滝行の甦生

昨日、写真家のエバレットブラウンさんと郷里で滝行をしてきました。この滝行のはじまりは定かではありませんが、4世紀に紀伊半島へたどり着いたという天竺(インド)の僧、裸形(らぎょう)上人ともいわれています。

その後は、修験道の開祖の役小角をはじめ数々の修験者たちが滝行をしてきました。この郷里のお滝場も、平安時代の園朝という行者が開いてから今までずっと人々の禊場として祈祷が続けられてきました。

今回、改めて滝行を深めていると禊の行法を明治時代に体系化した豊前国宇佐出身の川面凡児(かわつらぼんじ)という人物のことを知りました。この方が、近代において古神道の復興や禊行の実践を普及させたといいます。この禊行の本質は禊ぎを通じて人の「直霊」を開発し、それぞれの個性や天命を現し、自分自身や家にも現し国家社会にも貢献していくことができるとしました。

これは私の意訳ですが、清め浄化する禊によって穢れを祓うことで自らに内在する自然そのものの恩恵と触れあうことで真実の自己の存在を開発し、そのことで天命を知りその自分を盡していくことで世の中が平和になっていくということでしょう。

改めてこの川面凡児氏のことを調べていくと、とても理に適っていてその当時に西洋文化と日本文化を調和させ、その本質を突き詰めていたことが思想からわかります。少し長くなりますがその思想の内容をご紹介しているものがあります。

「川面の思想は、古神道の宇宙観、霊魂観と神人合一法を西洋論理を用いて解き明かそうと試みた点に特色がある。例えば、荒身魂は肉体、和身魂は意識、直霊は最高意識ととらえ、人間は最高意識が受肉した存在であるから、すべての人間はその意味で「現人神(あらひとがみ)」であると主張した。(天皇だけが現人神ではない、という主張は注目すべきである)また、天御中主(あまのみなかぬし)を中心力、高御産霊(たかみむすひ)を遠心力、神御産霊(かむみむすひ)を求心力ととらえ、この三者のはたらきによって原宇宙が生成されたと説いた。川面は、古神道の神は、創造神ではなく、生成神であると考えている。創造神は、創造がある以上終末が訪れることを前提とした限定的な神であるが、生成神には、終末と見える現象はあったとしても、実際に終末はなく、永遠の生成発展があると考え、古事記の「天壌無窮」説を近代論理を用いて説明しようとした。川面の主張する日本民族の神は、一神にして多神、多神にして汎神であり、一神の躍動するはたらきの現れが、多神であり、汎神であるとし、この構造をもった神を「全神」となづけ、自らの教えを一神教でも多神教でもなく、「全神教」と名付けた。この神のダイナミックな構造は、およそ二百年後には、西洋にも理解されるようになり、西洋は、多神と祖霊も祀るようになるだろうと予測している。ただし、神は、知性で論理的に把握しただけでは足りず、体感、体認、体験しなければならないと説き、そのために禊、鳥船、雄叫び、おころび、祝詞などの一連の身体作法を体系的に行う必要があるとしている。(彼が提唱した禊は、その一連の身体作法の一部にすぎない。)なお、天皇が宮中でおこなう祭祀と行法が、本来の魂しずめと魂ふりであり、川面の祭祀と行法は、それから派生した傍流であると位置づけている。(『宇宙の大道を歩む』より抜粋)」

本流には、古から続いている滝行というものがあります。時代時代で滝行のかたちも変わっていきますが、その本質は変わってはいません。この川面凡児氏が発見した禊行は、多くの人たちを救い導いたことがわかります。

昭和から数十年経ち、今では滝行を実践する人たちもだいぶ減ってきました。そういう意味では、私がこれから行おうとするものは傍流であるのは間違いありません。しかし、この川面氏の言うように創造神ではなく生成神であるのなら水の循環や種の循環と同じく、失われたようでそれは生成を已まないという意味でもあります。

形を変え、支流となり、それがまた混然一体になり本流ともなるのです。いろいろな作法もその時代時代で変化していきます。作法だけになって道から外れている人もたくさんいるようにも思います。

本来の道を絶やさないようにするには、作法は変え続けていく必要があります。

子どもたちがいつまでも自然の恩恵を享受され、自分自身の中に天と一体になった自己に目覚め清々しい心を取り戻して精神や脳の疲れをとりはらえるように新たな場の挑戦をしていきたいと思います。