天道と人道というものがあります。天の道は、自然のままであり人為のないもののことをいいます。それに対し、人の道はその自然の中に人為が入ることをいいます。つまり、天道と人道とは分かれているようですが実際には天人道ということになります。
人もまた自然の一部ですから、人がどうあれば自然にかなうのか。それを語る言葉です。例えば、自然界ではそれぞれの生き物がそれぞれの役割を果たします。それは小さなバクテリア一つ、分解者となりて自然界の調和の役目を果たします。本来、私たち人間もまた自然界の一部ですからなんらかの調和の役目をもらっています。
そうやって生き物たちは、共生し貢献しあいながら自然の中でそのいのちを謳歌させていただける存在であるのです。そして天人道とはまさに、その天の道に沿いながらも人の道を盡していくことによるのです。
つまり天に対して人としてどう生きるかということを原点を確認するものです。
二宮尊徳にこういう言葉が残っています。
『夫れ元一円の原 国民衣食に乏し
天に従って地理を量り 天に逆って田畑を開く
天に従うを自然となす 之を名づけて天道といふ
人を以て作事を為す 之を名づけて人道といふ
人道は田畑を開き 天道は田畑を廃す
人道は五穀を植ゑ 天道は生育を為す
天道人道に和して 百穀実法(みのり)を結ぶ
原一変して田となる 田一変して稲となる
稲一変して米となる 米一変して人となる』
これはお米づくりで例えていますがとても分かりやすく真理を語ります。本来、田んぼをそのままにしていたらそのうち荒れ地になっていくのは自然が荒れ地にしようとするからです。しかしそこに人が手を入れれば田んぼは人の暮らしの一部となります。そして人が種を植えるのなら、自然はそれを生育させます。これが和合してたくさんの食料を産み出します。
つまり何もなかったところに人が入り田んぼになり、それが変化して稲となり、またそれがお米(食料)になり、それが人という存在をつくっている。
天人道はこの天と人の和合にこそなるということを、二宮尊徳は説いたように思います。
これからどのような生き方を選んでいくか、それは一人一人が今と見つめなければなりません。私はこの天人道こそ、徳そのものであり、こうあることが自然と人間の喜びになるように確信しています。
子どもたちに、天人道を示していきたいと思います。