昨日、伝統菓子の落雁(らくがん)を専門でつくる会社を経営する方とお話をする機会がありました。この時季、お盆のころの落雁はいつも身近にあったものですが改めてこの伝統和菓子の落雁のことを少し深めてみようと思います。
落雁は、名前が特徴的ですが名称の由来には諸説あります。例えば、明の軟落甘 (なんらくかん) から「軟」が欠落して転訛したという説、また形が落雁に似ているところから近江八景 の一つ「堅田落雁」からという説、そして本願寺綽如上人がこの菓子を後小松天皇に献上した時に白色の地に黒ごまの点在する様が雁の渡る姿を連想させたので「落雁」としたという説があります。もともとこの落雁という言葉の意味は、「空から舞い降りる雁」という意味で秋の季語でもあります。
この落雁のお菓子に似ているものに和三盆がありますが原材料がまず異なります。落雁は米粉を使い、和三盆はサトウキビ(竹糖)を用います。
落雁は、このお米の澱粉質の粉を使い、様々な模様の木型に押し付けて圧縮し最後に乾燥させるという具合でつくります。他にも澱粉質の粉のみを蒸籠で蒸すやり方や、最初にすべてを混ぜてから蒸し上げて乾燥させたりと実際には様々な製法の落雁があるといいます。
もともとこの落雁は、中国から日本に伝わったお菓子だといわれます。釈迦の弟子が僧侶に振る舞ったお菓子ということから仏事に用いるお供え物の代表となりました。
具体的な由来は、釈迦の弟子目連(もくれん)故事からです。
目連の亡母が夢の中で天上界に行けず餓鬼道に堕ちているのを見つけました。その亡母に水や食べ物を差し出しても、炎となってどうしても口には入りません。そこで釈迦に問うと、「すべての修行者に食べ物を施せ。さらば母親にも施しとなるだろう」との助言をもらい修行者に甘いものの施しをしたところ、修業者たちの喜びが餓鬼道にも伝わり母を救った」とあります。この故事から落雁を先祖に備えるのは施餓鬼をして、餓鬼道に堕ちた者を救うための供養となりました。
そして広がったのは、江戸時代に茶道と共にその茶菓子として安価な材料で作った落雁が出回るようになり仏事に用いる特別なものだけではなく庶民のお菓子として親しまれ今にいたります。
現代では、甘い砂糖やチョコレートなどの洋菓子などの文化が流入してきたと同時にご先祖供養の風習も失われてきてあまり落雁を食べるという機会も失われてきました。また落雁もスーパーなどで売られているものは、見た目だけ似た落雁風のものばかりで食べても美味しくないのでさらに人気がなくなりました。
日本でもむかしからの製法で伝統的に落雁のみをつくる老舗もあとわずかに残るだけです。
子どもたちには、この落雁が持つお供えや室礼、そして信仰などとの深いかかわりがあること、そして日本人のお米を使った味覚、滋味を味わう大切さなどを私も伝承していきたいと感じます。
未来のために、大切なものを引き継いでいけるように落雁とのご縁を深めていきたいと思います。