暮らしフルネス 生活リズムの本質

生きものたちには生活リズムのようなものが備わっています。それは太陽や月、星の運行をはじめ四季や温度、あらゆる変化の中でも常にそれぞれのバランスを保つために微細に変化を続けています。

同じ温度、同じ光、同じ時間、そんなものは一つもなく、常に万物は流転しながら変化を已みません。その中で私たちは、生活リズムを持ち、自律神経を働かせ微妙に変化に合わせて調整、調律を繰り返していくのです。

よく考えてみたらすぐにわかりますが、季節の変わり目に体調を崩しやすいのはそれだけ周囲の環境が大きく変化していくからです。その中で、季節にあわせて空気も水も、風も、そして温度も光も気候も全部変化するのですからどこに照準を定めてリズムを整えるのかを生きものたちはみんな一生懸命に行っています。

その一つの方法が睡眠です。

睡眠はただ寝ているだけではないのはすぐにわかります。私たちは起きている時間は、頭を動かし神経を使って生活します。寝ているときは、それを休めて別の機能を働かせているのもわかると思います。病気になるときもしっかりと休んで寝れば、少しずつ回復していきます。

この睡眠というものは、単なる 寝るではなく生活リズムを整える意味もあるのです。この生活リズムとは、色々な定義がありますが私にすれば人間に限らずあらゆる生命たちがバランスを保つことをいいます。言い換えれば、バランスを調律調整する、本来の今の状態に合わせていく、全体の自然の中で自分自身が健康であり続けるためにいのちのハタラキを整えていくとも言えます。

私たちは五感で今の季節を味わえます。

たとえば、食であれば旬のものを食べれば全身が美味しいと喜びます。他にも、心地よい自然を感じる、時には不快な自然の中にも今の季節を感じ取ります。臭い、色彩、音、これらはすべて自然の運行や周期を現しています。

その時々で存在している自然のものに触れることで私たちは季節を感じて、日々を味わうのです。その中でも、大切なことはそこに好奇心を持つことです。好奇心は自然のリズムの中心でもあり、生活リズムを整えるためには何よりも重要な役割を果たします。

みんなでよく笑い、楽しく愉快に生きていく、そして暮らしの中で豊かに過ごす時間がたくさんあるということ。それが何よりも生活リズムを整える妙法なのです。先祖代々、私たちがここまで永く暮らしてこれたのはその生活の知恵、暮らしの仕合せを生きてきたからです。ハレとケもまた、その智慧の一端でしかないのです。

暮らしフルネスは、これからの人類に大きな影響を与えます。人類が乱れた生活リズムをどう整え、自然と調和していくか。子どもたちの未来のためにも私のこの実験が世の中の人々の意識が易えていけるよう丁寧に暮らしを甦生していきたいと思います。

自然体

自然の感覚が分かる人がいます。その自然というものの理解の深さというか微細さを知るというのは、とても価値があることのように私は思います。なぜなら、自然への理解の深さこそ真理への深さだと実感するからです。

その自然は、人間がどこか切り取った自然理解のことではありません。あるがままにいいものはいい、そして本物の価値を理解できるということです。

何が本物であり、何がそうではないか。

その感覚を持っている人はこの自然あふれる世界において美しく素晴らしい日々に触れながら暮らしていくことができるからです。この世に生まれてこの自然に感動する日々を送れるということはそれだけで仕合せに生きているということでもあります。

少しの風や光、水や虫の音、そして空や月の揺らぎ、なにもかもが感動の世界です。自分の五感をはじめ、すべての感覚はその美しいものをとらえ好奇心は発揮し続けられていきます。

心のままに心の世界を堪能し、心の赴くままに真善美を味わいます。その感動は感謝であり、歓喜であり、感激にもなります。

何もない中に仕合せを感じ、何かがあればそれも仕合せを感じる。

情動もまた感動の一つですから、子ども心のようにドキドキワクワクと情熱が冷めません。人生の価値とは何か、それはこの自然であること、自然になること、自然体で生きることだと私は思います。

人は色々なしがらみや刷り込み、そして周囲の環境や人間関係によって本来の自然とは少し離れた存在になってしまいます。しかし時折でも暮らしの中で、自然に触れることで本来の生きる仕合せを整えていくことができるように思います。

暮らしフルネスにはそういう仕合せもまたあります。

子どもたちが健やかに仕合せな日々を、素直に喜び好奇心を失わず自然体で自然と愛し合えるように見守り場を育てていきたいと思います。

懐かしい光

先日、あるお客様たちが來庵して陰翳礼賛の話をしました。古民家をはじめ、日本のむかしの道具たちは眩い光をあびる中で光るよりも、少し薄暗いところの方がそのもののもっている存在が光ります。

この光というのは、色々な捉え方があります。

例えば、そのものが光るもの、反射して光るもの、内面の深いところにある光、など光と一言でいってもその光には色々な意味や作用があるのです。

私はこの陰翳がとても好きなタイプで、ありとあらゆるものを陰翳の中に置いてみてゆっくりと味わい眺めます。特に朝夕の静かな時間、目が覚めたり眠ったりするときのゆらゆらと光が落ち着いていく様子は格別で心が清らかに沈んでいきます。

日本人は心を整え澄ます生き方を常に維持してきた民族でもあり、自分の真心が穏やかであるか、清らかで澄んでいるかを確かめながら日々を慈しむにように生きてきました。

その生き方が、日々の身の回りの道具や暮らしに反映されており特にこの日本の地球の中での風土が光を多様化させてきたのではないかと思うのです。西洋諸国にいったとき、アジアの国々を廻った時、そのほかのエリアもなんどか訪問したことがありますが、まず私はその国の光を観ます。光り方を見て、どの位置にあるのか、太陽との関係性、風土の持つ空気を読みます。そしてその国の文化を味わいはじめるのです。

少し長くなりそうなので、ここまでにしますが私が好きな日本の光はやっぱり日本民家の畳や障子、簾や水盤などから漏れてくる光です。

調和する光は、どこか懐かしい光を感じます。

懐かしい光をここで放ちながら、それに気づく人や仲間を増やし、真心のつながりを弘めていきたいと思います。

人生の目的

人生の目的というものがあります。これは全人類の目的のことであり、人は何のために生まれてきたのかという深い問いのことです。

これは人によって別の答えがあるように感じていますが、実際にはどの人も最終的には同じ目的を共有するように思います。況や、本来すべての生き物たちは同じ目的を持っているともいえるのです。

しかしその目的は、空気や水、太陽のようにあまりにも当たり前に存在するものですから改めて議論されることがありません。それに人間は、枝葉などの細部は言葉で認識できていても宇宙のような偉大な存在のことはなかなか認識することができないのです。

目的も同様に、偉大な存在ゆえに、当たり前であるゆえになかなか理解されていないところであろうと思います。

敢えて言葉にすると私は人生の目的は何かといえば、魂を磨くことであろうと思います。どのいのちもすべては魂を磨くことに向かっているのは、自然界を観ていれば自明するものです。そしてそれは「ただ磨くのみ」なのです。無目的に見えるそのただ磨くということの中にこそ、本来の目的があるということ。

無目的の中に目的があるというと、何を言うのかと思われるかもしれませんが目的の本質は大宇宙や自然の運行と同様に調和しているのです。調和するからこそ、磨く必要がある。

つまり、私たちは大きな円の中でいのちを巡らせている存在あり常に魂はその中のご縁を縦横無尽につなぎあっています。そして互いにその場その時にふれあい磨き合い、また新たな調和を産み出します。

最初から永遠であり、終わりもない永久無限の存在とも言えます。

だからこそ「ただ磨くのみ」なのです。

私の思う徳の本体とはこれのことです。いつの日か、科学がある一定のレベルを超えて磨かれその本質を顕現するとき、必ず私はこの人生の目的にたどり着くように思います。そしてそれは磨ききり洗練されたとき、生き方の中から出てくるものであろうとも思います。

子どもたちにどのような生き方を遺していけるか、心の中にあるこの存在を人々の魂に伝承しつつ、磨き合いを楽しんでいきたいと思います。

無花果という存在

野菜も果物にも旬がありますが、旬のものの美味しさは格別です。よく考えてみると、今のように冷蔵庫や保存技術がなかったころは食べ物の旬が少しずつずれていたからこそ私たちは食べ繋いでいくことができました。

ありとあらゆるものを食べるようになったのは、生きていくためであり周囲の動物たちもみんな同様にその時機時期に何かを食べては生き延びていきます。長い年月をかけて、私たちは食べ物を工夫したから生きてこれたのです。

人類の多様性の発端はこの食べ物の発明に因るのです。たくさんの種類を育て組み合わせ保存したり、粉にしたり発酵技術を産み出し、移動し分け与え交換し、今ではお金をつくりだして今のような世界にしました。

もっとも食料を世界中で流通させ、ありあまる食材たちに囲まれて生活をしています。食事の問題が解決しているからこその文明の進歩になり、ITも金融も発展していくのでしょう。これから食糧難が到来するといっても誰もピンとはきませんが、人類は常に食糧難との正対の歴史であることを忘れてはいけません。

さて、話を旬に戻しますがちょうどこの時期はイチジク(無花果)が旬です。来客があるために、イチジクを使ったおもてなしを準備しています。

そもそもこのイチジクは面白い歴史と個性があります。歴史からいけば、ウィキペディアにはこうあります。

「原産地に近いメソポタミアでは6千年以上前から栽培されていたことが知られている。地中海世界でも古くから知られ、エジプト、ギリシアなどで紀元前から栽培されていた。古代ローマでは最もありふれた果物のひとつであり、甘味源としても重要であった。最近の研究では、ヨルダン渓谷に位置する新石器時代の遺跡から、1万1千年以上前の炭化した実が出土し、イチジクが世界最古の栽培品種化された植物であった可能性が示唆されている」

1万1千年前より栽培されていた可能性があり、今わかっている範囲での世界最古の栽培品というのです。そしてそれを裏付けるもう一つの面白い歴史があります。それはアダムとイブがはじめて食べた禁断の果実とはイチジクであったというのです。『旧約聖書』の創世記(3章7節)に「エデンの園で禁断の果実を食べたアダムとイヴは、自分たちが裸であることに気づいて、いちじくの葉で作った腰ミノを身につけた」と記されていることからもわかります。果実がリンゴになったのは、北方ルネサンスの影響でリンゴと変えたそうです。

これは衝撃な話で、それでは今の有名なスティーブジョブズの会社アップルは、本来はイチジクだったかもしれません。私たちでいえば、桃太郎と信じていたものが柿太郎、もしくは蜜柑太郎、葡萄太郎のような感じでしょうか。やっぱり長い間、読み聞かされた桃の方がしっくりきますが。これは西洋人も同じかもしれません。

またイチジクの個性も大変ユニークで、もともと無花果が花がない果物と書かれるのは花をつけずに実をつけるからです。しかし、これは有名な話でイチジクはなんと実の中に花が咲きます。壷状の花托内側に白い小花が密集しているため、外からは花が咲かないまま実がなっているのです。壷状の花托がつぼみ状に肥大して果実となる仕組みです。

さらにこのイチジクは、太古の昔から変わった相利共生関係を構築しています。無花果とイチジクコバチという虫はお互いに生存に必要不可欠な存在として存続することすらできない関係なのです。どちらかがなくなれば必ずどちらも死んでしまう関係です。しかも世界100種類以上の無花果がありますが、その1種に対してこのハチもまた1種の関係。まさに一対一の関係で一蓮托生、何千年もむかしから共に生き続けてきたのです。アダムとイブが食べる理由もわかる気がしてきます。

栄養も多く、ドライフルーツとしても重宝され、さらには薬としても使われます。日本には江戸時代に天草に在来種が輸入されそれから栽培されています。天草では今でも南蛮柿と呼ばれているそうです。そう考えると、一万年以上前から存在を確認されている果物がカタチを換えて数百年前から今の私たちの日本にまで到来して食卓に並んでいることが奇跡だと感じます。

それまでの長い期間、この果物と昆虫は生きてきたのです。そう考えてみると、私達のいのちはみんな共生関係を持っているからこそここまで生き延びてこられました。改めて、子どもたちのためにも果物の歴史からも生き方を学び、本来のあるべきようを思い出し謙虚に食をいただきたいと思います。

変化の本質

時の書と呼ばれるものに中国の「易経」があります。時の変化と兆しをよく読み、何をすべきかを記しています。時というものに注目し、変化というものがなぜ起きるのか、それを突き詰めて追及したものではないかと私は思います。

私も自然農の実践者ですが、常に風を感じて時を読みます。なぜなら種蒔きの時機や収穫の時を間違えないようにするためです。どんなに何度も種を蒔いても、育たない時機に蒔いても芽は出ることはありません。常に天の運行や大地の状態、そして風向きや気候をよく観察していなければ自然の変化に合わせて行動していくことができないからです。

自然は常に「兆し」を知らせるのであり、私はその兆しをよく観察して自分の行動を決めています。兆しはどのような時に、発生するのか、それを易経を紹介しながら少し私なりの直観の整理をします。

「窮すれば則ち変じ、変ずれば則ち通ず」

これはなんでもそうですが、変化は常に振り子のように左右に、もしくは砂時計のように上下に振れます。陰に極まれば陽になり、陽に極まれば陰になる。世の中がもっとも暗い時には明るい方へと移動し、その逆もまた然りです。

自然は常にバランスを保つことが真理ですから、絶望の果てに希望があり、希望がまた絶望を呼びます。一見、終わりだと思っている最中にこそ始まりがあり、始まりの時こそ終わりが出てくるのです。

変化に調和する人は、その状況をよく観察して道を拓いていくのです。

「君子豹変す。小人は面を革む」

これは、リーダーは変化に合わせて自分を素早く的確に適応させていきます。そのためには、居心地のよい場所を瞬時に離れてでも危険に身を晒してでもその変化の兆しに適応していく方を優先させます。この豹変とは、大切なものを守るために変化に合わせるということです。大切なものを守るのか、それとも自分を守るのか。大切なものは何かを知っているからこそ、そのために変化するのです。その反対に、変化を恐れる人は表面上の変化だけはしますが本質的には変化はしません。理由は、変化そのものを怖がっているからです。

実は時が変化しているとき、不安なのは自分も一緒に変化していないことに気づいているからです。変化している最中は、自分も一緒に変化しているからこそ不安や恐れはなくなります。変わっているのを本能的に知っていながらもいつまでも変わろうとはしないで、変わろうとしているふりをする。自分を守るために周りを変化させるのか、それとも自分から変化に合わせて自分を変化させるのか。

これは自然を相手に自分をコントロールするか、自分の都合で自然をコントロールするかと同じ話です。

どうにもならない大きな変化、つまり災害級の時の変化が来ている時にそれをなんとかしようとするのは小さな存在の私たちには不可能です。自然への畏敬や畏怖があるからこそ、君子は豹変すると私は思います。

最後に、

「積善の家には必ず余慶あり」

日々の暮らしの中で、小さな徳を磨き続ける人は必ず善を積み続けています。そういう家は、不思議な余慶や恩恵をいただきます。これは自然の他力をいただくことに似ています。種を蒔けば、自然に太陽の恵み、雨の恵み、風の恵み、土の発酵、いのちの調和による見守り、あらゆる恩恵をいたきながらすくすくと育っていきます。

これは種だけで育ったわけではなく、その種を活かそう、その種を見守ろうといった大自然の徳が働くからです。自然を敵視する人や自分の都合ばかりを優先して全体快適でない生き方をする人はこの余慶があまり入ってきません。自分でできることがわずかしかないと本当の自己を直視することができれば、如何に自分の徳を磨いていくかということに正対するはずです。

日々は善を積み徳を磨くための大切な機会です。

時を歩む人たちはみんな、同じ法則や真理をもって道を拓いていきます。これからの子どもたち、子孫のことを思えば思うのほどにその大切さが身に沁みます。引き続き、今、ここで脚下の実践を楽しみたいと思います。

暮らし方改革~暮らしフルネス~

最近、働き方改革という言葉が当たり前に聴かれます。しかし実際に働き方を換えているといっても、時短になったり、場所が変わったりするくらいでそれを改革とは言わないように私は思います。

そもそも改革というのは、それまでの意識が完全に別のものに入れ替わるほどの大きなイノベーションが発生したということです。それは言い換えれば、生き方が完全に別の何かに換わってしまうということです。

働き方改革が生き方改革であるのは、そのことから言えます。生き方が変われば、当然一緒に働き方も変わっていきます。それが生き方と働き方の一致であり、人生観が変わってしまい新しい人生がはじまったというくらいの変革が発生するということです。

例えば、人生観が変わるというのはどういうときか。

それは死にかけるような大病や事故、生死を分かつようなギリギリの体験をしたり、厳しい修行により悟るような体験をしたり、それまで信じてきたことがひっくり返るようなことに出会ったりしたときにも人生観が変わる人がいます。

この人生観が変わるとは、ある体験によってそれまでの生き方とは別の生き方を知り、その生き方に換わるということです。生き方改革とは人生改革ですから、それまでの人生とは決別し新しい人生を生きるようになるということです。

そしてその新しい人生を生きることを、暮らしが変わると私は定義しています。世の中でいうところの暮らしは、なんとなく生き方も働き方も変わらずにただ単に日ごろの生活の何かを少しオプション的に足したという具合のものです。道具が変わったり、衣食住を少し変えたくらいで暮らし方改革とかいったりします。

現代の便利な世の中で、なんでも大量生産大量消費の都市化された社会の中でいくら暮らしを換えたといっても変わったのはお金の使い方と時間の使い方くらいです。使い方改革という言葉がありませんから、使い方はたいして問題ではないということでしょう。

本来、暮らし方改革というのは別の人生を歩むと決めたときの副産物として日々の生活のあらゆるものが変わるということ。私に言わせれば、機械的な生活から生命的な生活へくらいの変化があったということです。

私の提案する「暮らしフルネス」はそれを実現するものなのです。

まだ言葉では伝わらないところも多いので、実践現場での体験や研修によって気づきを与えて変化を掴んでもらうしかない状態ですがそのうちこれがコロナの御蔭で新しい常識になっていくことを確信しています。

子どもたちの未来のために、暮らし方改革を実践していきたいと思います。

めぐりあわせ~感謝の権化~

人生はめぐりあわせの連続で成り立ちます。自分は変わらないように願っていても、地球が自転して廻るようにいのちも動きます、そして時も過ぎていきます。変わらないにと願うのなら、自分が変わり続けるしかありません。

その中で、今までと異なることがたくさん発生してきます。それがご縁であり、めぐりあわせということです。そのめぐりあわせには、自分にとって良いことも良くないと思えることも同時に発生します。人間ですから、自分の受け止め方次第でどうにでもその捉え方で事実が変わるのです。

ある人には、幸福なことでも同じでもある人には不幸にもなる。めぐりあわせというのは、幸不幸のめぐりあわせともいえます。

生き方を磨く人は、様々なご縁をその都度、自分の人生の目的や生き方に合わせて福に転じ続けていきます。それは決して無理をして福にするのではなく、本来福であると信じる力で福になっているのです。

これを人間万事塞翁が馬ともいいますが、実はこれは福かもしれないと信じる力。それが世の中の情勢が不安定な中でも素直に生きていくための要諦になると私は思います。

よく考えてみると、歴史を観れば大変だった時代がたくさんあります。気候変動、世界戦争、飢餓飢饉、猛烈な感染症、隕石などもいれたらもうきりがないほどです。

先人たちはそんな大変な困難の中でも、福に転じて今の私たちにまでいのちを繋いできてくれました。

そんなご縁、めぐりあわせはまさに感謝の権化であり私たちが如何に偉大な徳をいただき生きているのかを知るのです。

だからこそ、偉大な先人たちが実践してきた生き方を伝承し、その伝統を子孫へと紡いでいくのが私たちの使命でもあります。日々は、大切な実践の現場です。本日も、明るく素直に感謝で歩んでいきたいと思います。

お堂の甦生~徳積堂~

徳積カフェの建築が進む中で、この場の名前を復古起新しています。現在、深めているものは「お堂」です。この堂という字は、会意兼形声文字です(尚(尙)+土)。「神の気配の象形と屋内で祈る象形」でできた字です。意味は「こい願う」と「土地の神を祭る為に柱状に固めた土」を現します。

そこから、「高い建物・神社・寺院」を意味する「堂」という漢字ができたといいます。この堂は、 古く接客や礼式などに用いた建物。表御殿。表座敷。そして神仏を祭る建物。さらには多くの人が集まる建物で呼ばれました。

この堂というと、イメージするのが三十三間堂や、平等院鳳凰堂、他にも大聖堂など神仏をお祀りするところを思い浮かべます。ひょっとすると現代では、お菓子屋さんの名前や広告代理店の名前、本屋さんとかいう人もいるかもしれません。

しかしかつては、辻堂やお堂といって村々や町の中でみんなが集まり親睦やコミュニティを育むオープンな交流拠点であったのです。他にも、山伏たちが休む室堂であったり、茶堂といって茅葺でできた旅往く人たちをもてなしたものもあります。日本には古来から人々をもてなす風土信仰があり、その風土信仰を支えた場の一つがお堂だったのです。

つまりはこの「堂」の持つ意味を考えてみると、読んで字の如くその「土地の風土と信仰と交流を見守る大切な場所」ということでしょう。なんとなくお堂が温かく懐かしい感じがするのは、お堂が地域を支えてきたことを心が憶えているからでしょう。

今では、西洋的なカフェがその役目を果たすようになってきていますが本来は「お堂」であったことは歴史に学べば自明します。私は、徳を伝承していくことに精進していますからこのお堂の甦生は大切な使命の一つです。

今回、徳積カフェが完成し、徳積堂として甦生することがとても楽しみです。

最後に、堂で有名な言葉に「堂に入る」があります。

これは論語の中で、孔子のいう「堂に升りて(のぼりて)室に入らず」が語源ですが堂に入るは「堂に升りて室に入る」を略した言い方で、客間にのぼり奥の間にまで入っていることから、奥義まできわめていることを表します。

徳積みの修業はまだまだはじまったばかりで終わりは永遠にありません。なぜならこれは人類の欠かせない修業であり、未来永劫子孫たちが担っていく大切な徳目だからです。

人々が子孫のためにみんなで堂に入るために磨いていく場。

まさに徳積堂は、子どもたちの未来のためにも欠かせない大切な徳の場になっていくと確信し、懐かしい未来が到来することを心から祈念しています。

徳積上棟式

昨日は、徳積カフェ建築の上棟式を無事に執り行うことができました。棟梁と家主が中心に、関係者で真心を籠めて進めていきました。祝詞をあげ、御祓いをし、祭壇を設けて塩、米、酒、小魚で四方を祀り拝みました。

この上棟式(じょうとうしき)というものは古くから木造建築の棟木を上げる時にその守護神を祭って、末永く新しく建てた家に禍いがなく、幸多かることを祈願して執り行うものとされてきました。木造建築にいのちを宿す極めて重要な意義を持っていたといわれます。

古来の人々は、すべてにいのちが宿ると信じていましたから一つ一つに大切な儀式があり、その儀式を通していのちが損なわれないようにと接してきたのです。

儀式をしながら地鎮祭をしたころのことも思い出し、ようやくここまで来たかという思いです。完成した後というのは傍目ではわかりませんが、実はそこまでは一つ一つのプロセスを少しも手を抜かず丹誠を籠めて大切に取り組みます。

その一つ一つの思い出の中に、真心は籠り、その後の「場」が醸成されていくのです。何を基本とするか、何を基礎とするか、建物も同じですが基礎がしっかりしておけばその後の建物は盤石であるように、最初のプロセスを丁寧に通っていくことが私は何よりも重要であると感じています。

さて話を上棟式に戻しますが、昨日はちょうど暦の十二直の「定(さだん)」という建築の上棟式に相応しい日に執り行いました。この十二直(じゅうにちょく)とは、中国で誕生した北斗七星の運行をもとに創られた暦(日時や季節をはかるもの)のことです。

よく六曜といって、大安や仏滅などで葬式や結婚式などの日時を決める暦もあります。もともと中国では甲骨文字でもわかるように、亀の甲羅とかで吉凶を占ってきた歴史があります。中国は歴史が長く、あらゆる経験を積み重ねてその経験値の智慧を取り入れてきました。それは漢方や、暦にも使われています。

星占いなどもありますが、天の運行に従ってこれをするタイミングを見計らうために経験を暦で記録したのではないかと私は思います。農家も同様に、ある意味で天候に対して占いをしているようなものでどの時期に種蒔きをするか、いつのタイミングがもっとも根をはるか、雨を占いながら執り行いますから似ているものがあります。

十二直は特に、北斗七星といった不動の目印を参考にタイミングを計りますから時機を見計らうのに効果的だったように思います。この北斗七星の回転を12等分し北極星に対してどの位置にあるかで時間や日・季節を表すために作られたのが十二直ということです。

十二直は、建・除・満・平・定・執・破・危・成・納・開・閉からなり、昨日は「定(さだん)」の日でした。jこの日は、物事が定まる日、善悪が決まる日といわれ結婚、移転、建築、開店、種まきに吉。ただし、訴訟、旅行、植木の植え替えは凶。とされてきました。

物事が定まるというのは方針を決め、覚悟したとも言えます。

徳を積むことで運営していく、徳を中心に実践をする場と定めたとも言えます。改めて、このような場がこの時代に創生できたことにご縁の導きと仕合せを感じます。前人未踏の挑戦を続けますが、あらゆる天の運行にお任せしながら丁寧な暮らしを紡いでいきたいと思います。