日本には文化財保護法というものがあります。この定義ですが、例えば世界大百科事典にはこう解説されています。
「文化財を保存し,且つ,その活用を図り,もつて国民の文化的向上に資するとともに,世界文化の進歩に貢献すること(1条)を目的とする法律(1950公布)。この法律にいう文化財は,有形文化財,無形文化財,民俗文化財,記念物および伝統的建造物群に分かれる(2条)。文部大臣は,〈有形文化財のうち重要なもの〉を重要文化財に,〈重要文化財のうち世界文化の見地から価値の高いもので,たぐいない国民の宝たるもの〉を国宝に指定することができる(27条)」シンプルに言えば、文化庁が文化財として指定したものを法律で守ることができるというものです。
この文化財保護法のはじまりは、1897年の古社寺保存法だといわれます。この古社寺保存法はそもそも幕末以来の動乱と社会変動、価値観の変化、明治政府による廃仏毀釈などによって古くからの歴史を伝え守ってきた寺社や旧家が甚大に破壊され同時にそれらが所蔵していた貴重な歴史的な重要なものが消えていきました。
近代国家になり西洋諸国に追いつくために、日本のそれまでの文化や価値観を否定したことで確かに急進的に文明を栄えさせましたが文化の消失は目に余るものだったのでしょう。そんな中でこの古社寺保存法が成立します。そこからこの文化財保護行政が今も続いていると言えます。
この古社寺保存法のあとは、「史蹟しせき名勝天然紀念物保存法」(1919年)、「国宝保存法」1929年の制定で保存の対象は社寺以外の宝物や史跡、植物などに広がります。それでも二度の世界大戦でさらに文化財は失われましたが1949年に法隆寺の金堂壁画が焼損する火災が発生します。これが大きな切っ掛けになり文化財保護法の保護体制を確立したともいえます。
この火災は、1949年朝7時ころに1200年続いた世界最古の木造建造物の法隆寺の国宝の壁画が火災で燃えるという事件です。放火の疑いもあるそうですが、電気座布団からの漏電が出荷の原因だと今では言われています。
この衝撃が世論を動かし、文化庁の設立含め、文化財保護法が拡充されていきます。
私が気になったものにこの後、焼損した金堂壁画を「十二面とも抜き取り 大宝蔵殿に保管」と、壁画を取り外して保管するという文部省の方針に対して法隆寺の佐伯定胤住職が「生体解剖に等しい」と強く反対したという記事です。この問題の本質は、実は今でも色濃く残り問題が継続されていると私は感じます。保存か活用かという議論もこの問題と本質は同質なのです。
美術品のように飾るのを保存とするのか、それとも信仰として歴史の事実を伝えそのままそれを暮らしの中で磨き続けて甦生させるのか。その違いだと私は思っているのです。
そして今年、また文化財保護法が改正されました。そこには文化財を単に保存するのではなく活用していくことを念頭に行われたといいます。
今、私たちは未来の子どもたちのためにこの問題と正対していく必要を感じています。文化財というのは本当は何なのか、そしてそれは何のためにあるのかということにです。
私なりの答えは出ていますが、この答えを生きるためには果敢に原点回帰と復古起新に挑戦していくことです。本質を見つめながら、本来の文化甦生に取り組んでいきたいと思います。