整うこと

日々の暮らしの中では、「整える機会」が多いかどうかがとても重要になってくるように思います。心や感情をはじめ体、感覚、関係、あらゆるものを整えることで、平常心を養うことができます。

この整うとは、私の定義では調和や調律のことをいいます。

例えば、調律でいえば楽器の音高を、演奏に先立って適切な状態に調整することをいいます。他にも調理もまた、最高の状態で素材が活かしあって美味しくなることいいます。さらに調和といえば、自然の調和のように過不足が一切ない完全な状態になることを言います。

そしてこの整うがわかるというのは、自分の本来の最高の状態、自然の摂理がわかるということでもあるのです。

現在の世界は、この自然の摂理を蔑ろにしてきたことで自然の摂理がわからなくなりました。同時に調和や調律といった整えることもわからなくなりました。そのことで、バランスを崩し、病む人や暴走して疲労する人、自分が分からなくなる人などが増えていきました。

世界が乱れていくとき、それは自然の摂理を忘れていくときです。

それをどう取り戻していくのか、自然であれば災害を通して教えてきます。他にも環境の変化などでも理解できるようになります。人間は、天敵である存在によってそれが伝えられます。

私はこの大切な局面で人類にとって重要だと思うことは大切だと思うのが整える機会を持つことからはじめることです。人類がみんなで整え直そうと話し合い実践すれば、何が自然の摂理で、何が本来の調和であったのかを気づき直します。

そうすればかつてのような暮らしフルネスな世の中を思い出し、みんなで調律し合うように自律した暮らしを営もうという人類の叡智に回帰するように思うからです。

長い目で観た時に、過不足がない完全な状態の暮らしが何か、そして人類は何が最高の状態だったのかを忘れないようにしていくことです。かつて人類がもっとも平和だった頃がどうだったか、整うことで思い出すのです。

私の「場の奥義」はこの整うこととセットです。引き続き、未来の子どもたちのために自然の摂理を伝承していきたいと思います。