人は大きな志を持てば必ず相応の困難に中ります。道を歩むということは、困難を歩んでいくことに等しいからです。それでも困難が来ることをわかりながらも前に進むと覚悟するのは、そこに志があるからに他なりません。
志は、自己の中にあるもので自分自身と向き合い自分の矛盾に打ち克ち和していくしかありません。志を歩もうとするとき、その自己との調和に苦しんできた志士たちは中国の孟子の言を聴き、精進したことがわかります。
孟子は、志や至誠を説き、生き方を遺しています。困難な時こそ、孟子の言を思い出し自分を奮い立たせたのです。
『天のまさに大任をこの人に降さんとするや、必ずその心志を苦しめ、その筋骨を労せしめ、その体膚を餓えしめ、その身を空乏にし、おこなうこと、そのなさんとする所に払乱せしむ』
意訳ですが、天がもしその人に志から大任を授けようとするときは、必ずその人の身心を苦しめ、困難窮乏の境遇におき絶体絶命の与え、敢えて、その人を試し鍛えるのであると。その人が何のためにそれをやるのかを忘れることがないように、その人に「試練」を与えるということです。
試練とは、信仰・決心のかたさや実力などを厳しくためすこと。また、その時に受ける苦難のことです。試練があるから、目的地に近づいていきます。諦めず、試練だと受け容れていく中で天の試しが入ります。その試しをチャンスと思って転じることができるか、試練は自分を磨いてくれていると感謝できるか。志がその砥石になるのように思います。
そしてこういうものもあります。
『天下の広居におり、天下の正位に立ち、天下の大道を行ふ。志を得れば民と之に由り、志を得ざれば独り其の道を行ふ。富貴も淫すること能ず、貧賤も移すこと能はず、威武も屈すること能ず、これ此れを大丈夫といふ。』
意訳ですが、天と一体になり、天の命じるままに生き、道を実践する。志がある仲間を得れば共にやればよく、得られなくても構わずに独り行う。富貴がその人を乱さず、貧賤も別に影響はない。何の圧力や権力にも屈しない、まさにこれが志士の鑑である。
そしてこうもいいます。
『人に恒の言あり。みな天下国家という。天下の本は国にあり。国の本は家にあり。家の本は身にあり。 』
人はすぐに世間がとか周りがというが、本来その元は国の在り方であり、その国はまさに家の在り方。そしてその源はすべて自分の修身によるものだと。
最後に、吉田松陰が座右とした有名な言葉で締めくくります。
『至誠にして動かざるものは、未だこれ有らざるなり』
私の意訳ですが、これ以上ないというほどの誠実さつまり真心を盡すとき必ず天は動いてくださるということ。天のハタラキを活かすも殺すも自分の至誠、真心の実践次第ということです。
孟子の言を思い出しながら、全てを受け容れ、今なすべきこと、信じることを諦めずに思いやりと優しさと誠実さを大切に実践していきたいと思います。