聴くことを磨く

人はそれぞれに視点というものを持っています。この視点はその人の生き方が大きく影響をしているように思います。人それぞれに視点が異なりますから、視点を合わせていくと360度全体から事実を観察することもできます。

よく意見を対立させていく人もいますが、本来はどちらかではなく、どちらもいいねと相手の声に一理あると理解できる寛容さがある人がアイデアを形にしていけるように思います。

そして視点を磨いていくには、よく話を聴いていく力を身に着ける必要があるように思います。視点は目を使う機能ですが、実際にはよく傾聴できる人の方が視点を持っているのです。

話を聴くというのは、そういう考えもあると共感し受け容れる力が必要です。そしてその意見をどうとらえるか、そこに感謝する力も必要です。いただいた言葉をそれは正しいとか間違っているとか裁かずに、ありがたい意見ではないかと聴き入れていれて参考にできること。それを繰り返す人は、自然に意見が集まってきて新たな視点を持つことができるように思います。

一方的に間違っていると否定されたり、考えを押し付けられたりすることはみんな嫌うものです。それは自分の考えが尊重されていないと感じるからですし、考えに服従しなければならないなどと不満に思うからです。

しかし実際に話をよく聴いている人は、それを採用しなくても聴いてもらったという実感があればその問題は解決します。つまり人は、尊重されることに納得しているのです。

この尊重しあう関係とは、お互いが謙虚である必要があります。それは誰かだけが偉いのではなく、お互いに善いところがあると認め合い、それぞれの魅力や力があることを信じるという生き方が必要です。

苦労をしてきた人や多くの人に助けてもらってきた人ほど、生き方が謙虚です。それはその存在にいつも感謝でき、自分一人ではなく多くの方々の見守りの御蔭で今があることを信じているからです。

いつも人の手助けが入る人は、多くの手助けをいただいてきたと実感してそれに感謝して報いようと生きる人です。私自身も振り返れば本当に多くの人たちの支援や協力、手助けを得てここまでこの世を渡ってこれました。

奢らず謙虚に素直に聴くことを磨いていきたいと思います。

SDGs、本物の持続可能とは~永遠の暮らし~

世界ではSDGsなど、西洋の定めた新しいルールが席巻しています。持続可能というテーマでそれぞれが取り組んでいくことで、人類がもっと自分たちの将来のために行動を移そうということです。

これはよく考えてみたら、今の行動がおかしいから変えていこうとする投げかけです。もともと縄文人を含め、江戸時代までの日本は自然への畏敬を忘れないで適度に人類のあるべき姿とバランスをとっていました。

戦国時代などは材木を取りすぎて森が壊れ、木がなくなり自然環境が壊れ水害にあいと苦労したと歴史にあります。ほかにも江戸のように人口密集によって疫病や大火などがあり大変な目にあったことも歴史にあります。

人類はやりすぎてしまうと、自然からのしっぺ返しにあい気づかされるものです。

現在、世界は自然を無視して自然資源を地下から採掘していきました。そして温暖化やごみ問題のように、エネルギーを燃やし続けて経済だけを優先し、分解もできないようなゴミになるものづくりを続けてきました。

それが限界値に達してきており、このままでは人類は自然の大きなしっぺ返しにあうのではないかということを予感する人も増えてきたのです。しかし、今更変えられないと思っている人と、なんとかしなければならないという間でこのSDGsが誕生してきたように思います。

しかし私は、歴史を振り返ると根本的なものが解決しないと難しいと思うのです。それは人間の謙虚さのことです。いくら自然環境にやさしくといっても人間が謙虚でなければそれはただのお題目であり中身は薄いものです。自然は人間の思っている通りの存在ではなく、まさに神様のように偉大なものです。人間に空気もいのちも作り出すことはできません。それだけの偉大な存在、そして循環を司り全体最適をこの地球に及ぼしてくれるまさに両親のような存在で徳そのものです。

その地球の中に住んでいる私たちは、本来は何が持続可能ということなのかを再定義する必要があります。つまり、持続可能の本質とは何かということをちゃんと向き合う必要があると思うのです。

私が尊敬する日本人の先人たちは、それを早くから見抜き「暮らし」の中でそれを実践してきました。このそれとは、自然との共生や貢献を生きることです。里山循環も同様に、また伝統的な文化などもそれを証明しています。

人類の真の豊かさとは、真の暮らしの豊かさを持つことです。これを私は「暮らしフルネス」と名付け、先人の知恵や叡智に感謝してそれをこの時代に甦生させようとしているのです。

本物の持続可能性は、この暮らしフルネスの甦生にこそあると確信しています。子供たちのために、暮らしを実践し「永遠の暮らし」を譲っていきたいと思います。

中興の祖

種を蒔けばそれが自然に保育されやがて花を咲かせ実をつけます。これは自然の摂理であり、揺るがない一つの真理でもあります。そしてこの摂理は、いのちの循環を示してもいます。

どんないのちも、この循環を繰り返しこの世に出ては実を結びまた種になります。これは形のあるものの姿ですが、実際には形のない「想い」というものにも同じ摂理がはたらきます。

例えば、一つの「想い」という種を蒔きその想いが保育され、その想いに花が咲き、その想いが実をつけます。そしてまた次の想いの種になっていくのです。

私たちは想いというものを持ちます。

どんな想いを持つのか、そしてその想いをどのように育てるのか、この想いこそが時代を超えて時空を超えて存在しているのです。歴史のある場所の想いであれば、その想いはその風土にいつまでも残っています。その想いの力は、ずっとその場に留まり続けます。

その想いを受け継ぐ人が現れれば、その想いはその時代の人の想いと融和してさらに偉大な想いへと発展していきます。そしてまたその想いの循環は繰り返されてまたいのちを吹き返して甦生していくのです。

よく歴史の中では中興の祖と呼ばれる人たちがいます。これは辞書では「過去に衰退して危機的状況に陥った時に回復させて再び盛んにさせる事ができた先人」という意味だといいます。

私はこの「想い」はすべて、想いを受け継ぐ人が中興の祖であると思うのです。想いはそのままにしていると次第に朽ちていきます。それは自然の摂理と同様です。しかし、そこには朽ちても小さくても廃れていても物語としていつまでもいのちが生き続けています。

そのいのちを誰かが受け継ぐとき、その想いを受け取り引き受けるとき、その物語はさらに偉大なものとつながりそのいのちに天命を与えるのです。つまり、いのちが甦生するのです。

私は甦生業が生業ですから、物語を生きているともいえます。その物語に新しい章が加わるたびに、あらゆる想いは融和して発展生成を繰り返してさらに磨かれていきます。

想いをどのように見守っていくのか、それは先人の想いとつながり、子孫へと想いを伝承するなかで感じられます。歴史の語りべが語るのは、その想いの物語であり、それは魂やいのちにおいて何よりも大切な仕事でありかけがえのないものなのです。

想いを見つめて、想いを歩んでいきたいと思います。

スタートアップキャンプの場

人は自分らしさを磨いていくことでより自分というものを確立していけるように思います。もともとやりたいことが人それぞれに異なっているのですから、本来なら自分のやりたいことを突き詰めていけばそれが自分らしさになっていきます。

しかし、現代では教育がそうなっていませんから自分のやりたいことをやるよりも周りをみながらやりたいことをそこに合わせるという具合に自分らしさを後回しにする傾向がありそれによってやりたくないことをやりたいことだと言い聞かせている人も多いように思います。

もしくは本当にやりたいことがわからなくなってしまい、やらないといけないことばかりでやりたいことがなくなってしまう状態にもなっています。心からやりたいことは、自分の本心でありそれが歪にならないようにするには魂を磨き、本当の自分とつながるような体験を積み重ねて自分と出会い続ける必要があります。

内省や内観というものは、自分との対話でもあります。本当はどうしたかったのか、本当の自分は何を感じていたのかと、自分自身と対話することで初心に出会います。人は初心に出会うことで、自分自身の本心を確認して自分軸を確立していきます。その自分軸の確立こそが自分らしさの正体です。

この自分軸を磨くために、「問い」を持つ必要があるように思います。その問いとは、根源的なもの、原点回帰的なもの、そもそものはじまりの問いです。途中からではなく、はじまりのことです。

このはじまりが大切で、そのはじまりを持つ人はブレずに自分軸で自分らしさを貫き社会に新しいその人らしさを表現し周囲に好影響をもたらします。それは業種関係なく、経済であろうが、アーティイストであろうが、宗教関係であろうが、唯一無二につながるのです。

スタートアップの最初に、その人の何を応援するのかというものがあります。人が人を応援したいのは、自分らしく生きようとする人、そして自分軸を磨いて生きようとしている人です。自分を大切にできる人がこの世の中に増えていけば、まさにそれが社会全体を善くしていくだろうと私も思います。

応援する人はもっとも人の応援を受ける人であり、見守る人はもっとも人に見守られえる人です。情けは人のためならずであり、常に応援の輪は、自分軸で循環していくように私は思います。

どのようなスタートアップキャンプになるのか、今から思案を楽しみたいと思います。

危機に生きること

人間は危機感があるかどうかで進化を発展させていくものです。歴史をみれば、それは一目瞭然であり人間は危機感があるかどうかでリーダーとしての役割を果たしていくことができます。

最先端技術の発達も、軍事技術が多いのは危機感からくるものです。ブロックチェーンで有名なエストニアやフィンランドも地政学的に戦争に巻き込まれる可能性があるからこそ技術を発達させていきます。

もともと九州というエリアは、蒙古襲来などの元寇があったりアジアの地域との交流と交戦、鎖国などを通してずっと危機感を感じる場所でした。何かあったらでは対応できず、常に有事に備えている国防意識がこの地域を発達させていったともいえます。

最近では、平和が続きあまりそのような危機を語るとマイナス思考だや、大げさだなどと煙たがれることもあります。特に私は、危機感が強いタイプのようで常に最悪の状態から逆算していろいろと思考します。理由は、楽観性を維持するためにもまずは悲観的に考えつくしてから人事を盡し、あとは天命に任せて諦めようとしているからです。

その危機感の中で、子どもたちを守るため気が付けば日本の伝統と伝承を守るために古民家を甦生しはじめ、自然環境や気候が激変するときのためにかつての暮らしを甦生させ、同時に自然農法と里山循環の仕組みを甦生させ、同時に災害時にどのようにみんな助け合い生き残るかとかつての結のようなコミュニティを甦生させています。

このどれもは、実際には危機感からはじめているものであり先祖から大切に預かっているいのちや魂を後世に譲り遺すための活動なのです。

少し意味が異なるかもしれませんが、ニーチェにこういう言葉があります。

「現存在の最大の生産性と最大の享楽とを、収穫するための秘密は、危機に生きるということである」

誰かが先に気づいて道をつける、そういう仕事はあまりその時まで評価されることはありません。まさに徳というものも同様で、長期的に必要であっても目の前ではあまり意味がないように思われるのです。

しかし自然や社会を相手にしてきた人間は、本来はそういう自然の変化や政治の改変で大変な目に何度もあってきたはずでそれは本能が覚えています。それが危機感です。

おかしなことをしていると思っても、それが時が到来すれば意味がわかります。もしも到来しないのならそれはそれで一安心で善かったと胸をなでおろすだけです。リーダーとは、そういう見識と行動力があってこそリーダー足りえます。古今の先人に見習い、徳をもって準備を怠らないように努めていきたいと思います。

 

日本人としての観光

現在、コロナウイルスで海外からの観光客が減っていますが日本は観光立国を目指して取り組みは進んでいます。この観光立国とは、「国内の特色ある自然環境、都市光景、美術館・博物館等を整備して国内外の観光客を誘い込み、人々の落とす金を国の経済を支える基盤の一つにすること」を言います。

日本が観光立国を目指す理由は、景気の低迷や少子高齢化、国内消費の拡大が難しくなっているといいます。そこでインバウンド客を呼び込んで消費を促そうという具合です。それにより多くの雇用が生まれ納税者が増えれば国の財政が潤うからだといいます。

具体的には、「明日の日本を支える観光ビジョン構想会議」が定期的に開催され、2016年には会議の中で「明日の日本を支える観光ビジョン」が策定され2020年までに4,000万人(経済効果8兆円)、2030年に6,000万人(経済効果15兆円)の訪日観光客の誘致が目標として定めています。

2019年の世界観光ランキングは、1 フランス 2 スペイン3 米国 4 中国 5 イタリア 6 トルコ 7 メキシコ 8 タイ 9 ドイツ 10 イギリス 11 オーストリア 12 日本と、日本は12位につけています。2020年はコロナウイルスでどうなっているのかわかりませんが、世界で12番目に日本は世界から観光客が来ていることになっています。

古代から続いている文化を今でも美しいままに磨き残すフランスが1位なのは納得ですが、それぞれ自分たちの文化を掘り起こしては観光を実践しているということでしょう。消費動向は経済の話ですが、人々が歴史や文化、その風土から学び、自分たちの国のことを考えるのに人が旅をすることはとても大切なことだと思います。

日本では、アグリツーリズムというものを参考にして農泊というものがあります。これはヨーロッパが発祥地でイタリアではアグリツーリズモ、イギリスではルーラルツーリズムともいいます。ロマン主義の影響を受けた民俗学の影響で、農村や地方で残っているとされた民俗資料を大切にし、近代化によって失われつつあった自然調和の暮らしを見直そうという活動です。このアグリツーリズムとは、都市居住者などが農場や農村で休暇・余暇を過ごしてそれを体験します。日本の地域行政はこのアグリツーリズムによって都市と農村が交流するように様々な取り組みが行われています。

以前、私もイギリスに留学していたとき、イタリアやフランスの友人宅や農家民泊を体験したことがあります。フランスの田舎でのゆったりした時間と、そこで手間暇かけてつくってもらった料理をゆっくりと楽しみました。特にヨーロッパは長期のバカンスを取りますから、ゆったりと長く滞在できるところが人気があります。日本では、なかなか長期休暇はありませんからみんな短期の滞在でたくさん体験できるところが人気があります。どちらにしても、地方は、旅行者を迎えることで活性化し、過疎化の防止につなげています。

それに最近の外国人旅行者のニーズは買物の“モノ消費”から体験の“コト消費”へとシフトしており、日本の農泊も人気が出てきているといいます。日本人でも体験したことがないようなことを外国人が体験している時代でもあります。

私は本来、日本人の暮らしの中にこそ本物の文化があると思っています。現代では、その日本人の暮らしが消失してきてまるで西洋人のような生活が日本人の暮らしにとってかわっています。西洋建築で西洋的な食材、西洋的な思想や価値観、その中に西洋人が来ても特に面白いものはないように思います。

日本人を教育するというのがあって私は日本が真の意味で観光立国化するのではないかと思います。私たちの取り組む、暮らしフルネスはその可能性を秘めています。今、来ているご縁を直観しながら子どもたちに日本人を伝承していく機会にしていきたいと思います。

いのりの伝承 ~ドリームタイム~

昨日、写真家のエバレットブラウンさんから「ドリームタイム」(ドリーミング)のことをはじめて伺いました。これは、オーストラリアの原住民、アボリジニの持つ原初信仰の原点がこのドリームタイムだといわれます。

このドリームタイムは、時間という区切りのあるものがなく常にその土地と一体になった物語がある中で生きているという感覚のものです。つまり現代的な時間や個人ではなく、そこにあるのは風土とのつながりや先人たちが生きてきた物語をそのまま生きているという具合です。

私たちは、日々をいちいち細分化して生きています。24時間、365日、あらゆる単位の中で部分部分を切り分けて存在しています。その切り分けをしているうちに意識も同時に切り分けられ、分類わけしているうちに感覚も失われていったようにも思います。

このアボリジニとは別に、ブラジルのピタハン族という部族に抽象概念を持たないという文化があります。そこには過去や未来などはなく、ただこの今があるのみですが非常に幸福度が高く自然と一体になって生活しているといいます。

私たちにもしも時間をいう概念がなかったとしたら、そして個人という概念もなかったとしたら、私たちは一つの物語をただ今も受け継いでいるだけという意識に生きるように思います。

つまり、今は今の連続でありこの私も今そのものという感覚です。

すると、すべては縁起で成り立っておりその縁起の真っただ中に自分があるという感覚です。その感覚を生きている人がドリータイム(ドリーミング)ということなのでしょう。

人々は太古のむかしから、原始の魂を持っています。その原始の魂は、永遠を生きています。この永遠がわかるという感覚、つまり永遠であるという事実を悟ることが古代の人たちの暮らしを続けるということです。

おかしな話に思われるかもしれませんが、その土地や風土には目には見えないけれど確かに足跡や息遣いは永遠に残ります。それを記憶ともいいます。記憶があるから、そこに魂は生き続けている。つまり記憶が私たちの生命の根幹であり、その記憶を甦生することで私たちはこの世に永遠を生きているともいえます。

これからの時代、何のために生きるのかという問いをそれぞれの人たちが覚醒し世界に問わなければなりません。それはそれだけ、混沌とした物質文明が成熟しすぎて陳腐化してきているからです。なんでも区切り分けてきたツケをはらうまえに、もう一度、原初の概念から学び直すことです。

地球の呼吸に耳を澄ませながら、子どもたちにいのりを伝承していきたいと思います。

修験の道

昨日は、写真家のエバレットブラウンさんと一緒に法螺貝をもって英彦山の行場を歩いてきました。英彦山は私の魂の故郷の一つですが、美しい渓谷の中の滝や清流、それにそびえたつ大岩や岩窟、自然の持つ偉大さを五感で感じてそこに流れる精神を深く味わうことができます。

昔から人は、歩くことで前進してきました。山を歩き、谷を歩き、野を歩き、自然の中で私たちは歩くことで気づくことができました。つまり人間の英知は、歩くことからはじまり、気づくことは歩くことではじまったといってもいいのです。

英彦山では、歩いては法螺貝を立て自然と対話し、また歩いては法螺貝を立てる。この繰り返しですが、山間の風と共にこだまする深く高い螺旋の音がずっとその場所に遺っている何かに呼応してきます。

私たちの言葉は、呼応することで本来は成り立っていました。鳥の鳴き声もまた然り、木々が揺れる音もまた然りです。一つ一つの呼応は、私たちの五感に働きかけるものです。

私たちは空とも対話し、山とも対話し、星々とも対話し、宇宙とも対話したのです。その証拠に、古代の人たちが対話してきた余韻が遺跡などもにも多く残っています。

時間というものは、呼応のリズムがあります。言い換えるのなら時間差のようなものがあります。つまり時空を超えてくるのです。それが歴史の真実でもあります。時間を超えてその人に働きかけてくる。その働きをご縁として受信し、それをまた別の対話の形で発信する。

このように人のつながりだけでなく、私たちはありとあらゆるつながりの中で生き、関係を結ぶことで今を生きていくのです。

今をよくするというのは、この自然との対話を楽しむことです。

自然との対話がはじまれば、おのずから自分との対話もはじまります。つまり本来の自分とつながり、時ともつながります。自分と時を知ることは、今を善くしていくことですから私たちは生きているという実感も深く味わうことができます。

どこまで歩かせていただけるのか、ただ歩くだけで功徳となるという真実に生き、新しい修験の道を切り拓いていきたいと思います。

英彦山修験道の本丸

以前、修験のことはブログで書きましたが私の故郷福岡県には日本三大修験道場と呼ばれる英彦山があります。ほかには、奈良県の大峰山、そして山形県の出羽三山があります。

大峰山は修験道の開祖である役小角が、悟りに達した修験道発祥の地と言われ、出羽三山は崇峻天皇の御子の蜂子皇子が開山したと伝えられています。そして英彦山は北魏の僧・善正上人が彦山を練行の地と定め、洞窟で修行したといいます。

それぞれに最初の一人からはじまり、今ではそれが日本三大修験道場になっています。英彦山には最盛期に3800の僧坊があったといわれています。それだけ最初の一人の想いや祈りがつながり、時代を超えてそこに物語を創造したのでしょう。今では、荒廃が進み、荒廃が進んでいるといいます。

修験道というものの歴史は、今がとても難しい時期にきています。少しだけ整理すると、最初に飛鳥時代の役小角(役行者)のころから、修験としての思想は確立され、全国各地に修験道場が開かれていきます。この開祖の遺風に拠って在家主義として今でも山伏たちは信仰を守っています。

そして平安時代のころから盛んに信仰されるようになり、仏教伝来以前からの日本土着の神々への信仰(古神道)と仏教の信仰とを融合させる「神仏習合」の形態がとられました。つまりむかしの信仰のままに、人々は山に入り穢れを祓い山から智慧をいただき里での暮らしを営んだのです。

その後は、神仏習合の形が出て神社の境内に神宮寺が、寺院の境内に「鎮守」としての守護神の社がそれぞれ建てられ神職、あるいは僧職が神前で読経を行うようになりました。この神仏習合が、仏教の一派である密教(天台宗・真言宗)で行われていた山中での修行と、さらに日本古来の山岳信仰とが結びついて、修験道というものになったのです。 江戸幕府は、慶長18年(1613年)に修験道法度を定め、真言宗系の当山派と、天台宗系の本山派のどちらかに属さねばならないとしてより密教や仏教色を強めます。

そして解体されていくのは、明治元年(1868年)の神仏分離令に続き、明治5年、修験禁止令によって修験道は禁止となりました。里山伏(末派修験)は強制的に還俗させられ、また廃仏毀釈により、修験道の信仰に関するものもすべて破壊されていきました。それから日本全国に存在していた修験道場は衰退していくことになったのです。

それまであったこの修験道をなぜ禁止にするに至ったか、これは明治政府が欧米に急ぎ追いつけと近代国家形成を目指し中央集権的政府の確立をはかるとき、天皇を中心とした祭政一致国家の建設のために国家神道を設けで、尊王思想を普及させたことが一因にあります。その神社神道を国家の宗祀とするための政策を行うときにこの修験道は大いに邪魔になったのです。廃仏毀釈もその一環として行われました。国家神道普及のために山伏の悪評を最大限に利用し仏教施設や仏具もろとも民間に普及していた修験道自体が近代国家のための障害であるとして排除したといいます。

英彦山には霊泉寺というお寺があります。

これは明治時代に破壊された英彦山修験を復活させるために戦後に修験道の方々の想いを集め建立された寺院だといいます。英彦山修験道の本山であり、山号は英彦山といいます。

私は不思議なご縁で、私の名前はもうお亡くなりになっていますがこの復活に尽力したご住職の方に名付けられました。それがここにきて、新たな展開につながりご縁にまた導かれているのを感じます。

英彦山の甦生は、日本の甦生につながります。

子どもたちに確かな歴史が結ばれ、それがつながりいのちや魂の甦生になるように私に与えられた役割を果たしていきたいと思います。

心の居場所

聖地巡礼という言葉があります。もともとはイスラム教徒の信者が使っている言葉だったそうです。これはイスラム教のマッカにあるアル・ハラーム礼拝堂を聖地にし、その神殿を巡ることを巡礼と言いました。一生に一度は、聖地巡礼を行うことは信者にとってはとても大切なことでした。現在はこの言葉は、日本ではアニメや漫画の熱心なファンがそのアニメの舞台になったところを訪れることを聖地巡礼を呼ぶようになっています。

このこの聖地巡礼は、時代を超えて大昔から人々の心の文化の一つだったように思います。お伊勢参り、四国八十八か所巡りなども同じように聖地巡礼が美徳とされ今に受け継がれているように思います。

その聖地にいけば、何か自分の中にある信仰に触れるということでしょう。教えを肌で感じ取ったり、そのものが悟った場所に自分を運べば文字では得られない感覚をあらゆる場の力を感じて直観することもあったように思います。

以前、私も33か所観音霊場巡りをしたときにその聖地巡りにおいてその価値を実感したことがあります。最後まで巡り終えたとき、その最後の寺院に詩が読まれていてその詩には「この33か所巡りをしているうちにあなたはどの観音様と巡り会いましたか?」と尋ねるようなものが書かれていました。その時、思い返してみると道すがらに声を掛けてくださった人、挨拶してくださった人、猛暑厳しい中で冷たい飲み物を差し出してくださった人、みんな観音様ではなかったかと実感したのです。

つまり、私たちは心のありよう一つで観音様に出会ったり出会わなかったりしているということを聖地巡礼で学び直したことを思い出します。この聖地巡礼の仕組みは、自分自身と向き合い、自分自身とつながるという体験を持たせているように思います。

その場において、何をすることで自分自身とつながるのか。

ここにこれからの時代の心を癒し、自分を取り戻すためのキーワードがあるように思います。これから場の道場をはじめ、私は暮らしフルネス™を提供していきますがこの聖地巡礼の仕組みは時代を超えて参考になります。

子どもたちに、心の居場所を譲り遺していきたいと思います。