門前町の記憶

大きな神社のある麓や、参道の周辺には街道筋にあるような商店などがたくさんあります。現在は、廃れてきて空き家になっているところが多いのですがむかしは大変栄えていたものです。

門前町というものがあります。よく寺内町と間違えられますが別のものです。門前町は寺院や神社の門前市から発展した町で、鎌倉時代から室町時代に形成されたといいます。有名なものが伊勢神宮の宇治・山田、善光寺の長野、延暦寺の坂本などがあります。

寺内町はどちらかといえば室町時代の末期から戦国時代に浄土真宗の本願寺派の寺院を中心に信徒の集会所のような形で発展してきたものです。摂津 の石山、越前の吉崎、河内の富田林が有名です。

小さいころに、香川の金毘羅宮まで子どもたちだけで登ったことがありましたが参道の商店に呼びかけられて説明を聴いていたらなかなか前に進めなかった記憶があります。その時、模造刀を買って資金が底をつき、一杯のかけうどんを3人で食べて歩いて健康ランドを探し泊まるという体験がありますがそれも今となっては懐かしい思い出です。

門前町のイメージで代表的なものはお土産屋です。その土地やその地域の民芸品や加工品、そしてお菓子や保存食、その土地の名前が入ったご利益がありそうなものが陳列されています。まだ小さい頃は、門前町にも活気があり観光客と参拝客で賑わっていました。今では、時代が変わって商店街と同様に人気がなくなって寂れているところがほとんどです。跡継ぎの問題もありますが、建物の老朽化や扱っている商品が古びれてしまっているもの。また人気がなくなってしまっているなどもあります。

時代が変わっていくというのは、文化や社会のありようも変わっていくということです。

明治以降にそれまでの日本的な文化や社会があったものが失われ資本主義の導入と西洋的な価値観と文明によってスピードは現在も上がり続けています。失われてきた日本というのは、何が失われたのかということでしょう。

まずまちづくりや再生ばかりを語る前に、失われたものは何かということを思い出すことが私は先ではないかとも実感しています。失われたものを持っている人がこれからの新しい時代をけん引していくのは間違いのないことです。

私たち人間はある一定のところを超えてやり過ぎてしまい崩壊、もしくは滅亡寸前のところまでいくとき、初心に帰ることができるように思います。何度も文明は滅んでいますが、人類はまだ生き残っているのは賢明な選択をしてきた先人がいたからです。

これも一つの人間の業として受け止める必要がありますが、同時にこの禍を転じて福と為すことで子どもたちにさらなる文化の発展をつないでいく道筋も伝道していけるかもしれません。

門前町のことを改めて深めてみようと思います。