今週、柿渋、渋墨、弁柄や漆などの伝統塗料をつかった講習をしますが日本古来の塗料には人類の深い智慧が詰まっています。
例えば、柿渋や漆などは縄文時代の複数の遺跡の装飾品などが出土していてもっとも古いものでは世界最古の約1万2600年前のものとされるウルシの木片なども出てきています。
歴史も何十年や数百年の単位ではなくまさに千年から万年以上、私たちの暮らしに欠かせない塗料であったことは事実です。最近では、西洋から入ってきた誰でも簡単に塗れるオイルステインの油性塗料がホームセンターなどでも販売されていますがこれは油性の塗料で先ほどの伝統塗料とは異なります。
日本人が油性塗料を最初に使ったのは、1854年(安政元年)に来航したペリーとの会見に使われた談判所(横浜 本覚寺境内)に、ペリーが持参した油性塗料を漆塗り職人の町田辰五郎が塗装した時だそうです。またほかには長崎出島のオランダ人屋敷で既に使用されていたともいわれています。西洋ペイントを日本で使いだしたのは、まだ150年くらいなものです。
そう考えると、伝統塗料の歴史の長さには驚くことと思います。私たちの暮らしの中での塗料は、単に色合いだけのために用いられたのではありません。柿渋や漆は、そのものが持つ防腐効果、自然の風化の防止、さらには強度を増す、また芸術性なども見出されてきました。
高温多湿の日本において、塗料は単に色合いのためだけではなく暮らしを守る道具として重宝されてきたのです。
渋墨という塗料は、松煙と柿渋を混ぜたものですがもともと煤も私たちの暮らしには欠かせない道具でした。藁葺の古民家の天井の煤竹のように、煤で燻すことで防虫防カビ効果もあり、家の中を守りました。
資源をもったいなく活用してきた先祖たちは、その資源がどうやったら長持ちするか。そして衛生的に清潔に保てるか、これを自然の智慧を用いて保存していきました。持続可能など最近は声高に言われますが、そもそもむかしの日本、伝統的な暮らしは永続することが大前提で創造されてきたものです。
現代の消費文明の価値観の中では、理解できないことが多いかもしれませんがどれだけ大切に寿命を使い切るか、捨てるという概念がなかった時代を生きた人たちの智慧はまさに自然環境と一体になった理想の共生圏を産み続けていたのです。つまり先人の智慧の本体はこの自然のチカラをお借りする仕組みを持っているということです。
その先人の智慧を現代の暮らしに適応させていけば、自ずから私たちの暮らしは変革していきます。私の提案する暮らしフルネスには、この伝統の智慧がふんだんに取り入れられています。
講習では、私たちが何のためにこの塗料を使ってきたのか。なぜ何万年も前から、使われ続けてきたのか。そしてなぜこれが今、失われてきたのか。この観点から、子どもたちに伝承していきたい未来の話をしつつ実践を共有して伝統を子孫へつないでいきたいと思います。