危機に生きること

人間は危機感があるかどうかで進化を発展させていくものです。歴史をみれば、それは一目瞭然であり人間は危機感があるかどうかでリーダーとしての役割を果たしていくことができます。

最先端技術の発達も、軍事技術が多いのは危機感からくるものです。ブロックチェーンで有名なエストニアやフィンランドも地政学的に戦争に巻き込まれる可能性があるからこそ技術を発達させていきます。

もともと九州というエリアは、蒙古襲来などの元寇があったりアジアの地域との交流と交戦、鎖国などを通してずっと危機感を感じる場所でした。何かあったらでは対応できず、常に有事に備えている国防意識がこの地域を発達させていったともいえます。

最近では、平和が続きあまりそのような危機を語るとマイナス思考だや、大げさだなどと煙たがれることもあります。特に私は、危機感が強いタイプのようで常に最悪の状態から逆算していろいろと思考します。理由は、楽観性を維持するためにもまずは悲観的に考えつくしてから人事を盡し、あとは天命に任せて諦めようとしているからです。

その危機感の中で、子どもたちを守るため気が付けば日本の伝統と伝承を守るために古民家を甦生しはじめ、自然環境や気候が激変するときのためにかつての暮らしを甦生させ、同時に自然農法と里山循環の仕組みを甦生させ、同時に災害時にどのようにみんな助け合い生き残るかとかつての結のようなコミュニティを甦生させています。

このどれもは、実際には危機感からはじめているものであり先祖から大切に預かっているいのちや魂を後世に譲り遺すための活動なのです。

少し意味が異なるかもしれませんが、ニーチェにこういう言葉があります。

「現存在の最大の生産性と最大の享楽とを、収穫するための秘密は、危機に生きるということである」

誰かが先に気づいて道をつける、そういう仕事はあまりその時まで評価されることはありません。まさに徳というものも同様で、長期的に必要であっても目の前ではあまり意味がないように思われるのです。

しかし自然や社会を相手にしてきた人間は、本来はそういう自然の変化や政治の改変で大変な目に何度もあってきたはずでそれは本能が覚えています。それが危機感です。

おかしなことをしていると思っても、それが時が到来すれば意味がわかります。もしも到来しないのならそれはそれで一安心で善かったと胸をなでおろすだけです。リーダーとは、そういう見識と行動力があってこそリーダー足りえます。古今の先人に見習い、徳をもって準備を怠らないように努めていきたいと思います。