働き合いの豊かさ

昨日、藁ぶきの古民家で結友と集まりみんなで古民家甦生の仕上げ作業を行いました。具体的には、梁や建具の水拭きと乾拭き。その後に蜜蝋を塗り磨きます。また一部、床板などを柿渋、渋墨、弁柄などで塗装します。他には、外は砂利を敷いたり、犬走をつくったり、創作竹垣を設置したり、桟のところの柿渋塗をやりました。

久しぶりに大勢で作業をしましたが、最初から関わってくださっている結友仲間が増えて関係で一致団結してまるで熟練のチームのように取り組むことができました。みんなで集中して作業をしながら、この豊かさをもっと味わっていたい気持ちになりました。

人は、みんなで協力し合って何か一つのことを成し遂げようとするときそこには不思議なつながりや結束が産まれます。みんなで助け合って何かをするというのは、心身共に健やかなことであり私たちは仕合せを感じるものです。

自分のやったことがみんなのためになっていく、自分の役割がみんなにとっても大事な存在になっていく、そして見返りを求めずに真摯に小我を超えて大我のために尽くしていくことに深い喜びを感じることができるように思うのです。

それは単なる仕事ではなく、まさに一人一人の働きであり、その働きが一緒に協力しあうことによって報われていくのです。働きに対して、働きで返す。働き合いともいうべきこの結は何か懐かしいものをみんな感じるのです。

それはきっと長い間忘れていた記憶、むかしむかし長い期間にずっと私たちはそうやって暮らしをしてきたことを思い出しているのかもしれません。

暮らしは、働き合いによってはじめて豊かになります。お金がたくさんあるから豊かなのではなく、一緒に働くから豊かなのです。かつての日本人は働くことを奴隷の労働や使役義務などとは思ってはいなかったといいます。海外から来た異国人たちは一応に日本人はみんなニコニコして働き、仕合せそうだったというのです。

それはまさに単なる仕事をしていたのではなく、みんなで働く仕合せを味わっていたからだと私は思います。

現代は、精神的な病気、孤独や自殺なども増えています。これだけ金銭的にも物資知的にも豊かになっていますが、本来の豊かさとは程遠い心の苦しみを感じる人が増えているのです。それはきっと、このみんなで働く仕合せを忘れたからかもしれません。言い換えれば、暮らしができなくなってきたのです。

私の言う、暮らしフルネス™はこの真の豊かさを甦生させていくことが要です。子どもたちのためにも、いつまでも変わらない働き合いの豊かさを伝承していきたいと思います。