徳を磨くチャンス

徳積堂が間もなく始動するにあたり、初心を確認する機会が増えています。自己との対話を通して、改めて心の調整を丁寧に紡いでいく毎日です。

徳というものの正体は、なかなか現代では伝わりにくく構想だけを話すとすぐに感謝ポイントや恩返しシステムなどと脳が判断できるもので理解されていきます。私はもともと実践を重視するタイプですが、世の中に現代の言葉で甦生し、今なら何をすれば徳を積めるのかの具体的な事例を伝え、仲間や同志たちと一緒にその豊かさを伝道していきたいと取り組む中で様々な葛藤も生まれます。

特に親しい人や、尊敬できる人たち、また親切な方々になかなか伝わらないときは時機ではないのではないかや、これで本当に良かったのかと自問自答することもあり、その時は静かに元の場所に回帰して徳についてまた自分なりの整理をしていきます。

目に見えないものを語るとき、現代ではそれは宗教の類であると分類わけられます。しかし、この世の中はご縁も同様に目には観えない「つながり」によって存在や関係が結ばれているものです。そしてその空間的にも歴史的にも深く結ばれた縁起によって私たちは自分の道を体験していくことができています。

徳というものもまた中庸であり、実態はわかるようでわからないものです。今朝がた、また整理しているとふと常岡一郎さんのことを思い出しました。この方もまた、徳を積み、自分を磨き切った人生を送られた方でした。同じ福岡県出身の方です。こういう言葉があります。

「徳と毒はよくにている。徳は毒のにごりを取ったものだ。毒が薬ということばもあるではないか。毒になることでも、そのにごりを取れば、徳になるのである。どんないやなことでも、心のにごりを捨てて勇んで引き受ける心が徳の心だ。いやなことでも、辛いとかいやとか思わないでやる、喜んで勇みきって引き受ける、働きつとめぬく、それが徳のできてゆく土台だ。ばからしいとか、いやだなあというにごった心をすっかり取って、感謝と歓喜で引きうけるなら辛いことほど徳になる。」

「とく」に濁点が入ることで、「どく」ともなる。多少の毒は薬になり、良薬苦しともいえる。何も毒がないものは徳にもならない可能性もある。大事なことは、その毒の濁りを洗い清め禊ぎ祓い、徳にしていけばいいのである。最初から毒だからと避けて清らかなところにだけいてもそれは徳にはならないものかもしれません。泥沼の中の美しい蓮のように、私たちにとって大事なことはただ清らかなところで善いことをすればいいのではなく、それがたとえ自分にとっては苦労であっても勇んで訪れてきたご縁に素直な心で取り組んでいくこと。やりたいことのためにやりたくないことを我慢するのではなく、やりたくないこともまた喜んで勇んで引き受ける。あらゆる我執をも手放して、濁った心を見つめてそれを磨いて光らせる正直な想いで引き受けて至善に転換していく。そういう取り組む姿勢や実践の積み重ねによって感謝と歓喜が湧いてきてこそ徳になるのだと。つまり、毒を自分の身体を通して徳にしようという祈りの心の中にこそ徳を醸成する要諦があるということなのでしょう。

これは私の意訳ですから文章をどうとるかは、それぞれの人の解釈ですが徳積みとは禍を転じて福にすることであり、故事の人間万事塞翁が馬のような生き方をするときに出会えるものだと私は思います。つまり素直さこそが明るさであり、その明るさによって濾過されたものが人々の幸福を増やしていくのです。

初心は常に子どもたちの未来のために取り組んでいますから、すべてのご縁を活かし徳を磨くチャンスに換えていきたいと思います。

暮らしのリズム

暮らしのリズムというものがあります。これは単に、自分の生活リズムのことを言うのではありません。この暮らしのリズムは、自然と調和するリズムのことです。暮らしフルネスではこの暮らしのリズムを中心に据えています。

例えば、私は伝統的な高菜漬けをつくっています。高菜をつくるためには、まず種どりをしなければなりません。今の時期は、花が咲いています。菜の花ですが、高菜はその名の通り高く伸びて花を咲かせます。私の背丈ほどの高さまで伸びていき花が咲きます。

その花が梅雨前には種になり、その種を採取して秋の風が吹き始めるまで冷暗所で保存します。その後は、秋に種を蒔き冬の間に育つのを見守り桜の花が咲く前によく育った高菜を根っこだけ残して新芽が出る前に収穫をします。あとは先ほどの花が咲き種を取る分だけを残しておきます。

そこから高菜漬けに入るのですが、収穫したものをよく天日干しをし仮漬けをします。この仮漬けは塩をまぶして重しを載せて1週間ほど水に漬かるまで丁寧に漬物石と塩を調整します。その後は、本漬けといって杉樽にまた塩をまぶし、ウコンを混ぜて漬けていきます。すると秋前には漬かった高菜漬けを食べ始めることができます。冬の貴重な食糧であり、ご飯がとてもすすみます。

暮らしのリズムというのはこのように、自然のリズムに合わせること、そしてそれを具体的に私たちの身体に取り込んでいくリズムの和合によって成り立ちます。まず、土に触れ、植物の一生にかかわること。そのうえで、それを上手に取り込むために自然の生き物、ここでは発酵ですから微生物のめぐりにかかわること。それらの自然物との一生とつながりながら生きていくこと。

これが私の言う、暮らしフルネスでの暮らしのリズムを言います。

現代人は、暮らしのリズムがなくなってきました。簡単に買い、自然とも触れず、自分たちの都合でリズムを組み立てます。そうすることで、季節感もなくなり、巡りも歪になり、生活リズムも整うことがありません。これでは、自然の無限の恩恵を授かることができなくなりその分、またお金を使って無理をしてととのうための試行錯誤ばかりをしなければなりません。

ととのうのにサウナも流行っていますが、私はサウナはあくまで一時的にととのう環境を与えますが暮らしが整わなければ結局はまた同じことの繰り返しでお金と時間ばかりを使い調和することが難しくなります。

私が石風呂を使うのは、一時的に五感の調和をととのえるのですが本来はそこから暮らしに導入させていく必要があると思っているのです。暮らしのリズムをととのっていくためには、自然と一体になった暮らしの中に入りながら日々の人間社会での生活を味わう環境をととのえていく必要があります。

そこで私は「場」を用意し、暮らしフルネスの体験からそれに気づき改善する環境を提案しているということです。暮らしのリズムは、暮らしフルネスにとって大事な要素です。

引き続き、子どもたちが暮らしのリズムで生きる仕合せや喜びが実感できるように丁寧に自分のいるこの場を整え続けていきたいと思います。

 

徳積堂カフェの理念

人道という言葉があります。今はあまり何が人道なのかということを今は議論されることがなくなっています。なので人道の定義も人それぞれで曖昧です。逆に、外道という言葉もあります。人として道を外れることをいいますが、一般的に法律に逆らうことや罪を犯したときに使われます。

しかし人間が法律をつくっている場合、それを破るから人道に反したとは言えないこともあるように思います。歴史を省みればすぐに自明しますが人間は多数派や権力者によって法を操作することができるからです。人間の都合で法と言ってしまっても、それは自然界では通用しないものがほとんどです。

ここで「自然」という一つの真理と基準を設けてみて考えてみるとどうでしょうか。すると一つの境地が観えてみます。その境地を会得し自然に精通しながら人の道を説いた日本の偉人に二宮尊徳がいます。

二宮尊徳は、天道と人道はここで別ものであるとはっきりとこう説きました。

「天の理とは、たとえば春は生じ、秋は枯れ、火は乾いたところにつき、水は低いところに流れる、というように毎日常に変わらないことだが、それに対して、人の道とは、毎日人の力を尽し、保護して出来上がる。従って、人の道は、天道の自然に任せておけば、たちまち廃れてしまって行われなくなってしまう。だから人道というのは、情欲に心が支配されるときは成り立たないものである。」

自然は自然で道理があり、道理そのもので道理に反することがない。しかし人はそこに逆らっているのだから自然に従ってしまえばたちまち人道はなくなってしまうのだと。

つまり人の道とは、この天道といわれる自然の中でいかに人間の世界が安心して暮らしていけるように日々「修繕」(手入れ)を続けるかだということを言うのです。例えば、そのまま何もせずに自然にしていたら天の道によって建物も作物もみんな自然淘汰されてそのうちもとの土に還っていくのでしょう。そうならないのは、人間がそこに修繕や手入れをしていくからいつまでもその建物も作物もなくならずに徳が循環されその恩恵享受され維持されるというのです。

さらにこうも言います。

「人道は物を修繕するの途(みち)なり。之を怠れば法の無き昔に帰る。是即ち禽獣なり。」

つまり真の法とは人間が自然の中で生きていくための人道であるのです。そしてその方法は「修繕」にこそあると何度もいいます。確かに人間が何の修繕もしなくなり人間が好き勝手に情欲にまかせてやりたい放題に生きていたらそのうちすべては土に還っていき人間もまたそのうちいなくなっていきます。

人類は「人としてのお手入れ」をし続けることで、この世をいつまでも美しく平和に保ちこの世で自由な存在として許されていきます。利他であることも、幸福であることも原点はすべてこの「修繕」からはじまります。修繕はまさに徳の循環そのものになるのです。

徳積堂カフェがまもなくオープンしますが、この場は人道を尊び、徳循環をするための社会実験場として挑戦をはじめます。その理念のシンボルとして、手入れ修繕したものに囲まれ、徳を実感できる仕組みが体験できるようになっています。

子どもたちのためにも、徳を循環させ人がいつまでもこの世で平和に仕合せに生き続けることができるようにこの場所から世界を易えていきたいと思います。

 

つないでいく貴重な存在

私たちは先人たちが譲ってくださったもので生活を営んでいくことができます。それは例えば、土地、家、環境、使っている道具、田畑や食料、また生活文化などもすべて先人が子孫に譲り遺してくださったものです。

発明品なども同様に、先人が知恵を絞り発明したからこそ私たちはそれを今も活用することができています。エネルギーなどの電気や石油もまた、発明されたものの一つです。

当たり前に私たちは使っているもののほとんどが、先人たちが譲り遺してくださったものです。それをどう大切にして、また同様に私たちは次世代へとつないでいくのか。これは先人の知恵の恩恵に触れる人たちを中心に行われていきます。

伝統職人たちは、まさに先人の知恵の伝承者でもあります。左官をはじめ、刀鍛冶、また鰹節職人などもこれらの先人の知恵を学び続けています。いくらその時代に世の中に必要とされなくなったとしても、その知恵は非常に大切なものなのでそれを次世代へと渡さなければなりません。

時代がまたそれを必要とする日が必ず来ますから、その技術の継承は重要なのです。

そう考えてみると、歴史の中では何度も失われそうになったことがあるように思います。例えば、戦乱で滅亡したり、或いは疫病が流行り、また或いは飢饉があったりして人口が減り伝承できない状態になったこともあるように思うのです。

それでも今でも遺された先人の知恵に触れるときに、私はそれまでつないできてくださった方々の有難い存在と恩恵を深く感じます。よくぞ、ここまでつないでくださったという具合にです。

私たちの体も本当は同様に先祖や先人たちがずっと子どもを育て見守りつないできた存在です。よくぞ私までつないでくださったと実感するのです。そういう実感が感謝になり、同様につないでいこうという気持ちになるのです。

私が取り組んでいる甦生は、単なる現代に適応できるように温故知新することだけではありません。甦生はつなげていくことであり、感謝の伝承を結んでいくことでもあるのです。

子どもたちが未来に、これらの先人の徳がしっかりと譲られていけるように私がやれることを命を懸けて取り組み、仲間や同志を集めていきたいと思います。

御伽噺の創造

人はわかりやすいもの、自分が理解できるものに共感するものです。特に見たことがあるもの、経験したものがあるものに対して考えるものです。しかしもしも見たことがないもの、体験したものがないものの場合は脳は処理することができません。するとわからないから混乱していくものです。

人は未知との遭遇をするときやっぱり混乱します。理解できないものに接するというはそれだけ不思議なことです。幼いころ、読んで聞かせてもらったり祖父母から聞いたお伽話なども今思えばワクワクしました。どれも伝説だったり、口伝で伝承されてきたものですがどれも未知との出会いでした。

私たちは大きく分類わけすると、知っていることと知らないことに分かれます。何か知らないことがあっても、知れば知らないことではなくなります。こうやって知識を得ては、知っていることを増やしている人生だともいえます。

知りたいという欲求は、人間の欲求の中でも特に大きなものです。情報を持つということで、危険を回避できたり自分にとって有益なものになり、また自分の領域や境界が広がっているのもあります。

しかし同時に、知っていることが増えたということはそれだけ知らないことを減らしたということであり、そのうち新しいことを知る機会が減っていくものです。人間はある程度の知っている中でとどまっていると、知っていることの中で生活ができるようになりますから新しいことを知らなくてもよくなるのです。そのうち未知であることがなくなってくるのです。

本当に知るということは、実はなくなることはありません。なぜなら自分が知っていることが増えたとき、その反対側に同時に知らないことの大きさに気づくからです。実は知るということは、一端を知っただけで知らなかったものの存在が出てきます。

1を知れば、無限を知るという具合で実は知らないことの中で私たちは生きていることを知るのです。まさに未知との遭遇とは、知らない世界の大きさに触れたということのようなものです。未知なるものとして謙虚に、知ろうとしていく姿勢は偉大な何かとつながるためには必要です。これをサムシンググレートと呼ぶこともあり、また奇跡や伝説とも呼びます。

未知を創造するというのは、それだけ知ることの意味に出会うことになります。

歴史を創る事業とはそういうものかもしれません。子どもたちのためにも、御伽噺をつくるような未知なる世界を広げていきたいと思います。

 

暖簾の奥深さ

徳積堂のオープンに向けて着々と環境を仕上げています。昨日は、黒く染めた麻の暖簾を玄関先にかけました。むかしから「暖簾」は日本人には馴染みの深いものです。少し深めてみようと思います。

この「暖簾」は、日本独自で発展してきた文化の一つです。発祥が定かではないようですが平安時代の絵巻物にはすでに暖簾が出てきます。実際に「暖簾(のれん)」という言葉が使われるのは鎌倉時代末期だといいます。禅宗と共に中国からもたらされた禅林用語で、暖かい簾(すだれ)という意味だったそうです。具体的には、禅堂の入り口に夏場の暑い時にかける涼簾に対して、冬場の寒さを防ぐためのものが暖簾です。中国語では、ノンレンとも呼びますからそれが今の「のれん」になったのでしょう。

それが時代とともに親しまれるようになり、日本では中を割って人が通りやすいようにしたり、そこに絵や文字、文様や家紋などを入れてわかりやすいものにしたりと自分たちの文化に取り入れていきます。

ウィキペディアでさらにこの発祥の説を調べてみると

「日本の家屋では戸口にかけて日光や雨などを遮る障具の素材として最初は筵(むしろ)を用いていた。暖簾は古語で「たれむし」といい関連も指摘されている。暖簾が現存する資料に現れる最初のものは保延年間の『信貴山縁起絵巻』で現代の三垂れの半暖簾と同様のものが町屋の家に描かれている。保元年間の『年中行事絵巻』には大通りに面した長屋に三垂れの半暖簾・長暖簾がみられる。 また、治承年間の『粉河寺縁起絵』には民家の廊下口にかかる藍染の色布がみられる。」とあります。つまり最初は、筵(むしろ)だったという説もあります。暖簾の古語が「垂蒸(たれむし)」であり、「垂れ筵」であったともあります。

つまり最初は、玄関に光や風が入ってくるのを防いで寒暖を調整していた道具の一つとして発明されたものということかもしれません。ドアできっちりと開け閉めするものではなく、内外の境界を柔らかくしきったものとして重宝されたのかもしれません。

それが、次第に時代を重ねるうちに商店等の営業の目印とされるようになっていき、開店とともにこれを掲げ、閉店になると先ずは暖簾を仕舞うように使われました。これが転じて屋号のことを暖簾名や暖簾と呼ぶように変化してその商店の信用・格式をも表すようになったといいます。

よくむかしテレビや映画で、暖簾に傷をつけたとか、暖簾を台無しにしたとかのセリフがありましたがこれはそれまでの開け閉めして培ってきた信用や信頼を壊したときに使っていました。他にも暖簾分けといって、その信用や信頼を使わせてもらえることを暖簾で表現しました。暖簾は、単なる寒暖の道具を超えて生き方や生き様にまで昇華してきたということでしょう。

今では暖簾は、看板や宣伝、表札などのうにも用いられています。派手なものからシンプルなもの、カラフルなものもあります。こうやって時代を超えて親しまれ続けているものがあることが日本の伝統文化の醍醐味でもあります。

徳積堂では、黒色の麻の暖簾です。木綿などもありますが、麻はよく風を魅せてくれます。そしてよく暖簾の奥を覘かせてくれます。暖簾越しに観える美しい世界、その境界線の妙を感じてもらうための工夫もしています。

また風情があり、冬は冬の暖かさを演出し、夏場は夏の涼の演出もします。丈夫で長持ちもし、修繕もできます。風化して色が褪せていく様子もまた、独特なわびさびを表現してくれます。暖簾は便利な道具ではなく、まさに日本人の心の情景を豊かにあたたかくする存在なのです。

徳積堂の歴史を、暖簾とともに歩んでいきたいと思います。

藁ぶき古民家の土壁の解体と再生

昨日、藁ぶき古民家の甦生で土壁の解体をしましたが中から百数十年前の竹小舞が出てきました。この竹小舞とは、土壁の下地に使う細い竹のことをいいます。 土壁の下地のことを小舞といい、竹で格子状に編み込んで構成します。

この小舞の下地は法隆寺の建立の時代から存在し、竹が小舞として使われるのは鎌倉時代以降だといわれます。正確には、この壁の工法は「竹小舞下地壁」といいます。

この竹小舞に使う土を荒壁土といいます。これは良質の荒木田土に押し切りで切った藁を混ぜ練った物を寝かして発酵させたものを使います。ほとんどの藁は溶けていきますがこの発酵することによって強度も増えますし持ちもよくなります。そして出来上がった土にさらに藁を足して練り込んで塗り込んでいきます。

実はこの荒土壁は、何度も何度も再生することができます。例えば、500年の古民家であればいろいろな風雨によって傷んでもまた解体して混ぜて発酵させて塗り込めば元通りです。永遠に再生可能な材料によって家が保たれています。

またその土壁の中の竹だから腐らずに傷まずに朽ちずに使い続けることができます。先人の知恵は偉大で、現在では持続可能などと叫ばれていますがむかしはそもそも永遠であることが当たり前だったのです。

地球に住んでいるものたちは、常に循環するものを観続けてきました。ちゃんと廻ってくるものの邪魔をせずに自然の恩恵を享受されていました。現代は、消費文明ですから捨てるものばかりつくり、再生できないものばかりを流通させています。

本来のこの日本の土壁の再生から学ぶことが多いと私は思います。この土は、田んぼの土や河川などの粘土質で発酵するもの。藁も発酵を促していくものです。発酵する技術があることで、いつまでも腐敗やカビなどが発生せずに家が長持ちします。

漆喰もアルカリ性ですからカビが生えません。この辺も先人の知恵で、高温多湿の日本の風土では水が澱むことを厳禁にしていました。なので、風水を重んじ、古民家周辺の地域も風がよく通り、水がちゃんと流れるように設計して配置されていました。まさに澱まない仕組みと智慧で環境を構成していたのです。

今回、この荒壁の土をまた再生してひび割れや壊れた場所を補正していきます。そしてまたいつかこの古民家を再生するとき、子孫たちは私たちがどのように再生したのかを観て家が大事にされていることを知るように思います。

こうやって言葉だけではなく、先人の生き方で私たちは文化を伝承してきたように思います。子どもたちのためにも、今の自分たちが譲り遺していきたい未来を丁寧に紡いでいきたいと思います。

藁ぶき古民家の甦生~床下のイヤシロチ化~

今日は、結友の仲間たちと一緒に藁ぶき古民家の土壁を落とします。これはシロアリ被害が酷い二階の部分の重量を軽くして木の負担を減らすために行います。本来は、土壁の御蔭で家の補強も調湿効果もあるのですが仕方がありません。

それほどまでに今回の古民家はシロアリ被害が甚大で、少しの修復ではなくまさに大手術が必要な状態でもあるのです。江戸時代ころから存在し、むかしの百姓の素朴な藁ぶき屋根の古民家ですからもともと使っている材料がいいわけではありません。

そこに空き家になってから十数年の間、換気もされず庭木も伸び放題ではシロアリの巣になってしまうのは時間の問題でした。家も傾き、野生動物がたくさん棲んでいるくらいですからもうボロボロの満身創痍状態からの甦生です。

今回は、土壁を落とし、その土は発酵土と混ぜて床下に敷いていきます。この土を甦生させ、地面からの水分によって土壌を微生物によって豊かにし、その発酵する活動によって空気を清浄にします。土が清浄で豊かになれば、その「場」もまた整っていきます。

場が整うことで、その場所にいると居心地がよくなります。これは誰でも簡単にわかることですが、もしもゴミが散乱しているようなところで異臭が漂ったり、カビが発生したりシロアリがうごめいていたらみんな居心地が悪いという感覚になるものです。その逆に、よく掃除されて綺麗になって整っている場所や穏やかで美味しい空気が流れているところでは心地よいのです。

家の土台が浄化され、清浄であれば澱みが好きな虫たちもあまり寄り付きません。この澱みが好きな虫とは、例えばムカデやヤスデ、ナメクジなど。そしてゴミが好きなのがゴキブリやハエなどです。さらに動物でいえば、ネズミなどです。

床下というのは、人間の体でいえば腸内のようなものです。腸内細菌、つまり腸内フローラが善い状態だと肌も艶々しますし感染症や病気にかかりません。これは人間でいえば免疫が高い状態なのです。家も同様に、床下の状態が良いというのは家全体の免疫が高いということなのです。ここがカビていたり、湿気でひどい状態であればすぐにシロアリなどの害虫などの巣になります。

私は、古民家甦生をするときに必ず取り組むのが床下のイヤシロチ化なのです。そして同時に床下の水分がちゃんと天井に抜けるかどうかを確認します。屋根は天であり、床下は地です。この天地が和合しているかどうかが、家が長持ちし、その中で人が健康に長生きできるための要諦だからです。

健康住宅というものは、この呼吸する仕組み、そして腸内フローラのようにいい床下環境、そして空気と水の循環が滞ることがないようにすることが肝要なのです。血液と同じく、常に澱まずに循環し続けていれば私たちは健康を維持できますがこれが住宅にも通じているのです。

人間と共生しあう微生物によって、私たちは健康を守られています。味噌などの麹菌、そして漬物などの乳酸菌、野菜などに付着している土壌菌類、空気中から木や土壁などから古民家に長く一緒に暮らしてきた微生物を取り込んでいます。そうやって免疫を高めながら、人間に有害なウイルスなどを忌避してくれます。

家は人間を守る仕組みの智慧そのものです。

今日の古民家甦生からも、改めて里山循環の仕組みや人間と自然との共生を学び直していきたいと思います。

ブロックチェーンと徳

現在、ブロックチェーンをつかって新しい取り組みをはじめています。世の中ではビットコインなどの暗号化技術に使われていることで有名ですがシンプルにいえば改ざんできない台帳というイメージが近いように思います。

用意に改ざんできませんから、それだけ信用や信頼を提供するものということです。これからこの技術を用いて何が生まれるかは、社会の変化に合わせてアイデアをそれぞれが出していきますから確かにこれからの未来に大きな影響を与える技術であることは間違いありません。

特に新しい経済の在り方においては、でこの技術が使われる可能性を秘めています。現在は成熟期に入っていますから、この辺でまた原点回帰していく必要があります。歴史は何度も原点回帰をしながららせん状に発達していきますから経済も社会もこれからまた原点回帰がはじまるのです。

例えば、通貨の原点回帰とは何か。もともと通貨が必要になったのは物々交換の中でその時に交換できるものがない場合に、のちの信用の証として貝を交換したことが通貨のはじまりともいわれます。そこから貝貨という貝殻を用いた貨幣が誕生しました。 特にタカラガイは豊産、繁栄、再生、富などを象徴し、キイロダカラとハナビラダカラなどが使われました。

お祈りで私たちが手を合わせるのも、貝を合わせるところから来ているともいいます。日本でもハマグリなどが縁起物として使われますが、これも必ずぴったりと合いますから間違いない証として用いられました。

実は改ざんできないという意味は、このぴったりと合致するというところから嘘偽りのなく信用・信頼できますという証明の仕組みを顕しているのです。そこから、私たちは貝が紙幣に変わり今では通貨を用いて経済も社会も発展させていったのです。

しかし現代はどうなっているのか。

地球何個分が買えるほどの紙幣を発行し、今の世界は通貨であふれかえっています。これでもかと通貨を発行しては、嘘偽りの状態で事実と異なる状態で混乱を極めています。物々交換でいえば、交換できる資源がもうなくなっているのに貝殻だけはたくさん渡していつか交換すると先送りしているような状況なのです。

その貝殻がもしも証明できる価値がなくなってしまえば、物々交換はできませんからそこですべてゴミのように溢れかえります。現在の環境問題と同様に先送りして延命治療をするだけをしていてもいつかは必ず終焉を迎えます。そうならないように、私たちは原点回帰してもう一度、原初の初心に立ち返る必要があるのです。

私はそれをブロックチェーン技術を用い実現しようとしています。

具体的には、むかしの人たちの智慧の一つである「天の蔵に徳を積む」という考え方を用いるのです。これは私たちは等価交換という評価によって今の社会を動かしていますが、実際にこの世の中には等価交換できないものも同時に発生しています。

それが「陰徳」というものです。この陰徳は、私たちはお祈りをするのと同じで直接的には見返りがありません。しかし間接的に、また全体的にその祈りは別のかたちになって縁起を結んでいきます。つまり、そこで使われている対価は別の大きな場所へと転換されて移動していくのです。

むかしは蔵といえば、今でいう銀行です。銀行にはお金しかいきませんが、本来は天の銀行のようなものがありそこにお金では換算できないものが貯められているということを信じていました。

実は本来の信用・信頼の社会というものは、人徳というものが重要でした。信頼でき信用できる人だからこそ、その人に託したりその人の願いを適える絆を持ったのです。人は信用・信頼しあうことでここまで発展をしてきた民族です。その民族が、急速に欲望に負けてその徳を荒廃させていったのはこの通貨という道具を単なるモノとして扱っていったからです。もしくは使えなくなったものをゴミとして捨てるところが影響なのです。

私はブロックチェーンによって、徳循環の世の中を甦生させていこうと思い「BA」(ブロックチェーンアウェイクニング)を設立しました。先人の智慧と現代の最先端を用い、温故知新した原点貝貨としての役割を持つものをこれから発明していきます。

子どもたちの未来に、延命治療ではなく根源治癒が働くようにこの「場」から挑戦をしていきたいと思います。興味があり賛同する仲間をこの「BA」に集めていきたいと思います。

健康第一義

人は健康でなければ、何をやっても楽しくはありません。健康とは、身体だけに限らず、心や精神の健康もあります。つまり健康とは全体調和してバランスが取れている状態であり、すべてがととのい落ち着いて和合している状態のことです。

まるで穏やかな日和で心地よさを感じて仕合せを味わうように、すべてが調和して平和を感じて味わうとき私たちは健康のありがたさを感じます。調和が健康というのは、人間であれば必ず体験したことがあると思います。

常に今の状態をよく観察して変化に合わせて自分を調和しととのえていくこと。これは暮らしをととのえていく中で磨かれていくものです。もちろんサウナなどでととのうこともありますが、それは現代社会の過酷なスピード社会の中での一時的なととのいであり、本来は恒久的に暮らしを楽しみ、味わい、すべてが調和し続けるようであることが本当の意味でととのうことになるのでしょう。

そのためにはまずは、私たちは生老病死といった逃れなれないものと常に調和していく必要がありますから常に気を付ける必要があります。私も最近は、老いを実感することが多くなり、老いのことについて向き合うことも増えています。

江戸時代の俳人、国学者でもあり武士でもあった「横井也有(よこいやゆう)」という人物がいます。この人が記した、健康十訓はずっと健康で長生きするときの参考になったといいます。少し紹介すると、

『健康十訓』
一.少肉多菜(肉を控えて野菜を多く摂りましょう。)
二.少塩多酢(塩分を控えて酢を多く摂りましょう。)
三.少糖多果(砂糖を控えて果物を多く摂りましょう。)
四.少食多噛(満腹になるまで食べずよく噛んで食べましょう。)
五.少衣多浴(厚着を控えて日光浴し風呂に入りましょう。)
六.少車多走(車ばかり乗らず自分の脚で歩きましょう。)
七.少憂多眠(くよくよせずたくさん眠りましょう。)
八.少憤多笑(いらいら怒らず朗らかに笑いましょう。)
九.少言多行(文句ばかり言わずにまずは実行しましょう。)
十.少欲多施(自身の欲望を控え周りの人々に尽くしましょう。)

とあります。まさに、日々の暮らしをととのえるために何を気を付けて生きていけばいいのかを記しています。今でも、この真理は変わっていません。私たちの心と体と精神の健康は、常にこの日々の手入れにこそあります。お借りして滞在しているこの自分をどう丁寧に手入れしながら活用していくか、これはすべての人類の課題ですから学ぶことばかりです。きっと江戸時代の人も、わかってはいるけれどつい欲に任せて生活することで病気になり不健康になったのでしょう。

人間はつい調子にのってしまいますから、若い時はできても歳をとるとそうはいかなくなるものです。老いと向き合うことが増えると、当たり前ではなかった健康と向き合い感謝することが増えますから歳をとることもまた素晴らしいことだと感じます。

最後に、この横井也有のこの言葉で締めくくります。

「老は忘るべし。又老は忘るべからず。」

歳をとって老いていくことは気にせずに情熱と気力を充実させていく暮らしをしながらも、老いていくことは忘れずに丁寧な暮らしを通してととのえていくのですよと。

300年前の人の格言ですが、心に沁みます。子どもたちのためにも、暮らしの実践を伝承していきたいと思います。