歴史的な遺産に出会ってみると、これが千年以上も遺るというのは本当に偉大なことだと感じることがあります。よく考えてみると、今も遺って私たちがそれを体験できるということはそれだけの苦難の歴史の乗り越えたという証明でもあります。
当たり前に観光で観ていますが、よくぞここまで遺っているというものの見方もあるように思います。これは大木だけではなく、枝垂れ桜のようなものであったり、建造物であったり、伝統工芸や神楽なども同様です。何度も失われそうになったのに、その時々にそれを守り抜いた人たちの努力の結晶があるのです。
奈良にて興福寺の近くを通りましたが、この興福寺の五重塔も苦難の歴史がある建物です。
この五重塔の歴史は古く奈良時代興福寺が藤原家の氏寺として発展を遂げる中、有力貴族である藤原不比等の娘で、聖武天皇の妻だった光明皇后の発願で天平2年(730年)に創建されたことにその歴史は始まります。この光明皇后は以前、ブログで東大寺の蒸し風呂を提供したことを書きましたが観音様のような生き方をなさった伝説の方です。
五重塔はその後5回に渡り、焼失と再建を経ています。現在の塔は室町時代の応永33年(1426年)頃に再建されたものです。約600年近くはこのまま私たちが観ているままに存在しているということになります。実際には、室町時代の他の寺院が再建に対して縮小する中でこの五重塔だけは大きくなって再建されたといいます。
今では信じられない話かもしれませんが、明治のころの廃仏毀釈では25円で売却され解体寸前までいったという話もあります。他にも戦後は観光の建物として上部を展望台にして有料で開放していたともいわれます。
その時代時代の人間の都合で、歴史的建造物は何度も危機に遭います。しかしその都度、心ある人たちが初心を守り、その文化遺産を甦生させていくことで子孫たちはその歴史を心に甦らせて新しくしていくことができるのです。
私たちは時代を生きている存在です。
この時代に何を大切にしていくか、そして何を磨いて甦らせていくかは、その当代の人たちの生き方が決めます。大切なものを守るためには、時代の変化にも対応していく必要があります。守るために変化するのは、私たちの責任なのです。
子どもたちのためにも、当代の責任を果たしていきたいと思います。