自由に磨く

時代の変わり目には、様々な今までの価値観や固定概念が通用しなくなり新しい常識が誕生します。一年前まではマスクは、花粉症やインフルエンザの流行の時期の風物詩のようでしたが今ではマナーとして当然に身に着けています。

他にも、テレワークや在宅勤務などと言われていてそれが特別だったことが今では当たり前になってきています。他にも、色々とありますが以前とは変わってしまっている世界に生きているということです。

これは別にコロナだけではありません、この世にはじめてインターネットが誕生し広がればそれ以前ではないし、核爆弾が発明されたらそれ以前ではなくなります。人類はこうやって時代の影響を受けては、それまでの常識と思い込んでいた社会を刷新し続けてきたのです。

人間は現実的には、自然とは別に人間のみの常識の中で安心しようとします。不安を解消するために、あれやこれやと不安にならない便利なものばかりを追い求めていきます。大きな意味では、危機感からのものですがそれが本末転倒していることもたくさんあります。

例えば、核兵器をつくれば今度は核兵器が使われるのではないかという不安が来ます。ワクチンを開発したらそのワクチンが効かないウイルスが出てくるのではないかという不安が来ます。いたちごっこのようにいつまでも、その不安を解消するために永遠に同じことを繰り返しています。

むかしの人たちは、不安を解消するのではなく自由に生きることを目指していました。自然と調和する生き方というのは、これも自然であると丸ごと受け容れる生き方です。制限のある中での自由、自然の中で許されている範囲の人間社會を謙虚に生きていたように思うのです。

その理由に、里山の循環の仕組みや、日本的な和の暮らしを体験すればその意味が理解できていきます。心が穏やかで和やかに生きていくために、固定概念に縛られず自由に生きた先祖たちの生きざまに感動するのです。

この時代は、知識や思考が何よりも優先されることが多いように思います。そこから正義やルールや評価からあまりにも緻密に膨大に囲われており生きづらさを感じることも増えているように思います。自分らしく生きるためには、何かに没頭するものが必要なのかもしれません。自分自身に没頭するようなことを通して、如何に自己の中にある恒常性を疑い、本来の自然調和の中に実践をするのか。

子どもが子どもらしくいられるというのまた、常に新しい常識ばかりを生きようと心のままでいることを肯定されているからです。成熟していく社會のなかで、子どものように生きる人たちが否定されれば常識がますます固着していきます。子どもたちが憧れる社會を目指して、心地よい常識を自由に磨いていきたいと思います。