改心の一心

人生の中では正念場というものが何回も訪れます。その正念場とは、まさにその言葉通りで「念」の「場」にするということです、念は今の心と書きますから、今に集中するということです。

人はあれこれと思い悩んでいると、念が入りません。念が入らないと念が籠らないと心が入りません。心を入れるというのは、頭で考えるのではなくまさに自分の初心を忘れないままで実践を積むということです。

人はすぐに初心を忘れます。脳が働くからこそ初心を思い出せなくなっていくのです。特に感情が揺さぶられれば、悩みで頭はいっぱいになります。そうなると心がどこか別のところにいくようになるのです。

そうならないように、毎日、毎朝、自分の初心を確認してその覚悟の日々を生きていくということが本来の正念場ということでしょう。

正念場をどう日々に迎えるか、そして正念場をどう実践して魂を磨くかがその人の一生を決めていきます。

中村天風にこういう言葉があります。

「一度だけの人生だ。だから今この時だけを考えろ。過去は及ばず、未来は知れず。死んでからのことは宗教にまかせろ」

今に生きる、今を生き切るとき人は正念場ということでしょう。

中村天風の哲学は、人生は心一つの置きどころにあるといいます。如何に人間をつくるか、それは一心に生きることを説きます。まさに、正念場を生き続けて磨き人間を創ることに徹底するのです。

未熟な自分を憂うこともありますが、だからこそまず自己を磨き創ることに専念することだと感じるのです。最後に、中村天風の遺した言葉をいくつか紹介します。

「船に乗っても、もう波が出やしないか、嵐になりゃしないか、それとも、この船が沈没しやしないかと、船のことばかり考えていたら、船旅の愉快さは何もなかろうじゃないか。人生もまたしかりだよ。」

「土台を考えないでいて、家の構造ばかり考えたって、その家は住むに耐えられない家になっちまうでしょう。人生もまたしかりであります。」

「偉くなる人とそうならない人と、差が出てくるかっていうと、同じ話を聴いても、聴き方、受け取り方が全然違うからなんです。受け取ったことを自分の人生に、どう応用していくかということだけの差なんです。」

「自分が心配、怖れたりしている時、「いや、これは俺の心の本当の思い方、考え方じゃない」と気付きなさい。」

「自分自身を自分自身が磨かない限り、自分というものは本当にえらくならない。」

「笑っているとき、人間は最も強い。」

先人の生き方に倣い、今日も改心していきたいと思います。

 

ご縁が解ける

仏(ほとけ)という言葉があります。この語源を調べると、それぞれの辞書で内容は異なりますがブリタニカ国際大百科事典には「仏陀のこと。語源は,煩悩の結び目をほどくという意味から名付けられた,あるいは仏教が伝来した欽明天皇のときに,ほとほりけ,すなわち熱病が流行したためにこの名があるともいわれる。日本では,死者を「ほとけ」と呼ぶ場合もある。」とあります。

シンプルに言えば、執着を取り除いた姿が仏(ほとけ)の象徴とされたように思います。強く握りしめていたこうでなければならないというものを、手放し融通無碍に来たものの全てを受け容れて受け止めるときこの仏(ほとけ)に近づいていくということかもしれません。

小林正観さんの著書にこの仏(ほとけ)についてわかりやすい内容で紹介されています。

『執着やこだわり、捕らわれ、そういう呪縛から解き放たれた人を、日本語では「ほとけ」と呼びました。それは「ほどけた」「ほどける」というところから語源が始まっています。自分を縛るたくさんのもの、それを執着と言うのですが、その執着から放たれることが出来た人が仏というわけです。ところで、「執着」とは何か、と聞かれます。執着というのは、「こうでなきゃイヤだ」「どうしてもこうなってほしい」と思うことです。それに対して、楽しむ人は、「そうなってほしい」のは同じなのですが、「そうなったらいいなあ。ならなくてもいいけれど。そうなるといいなあ」「そうなると楽しいな」「そうなると幸せだな」と思う。「こうでなきゃイヤだ」と思ったときに、それが執着になります』(だいわ文庫)

想いの強さは時として、それが執着になっていきます。情熱がありすぎると正義を振りかざしたり、自信がありすぎると思いやりに欠け過信にもなります。なんでも片方に過ぎることが時として調和を崩すことがあり、その都度、自己の執着を手放すようにと何か偉大な存在に見守られながら諭されていきます。

人生は誰もが一生涯修行であり、どんなときにも自分の中にある執着と対話してそれを手放すという修練が求められていきます。その中で、人は深いご縁ほどにつながりもまた深くなります。

一つ一つのご縁の中では、誤解もあれば了解もあります。しかしそのどちらも、いつの日か時が経てば解けていき真実が顕現していきます。未熟だった自分を反省し、改善していくことで人はさらに成長していきます。そういうご縁をいただいていること自体が感謝そのものであり、深くご縁に見守られていることを実感します。

子どもたちが憧れるような未来を遺していくためにも、今を直視して日々に弛まずに怠けずに逞しく嫋やかに実践し、思いやりを忘れず優しい心で歩を進めていきたいと思います。

結の甦生

藁葺のことを深めていると、むかしの相互扶助の共同体の「結」のことにつながります。今では金銭でなんでも解決するような生活になってきていますが、むかしは貸し借りを金銭ではないもの、つまりはお互いの義理人情のようなもので支え合っていました。

もちろん、今でも義理人情はありますがむかしは見返りを求めずに助け合うという根底には「徳」というものの考え方によって人々が助け合い支え合うという土着文化がその地域を安定させていたとも言えます。

例えば、先日の藁葺でもみんなに声をかけて集まってもらい集まった人たちで助け合いながら藁葺職人たちと一緒に屋根を修繕していきました。懐かしさを感じるのは、こうやって金銭ではなくみんなで助け合い支え合うところに暮らしの原点があるということです。

中部地方の合掌造りの茅葺屋根の葺き替えは「結」の制度があり、ウィキペディアによると今でも下記のような手順で藁葺を進めているようです。

「作業の3年以上前から準備が始まる。屋根の面積から必要な茅の量と人員を概算する。作業の日取りを決め、集落を回り葺き替えをいついつ行うので手伝って欲しいと依頼する。予め作業に必要なだけの茅を刈って保存しておく(そのための「茅場」を確保してある)。役割分担を決める(茅を集める者、運ぶ者、茅を選別する者、縄などその他道具を準備する者など)。上記は専ら男性の作業である。女性は作業に従事した者達への食事、休息時の菓子、完成祝いの手土産の準備を行う。屋根の両面を同時に吹き替えることはほとんど無く、片面のみを2日間で仕上げる。1日あたり200人から300人の人手が必要となる。100人以上が屋根に登るさまは壮観である。」

金銭であれば1000万以上かかるものを、無報酬で協力し合って村人たちで行われているといいます。

以前、この「結」のことである方に聴いたことがあるのは「むかしの人は自分が受けた恩義をいつまでもお互いに忘れない、それが先祖代々、「結帳」に記入してあれば子孫の代になっても口伝、もしくは記録しいつまでもその人たちのことを協力するという考え方があったことです。恩義を中心にして、無条件でお互いに支え合うというのは「徳」のつながりのことであり、私が取り組むブロックチェーンの概念と同様です。

貸し借りとは、金銭的なものだけを言うのではありません。等価交換できないもの、それもまた恩義でありそれは生き方が決めるものです。感謝し合う人格が磨かれた地域であれば、その地域の文化はみんなで恩義の質量を高めていくことができます。

つまりは徳を中心にした思想によって、相互扶助の豊かさを実現していくことができるのです。この豊かさといういうものは、現代のような物質的な豊かさではないことはすぐにわかります。

これはまさに人がこの世で安心して暮らしていくために絶対不可欠な安心基地を持つ豊かさの事です。そして見守り合い徳を分け合う暮らしは子孫たちの安心にもなり、先祖たちもその繋がりに恥じないよう、またいつでも顔向けできるようにと協力を惜しまずに恩送りをするのです。

等価交換できないものを持つというのは、心で繋がり深く結ばれていくということです。これが和の原点であり、結の意味でしょう。

「結」の甦生は、これからの時代の新しい真の豊かさにおいてかけがえのない大切な実践項目です。むかしの豊かさから学び直し、原点回帰していくことで日本人の甦生、日本の甦生、そして世界の甦生を促していきます。

これは現代を全否定するのではなく、あくまで原点回帰して本物や善いものは持続しながら文明を調和させていくということです。ブロックチェーンで私が取り組むことはこの新しい豊かさの甦生です。

引き続き、子どもたちのために志を磨いて挑戦をしていきたいと思います。

 

和の心

今回、藁ぶきの古民家の甦生をしていますが家から学ぶことが多くあり新鮮な気持ちで取り組んでいます。今まで、ただの雑草と思えていたものでも家で活用していく現場を観るとそれが大切な資源であることがわかります。

例えば、藁ぶきの藁や、萱などもススキやヨシのように草刈の対象でみると厄介な存在ですが資源でみるととても価値があるものに換わります。

本来、私たちは無駄な資源などというものはなくすべて自然からいただくものは大切な資源でした。その資源を無駄にしないように、なるべく旺盛に生えてくるものから活用し、時間をかけて少量しかないものは特に丁寧に手入れをして使いました。

竹や杉、この萱などは毎年旺盛な繁茂力がありますから手入れをしないとその場所が荒れ果てていきます。なので小まめに収穫し手入れをしてその資源から暮らしの道具を編み出していきました。竹細工、わら細工、木工品はすべてこの資源の活用方法から生まれた智慧の産物です。

そして何十年もかけて育てた森の木は、大黒柱にしたり梁や棟などに使い何百年も持たせる家の素材などにしました。資源を如何にきちんと使い切るか、そして資源を育て続けるかに注力してきたからこそ暮らしが守られたのです。

現代は、価値がある資源は競争して取り合って掘り出していきます。石油などもなくなるとわかっていても、誰もその競争を止めようとはせずに使える分だけ使い切っていきます。そうしているうちに、資源がなくなればどうなるのか。予測はついていても、経済を優先して誰も何も変えようとはしません。

資源が枯渇するとわかっていても、広い地球を移動すればその資源はいくらでもあるだろう、なければ宇宙に出ればいいと思っているかのようです。しかし、日本は古来から島国で資源が少なくもしそこで大量に摂取すれば島ごと生態系が失われる経験をしてきました。

だからこそ、水を溜めるために田んぼをつくり、生態系が豊富になるようにお米をつくり、山と川と海のバランスが整うように人間が「暮らし」を調和させて自然の営みの支援をしていったのです。

こういう視座があったからこそ、瑞々しい風土が醸成され、豊かな感性と「和」の心が育ってきたと私は思います。

和の心は、いのちを大切にしていきます。それは限られた存在、愛おしい存在に対して自分自身から自然に近づいていき自然とともに末永くこの風土に存在していきたいという思いやりから発心しているように思います。

何千年も続けてきた先人の生き方に倣い、この今こそ学び直して子どもたちに伝承していきたいと思います。

全体最適の暮らし

最近は、専門性を高めるために分業化が進みましたがその分業化によって大切な本質を見失うことが増えてきたよういも思います。全体最適あっての部分最適ですが、部分最適ばかりを追いかけているうちに全体最悪のようなことが発生してきているように思います。

例えば、縦割り行政なども同様に専門性は高まりましたが横連携がなく無駄や無理、ムラばかりが発生して結果的に対立構造の中で協力しにくい雰囲気が出てきます。それぞれに正論をいっても結果として何も進まないとなると国民の怨嗟の声も増すばかりです。

私たちの伝統文化を深めていると、これらの文化はすべて暮らしの中で醸成されてきたものであることがわかります。

先日から茅葺職人さんたちと共に現場で作業をしながら話をしていると、やはり伝統の畳職人さんの時と同じく地産地消、その土地でとれた作物でつくりその場所で循環させるということを大切にしていました。

これはすべて中心に「暮らし」が入っており、暮らしのないところに本来は伝統文化も職人もないということです。

現在は、全体最適の暮らしではなく部分最適の経済ばかりを追いかけています。そうすると、本来の全体を調和していたものがなくなりお金を儲けるための職人技ばかりがフォーカスされてしまいます。

つまり、テクニックばかりが競われ、先ほどの「暮らしの中での」というところが切り離されてしまうのです。現在は、海外の遠いところからわざわざ材料を集めてそれが生活の中で提供されます。スーパーの刺身などを見てもわかりますが、ほとんどが遠い国からきているものばかりです。

暮らしは本来は、その土地でその場所で身近なところでみんなで循環しながら永続させるものです。暮らしの智慧とは、まさにこの持続する仕組みであり、持続しない仕組みにならないように百姓たちがあらゆる職種を縦断しみんなで専門性を深め、多様な個性を発揮してその土地の文化を醸成していったのでしょう。

その土地土地に伝統文化が育づくのは、先人の智慧がそこで磨かれ高まり守られてきたことの証です。

何が本来の「和」なのか、「和」の本体とは一体何か、私の取り組みを通して実現させていこうと

懐かしい国

昨日、藁ぶきの古民家の藁を片付けているとむかしの手紙や書類が藁と共に残っていました。そこのはがきの住所には、今の地名になる前の住所が書かれていました。それは単に市町村合併で名前が統合するのではなく、国としての単位が変わっていますから余計にそれを感じたのかもしれません。

私の郷里は、もともとは神話の時代は豊国に属していました。そして筑前国になり今の日本国になります。もともとは九州に属していますがむかしは筑紫島、その後に九州島と呼ばれていました。

具体的には筑紫、豊、火、襲(そ)の4国にはじまり、701年以降は西海道として大宰府が筑前、筑後、豊前、豊後、肥前、肥後、日向の7国と壱岐、対馬の2島を統轄する体制になり、薩摩、大隅を入れて9国と2島に分かれてから九州になりました。

日本国はそもそも島であり、その島がいくつも連なって国のカタチを持ちます。国という単位は、律令制で朝廷が定めていたとしてもその頃は国といっても自分の住んで歴史とつながっている場所の感覚しかなかったかもしれません。頭で考える国というものと、そもそも感覚で理解した国は別もののように思います。その感覚は、郷土への郷愁というか懐かしい故郷とのつながりのようなものかもしれません。

郷愁を辞書で調べると、「 他郷にあって故郷を懐かしく思う気持ち。ノスタルジア。「故国への郷愁を覚える」「郷愁にかられる」そして過去のものや遠い昔などにひかれる気持ち。「古き良き時代への郷愁」とあります。

ふるさとを懐かしみ、そのふるさとを守るため生まれ育った文化や伝統を大切に先祖からの智慧や暮らしを大切に受け継いでいこうとする祈りに近いものが国という認識だったのかもしれません。

藁葺の古民家の甦生を通して、今回のメッセージは何かとても大切なことを伝えてくださった気がします。なつかしい故郷を甦生させていくのは、その懐かしい国を甦生させていくことです。

引き続き、丁寧に過去を紡ぎながら懐かしいものを甦生させていきたいと思います。

心組み

人に得意不得意があるように、物事にもメリットデメリットがあります。それをよく見極めていくことで、できることできないこともまたわかってくるものです。

何かが良くないと一方的に決めつけてしまえば、本当に良いことがわからなくなります。よくよく現実を直視して、冷静に判断していくには自己と本心と素直に向き合い、本当はどうなのかということを突き詰めていく必要があります。

本質の深堀りや真理の探究というものは、学問していく上でもとても大切なことです。

例えば、違いを認め合うというのは問題を見つめるときに効果を発揮します。お互いに対話を通して、何が異なっているのか、何が共通しているのかを可視化して整理していくことで本質が観えてきます。

その本質が観えれば、その違いを活かすことを考えて配置することで一つのチームが仕上がってきます。チームには、それぞれに共通の目標があり役割分担があります。お互いに違うからこそ、活かし方があり、その活かし方が百通りも千通りも出てくるのが共働の智慧です。

むかし、今のような個人主義や縦割り制度ばかりではない時代にはきっとみんなで協力し合っていい塩梅を探し、もっともちょうどいいところの解決方法をたくさん持っていたように思います。つまり多様な問題を多様な解決方法でそれぞれに臨機応変に対応したはずです。ゆるい公共のつながりが、現場の間であったからこそそういうことも可能だったのでしょう。

私も現在の世の中の仕組みを憂いていながら何かが良くないと決めつけてしまうことがあり、制度のことや個人主義が云々とそれが悪いとだけをいっても物事が変わることがないことを実感します。もっと謙虚に全体のことをよく知り善く学び、調和する方法を模索していくことの方が変化を支援できることに気づきます。

法隆寺の宮大工の口伝というものがあり、そこにはこう記されます。

「塔組みは、木組み木組みは、木のくせ組み木のくせ組みは、人組み
人組みは、人の心組み人の心組みは、棟梁の工人への思いやり
工人の非を責めず、己れの不徳を思え」

法隆寺五重塔は1300年の歴史で美しく免震構造もあり今でも建築技術の智慧の結晶で大工のバイブルのようなものです。大工さんだけでなく、あらゆる職人たちを束ね一つの建物を立てる。専門性が高いからこその癖もこだわりもあったでしょう。そういう人たちを癖をよく知り、よく学び、心を組み合わせていく調和こそが五重塔を立てたのです。

謙虚に思いやりをもって己の不徳を思へというのは、いつまでも身に染みる言葉です。批判することは簡単ですが、実際にはそれを乗り越えてでも謙虚に低姿勢で徳を積んでいくことで調和を促していく方が努力が要ります。

学んだことを次に活かすためにも、真摯に一歩一歩挑戦していきたいと思います。

いのちの一灯

明日からいよいよ藁葺の古民家の屋根の修繕に職人さんたちと取り掛かります。日本の文化を甦生するのに、この家の甦生はとても意味があります。家はそれぞれの時代に、それぞれの家人や家族を大切に見守ってきました。

その見守ってきた家には、それぞれの物語や思い出が凝縮されておりその場にはその暮らしの余韻が残っています。たとえ、家人や家族がそこに居なくなってもそこには家が残っています。

家が残っているということは、その家は新しい家人や家族が訪れるのをいつまでも待っているのです。

以前、私の友人で貝磨きの達人の方から貝は主人と一心同体であり新しい主人をいつまでも海辺で待ち続けているという話を伺ったことがあります。中にある主人を守るために貝はいつまでも待ち続ける。そして貝は新しい主人の御守りになるのです。

むかしの人たちは貝を御守りにして身に着けました。そして貝もまた全身全霊でその人を守りました。家も同様に人は家で暮らすことで家に守られ、家もまた全身全霊で家の中で人を守りました。

今は家の売り買いや建て替えや解体などがまるで何かいのちのない物のように金銭で簡単に取り扱われますがそこには大切ないのちがあります。

こんなことをいうとセンチメンタルに思われるかもしれませんが、よく考えてみたらすぐにわかります。この私たちの肉体であっても、魂を守るための家であり、その家に魂が入ることで私たちは生きています。肉体を大切にしていくことは、守ってくれている存在を大切に思うことであり、肉体を最期まで大切に使い切ることで肉体もその役目を終えていきます。

私は家を甦生していますが、決して別にただ古民家再生事業をやりたいわけでもなく、リノベーションやビジネスや趣味でDIYが好きなわけではありません。家を磨き、甦生させていくことに仕合せを感じるのは、そこにまた新しい主人とのつながりができ、守り合う存在達に出会うことで世の中が明るく豊かになり、子どもたちに美しい未来が結ばれていくことを実感するからです。

私が取り組んでいることは、「つなぐ」ことであり、「みがく」ことです。そしてそれはすべて「いのち」を「むすぶ」ことであり、子どもに「ゆずる」ことです。

今更なぜ藁葺屋根の古民家を甦生をと思われるかもしれませんが、永い間、放置され朽ち果て白蟻でボロボロになってでもそこに建っていつまでも地域や子どもを見守ろうとする意志を私には感じます。

親切なご縁を感じ取って、家ももう一度、甦って子どものためにといのちを燃やしているのを感じます。私ができることは本当に微力で小さなことですが、真心はきっと家に伝わって、その家が周囲を明るく照らしていくと信じています。

いのちの一灯をこの場所から灯していきたいと思います。

孟子の言

人は大きな志を持てば必ず相応の困難に中ります。道を歩むということは、困難を歩んでいくことに等しいからです。それでも困難が来ることをわかりながらも前に進むと覚悟するのは、そこに志があるからに他なりません。

志は、自己の中にあるもので自分自身と向き合い自分の矛盾に打ち克ち和していくしかありません。志を歩もうとするとき、その自己との調和に苦しんできた志士たちは中国の孟子の言を聴き、精進したことがわかります。

孟子は、志や至誠を説き、生き方を遺しています。困難な時こそ、孟子の言を思い出し自分を奮い立たせたのです。

『天のまさに大任をこの人に降さんとするや、必ずその心志を苦しめ、その筋骨を労せしめ、その体膚を餓えしめ、その身を空乏にし、おこなうこと、そのなさんとする所に払乱せしむ』

意訳ですが、天がもしその人に志から大任を授けようとするときは、必ずその人の身心を苦しめ、困難窮乏の境遇におき絶体絶命の与え、敢えて、その人を試し鍛えるのであると。その人が何のためにそれをやるのかを忘れることがないように、その人に「試練」を与えるということです。

試練とは、信仰・決心のかたさや実力などを厳しくためすこと。また、その時に受ける苦難のことです。試練があるから、目的地に近づいていきます。諦めず、試練だと受け容れていく中で天の試しが入ります。その試しをチャンスと思って転じることができるか、試練は自分を磨いてくれていると感謝できるか。志がその砥石になるのように思います。

そしてこういうものもあります。

『天下の広居におり、天下の正位に立ち、天下の大道を行ふ。志を得れば民と之に由り、志を得ざれば独り其の道を行ふ。富貴も淫すること能ず、貧賤も移すこと能はず、威武も屈すること能ず、これ此れを大丈夫といふ。』

意訳ですが、天と一体になり、天の命じるままに生き、道を実践する。志がある仲間を得れば共にやればよく、得られなくても構わずに独り行う。富貴がその人を乱さず、貧賤も別に影響はない。何の圧力や権力にも屈しない、まさにこれが志士の鑑である。

そしてこうもいいます。

『人に恒の言あり。みな天下国家という。天下の本は国にあり。国の本は家にあり。家の本は身にあり。 』

人はすぐに世間がとか周りがというが、本来その元は国の在り方であり、その国はまさに家の在り方。そしてその源はすべて自分の修身によるものだと。

最後に、吉田松陰が座右とした有名な言葉で締めくくります。

『至誠にして動かざるものは、未だこれ有らざるなり』

私の意訳ですが、これ以上ないというほどの誠実さつまり真心を盡すとき必ず天は動いてくださるということ。天のハタラキを活かすも殺すも自分の至誠、真心の実践次第ということです。

孟子の言を思い出しながら、全てを受け容れ、今なすべきこと、信じることを諦めずに思いやりと優しさと誠実さを大切に実践していきたいと思います。

智慧の宝庫

BAには、今年から福島の郷土玩具である「赤べこ」を室礼しています。先日、大三元師のことも書きましたが迷信といわれている過去の厄除けは科学的には証明されていませんが歴史上偉大な効果があったと実証されているからこそ今でも時の篩にかけられて残っています。

この福島県の郷土玩具の赤べこは、ただの玩具ではなく本来は厄病除けの意味からはじまったものです。この赤べこを近くに置いておくと病気や災難から逃れられると信じられ今でも多くの人に愛され続けています。

この赤べこの事を調べると、日本大百科全書にはこうあります。

「郷土玩具(がんぐ)。張り子製の赤塗り首振り牛。福島県会津若松市でつくられる。「べこ」は東北地方の方言で牛のこと。807年(大同2)河沼郡柳津(やないづ)町の福満虚空蔵(こくうぞう)堂建立の際、それに協力した赤牛の伝説が玩具のおこり。その後、岩代(いわしろ)地方(同県西部)に悪性の疱瘡(ほうそう)(天然痘)が流行したとき、この赤い色の玩具を病児に贈ったところ快癒したといわれ、疱瘡除(よ)けのまじないや子育ての縁起物に用いられてきた。1961年(昭和36)の丑(うし)年に、年賀切手の図案に採用された。」

諸説あるようですが、むかしも今と同様に疫病が流行し、人々にどうにもならない状態を与えることが多々ありました。その中で、身代わりになってくれる、また厄を除けてくれる存在に深く感謝していつまでも慎んで生きた先人の姿が見えてきます。災害を乗り越えた智慧をいつまでも忘れないために、人々は伝承というカタチを使って子孫に時を越えて伝承を紡ぐのです。

この諸説の中でも深く共感したのは、この文です。

「大同2年、円蔵寺に徳一大師が虚空蔵堂を建立する際、上流の村から大量の材木を寄進された。しかし、水量が豊富な只見川から材木を運搬することは決して簡単ではない仕事だった。人々が材木を運ぶのに難儀しているとどこからか牛の群れが現れ、材木の運搬を手伝ってくれた。重労働で多くの牛が倒れる中で最後まで働いたのが赤色の牛だったといわれている。そのことから、赤べこが作られた。」

今から約1200年前の出来事にもかかわらず今でもこの赤牛らの御恩を忘れずに、身代わりに真摯に働きを与えてくれた存在のことをいつまでも大切に思っているという人々の思いに共感を覚えます。まさに虚空蔵堂の一つの権化でもある、赤牛を菩薩に見立てたのでしょう。

私たちは歴史に学び、こういう時こそどのような心の姿勢で疫病の厄を除けていくのかということを学び直す必要があります。これは単なる迷信ではなく、歴史は過去の事実ですからそれを乗り越えて残る迷信は実は智慧の宝庫であり、文化の結晶なのです。

そんなものは非科学的だからと吐き捨て避けるのではなく、非科学的なものの中に智慧があるかもしれないと敢えて盲信することも大切ではないかと思います。祈りのチカラであったり、不思議な言霊のチカラであっても、効果があるものは宇宙のチカラとして受け容れることもまた私たちの人間の体のように神秘と調和するための真理でしょう。

子どもたちのために、善いものは日々の暮らしの実践の中に智慧を遺し、伝承していきたいと思います。