を保ちながら互いに共生し合う関係を築こうとしていることはわかります。これが共生と貢献の原理原則です。
昔の人たちは、その自然の道理を知っていましたから様々に常に分散させていくことこそが本当の意味でのリスク回避であることを熟知していました。農作物や住宅の配置、村や家という集合体でのコミュニティの形成、風土や生活習慣などすべて分散型で賢く(スマート)に暮らしたのです。
私は次世代型の都市(シティ)は、この分散型であること、そして智慧と共に暮らすことが未来都市の在り方になると確信しています。今は、可笑しなことをいうと思われるかもしれませんが廻りくる巨大な宇宙や自然災害の歴史の中で「末永く生き残る」ということ一点に絞り込み、そのテーマの実現を大前提にすればいつか必ず人々の間にも理解されていくだろうと思います。
子どもたちのためにも、自分の暮らしフルネスで次代の在り方を示し、時代の行く末を見守っていきたいと思います。